行政下における学校教育の目的は「社会の奴隷」を養成することです。資本主義経済では一切が資本に収斂されます。 RT @ujikenorio: 【教養教育】基本的に現在の大学はどこでも教養教育には力をいれておりません。資格・TOEICなどの点数が全てです。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 6
我々の社会において「利益」以外の何かを追求することが可能でしょうか? 学校も同様です。成績以外の徳性を評価する基準があるでしょうか? 組織という組織が成果を欲しています。 RT @ujikenorio: 【教養教育】
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 6
企業からNPOへと移行するような社会の土壌が必要。しかしながら教育者に資格が必要な時点で無理。社会の成功者(=奴隷)が社会の成功者を育てる六道輪廻と化している。職業教師は存在しても、教育者は不在という現実。 RT @ujikenorio: 【教養教育】
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 6
真の教育者のみが人間を育てることができる。それは塾であろうとフリースクールであろうと構わないはずだ。梁山泊のような教育機関が必要。そこから起業家やシンクタンクが生まれれば面白い。社会の土手っ腹に風穴を空けることができるかも。 RT @ujikenorio: 【教養教育】
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 6
つまりアウトロー的な、はたまたアウトサイダー的な教育フィールドがあって然るべきだろう。斎藤秀雄は「子供のための音楽教室」でそれを実践してみせた。http://bit.ly/acQjJG RT @ujikenorio: 【教養教育】
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 6
・戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」