「翻訳家・ 鳩摩羅什」ではなくて、「創作作家・鳩摩羅什」という側面の問題を全て洗い出して、漢訳が果たして正確に訳してるのかって問題をもっと真剣にやった方がいいと思う。創価学会系の東洋哲学研究所や立正佼成会系の中央学術研究所や日蓮宗系の立正大学などが、さ。
— 阿部兼二さん (@abeken_maruke) 2013年2月24日
創価学会系の東洋哲学研究所や創価大学の研究者の中には伝統的な教学(宗学)にへの問題点や疑問点をお持ちの方が結構いらっしゃるように思う。そういった方は内向けの印刷物に発表せず、外の出版社やwebに発表の場を求めてる。でも本当は法華経並開結や御書全集や経本にその研究は反映されなきゃ。
— 阿部兼二さん (@abeken_maruke) 2013年2月24日
究極的に言っちゃえば、大衆部の中の特殊な宝塔信仰に基づいた「法華経」と言う創作すら何処かで放棄しなきゃならなくなる時が来るのではないかという直観もある。それを言ってしまえば、天台の教えも、日蓮の教えも吹っ飛んでしまうから、誰もおっかなくて言わないだろう…。(言ってる俺は何様だよ)
— 阿部兼二さん (@abeken_maruke) 2013年2月24日
まずは翻訳=止揚という思い込みを払拭すべきだろう。ただしこのあたりのテーマについて私は全く興味を覚えない。加速する科学のスピードに追いつけないためだ。大衆部の正当化(あるいは正統化)よりも破壊を目指すべきだろう。歴史は現在という立ち位置からしか見ることができない。ゆえに歴史を辿るのではなくしてブッダから発想すべきである。これが今現在の私のスタイルだ。