・finalventの日記
・3月21日のツイート
道元については以下のブログが詳しい。
・翻訳家のノート
仏性とは「仏に【なることができる】」という物語に過ぎない。誰もが「ブッダのようになりたい」と憧れを抱いたことであろう。その瞬間、ブッダは川岸の向こう側に偶像として立ち現れる。ブッダが悟った法よりも、ブッダのスタイル=三十二相八十種好が重んじられる。
仏に【なることができる】という可能性は、仏に【なる】までの間は、【仏になることができない】自分自身を確認する時間帯となる。つまり、仏を目指しているにもかかわらず、【なることができない】因を積み続けていることとなる。
果たして人間は少しずつ徐々に悟るのであろうか? ここから悟りへのアプローチ法(※方法ではなくスタイル)が変わってゆく。
三法印は四諦から生まれた。生きる上で大切なことは、仏のように立派な自分になろうとすることよりも、現実の苦をどう見つめるかである。その眼差しこそが三法印なのだ。
・四諦と縁起