親鸞が説いた絶対他力の思想は、まるで一神教そのものである。極楽西方浄土も天国とそっくりだ。「諦める」と「明らめる」の相違は紙一重だ。断念もまた同様でプラスにもマイナスにも働く。彼方への憧れが現実を否定する力と化すことだろう。自我に根差す欲望と浄土に対する願望は表裏一体である。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月23日
・「他力本願」は浄土系の教えでは述べられていますが、詳細はどのようなものでしょうか?
如来の本願などない。なぜなら「願い」は自我に基いているからだ。「他力というは、如来の本願力なり」(『教行信証』「行巻」)とあるが、「力」と表現したことで親鸞は二重の過ちを犯している。真理は他力ではなく他性である。
悟りとは自由の扉を開く鍵なのだ。力は必要ない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年2月28日
・クリシュナムルティの悟りと諸法実相/『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ