・他人を増上慢呼ばわりする人物
・怒りを甘くみてはいけない
・セネカ「怒りを有益なものと考えるわけにはいかない」
ちょうどいいサンプルが見つかったので紹介しよう。
こんな増上慢がツイート連発してるとはなぁ。全くねぇ。QT “@sougaku_salon: しかし日蓮は「日蓮と同意」を求めた。人への忠誠ではなく、想いへの忠誠として「同意」を求めたのだ。この違いが理解できないと、いつまでも組織に隷属した「駒」で人生終わってしまう。”
— jun-boさん (@jun_s2030) 11月 8, 2012
@jun_s2030氏は編集の仕事をしているようだ。で、彼は391人のフォロワーの前で見知らぬ人物を「増上慢」と罵っている。その気安さからは彼が「安全な位置」にいることが窺える。多分マンモス教団の一員なのだろう。彼は怒りを正当化する。
「怒りを欠くものは知性を欠く」(ショウペンハウエル)
— jun-boさん (@jun_s2030) 11月 4, 2012
では、世界中でなされている怒りに駆られた行動をご覧いただこう。
・Darkness
左カラムの画像をよく見ることだ。
そして驚くべきことに同じ人物が次のように書いている。
最近は自分の狭い了見で得た一部分の認識で、ものごとの全体を裁断するというのが増えている気がする。最近では生活保護バッシング、反日、オウム逮捕、いじめ。豊潤な文化を自分の中に耕して、「しなやかな知性」を目指したい。自戒を込めて。
— jun-boさん (@jun_s2030) 10月 6, 2012
彼は「自戒」してからちょうど1ヶ月後に他人を増上慢と「裁断」したわけだ。編集を生業(なりわい)とする人物でありながら、分裂気味の言葉を平然と綴っているのだ。彼は確実に「自分が正しい」と思い込んでいる。その錯覚が恐ろしい。しかも周囲には注意をしてくれる人物もいないようだ。類は友を呼び、自分を見失ってゆくのだろう。
皆と喧嘩ばかりしている人と、仲良くできる人と、どちらが大人だろうか?
— jun-boさん (@jun_s2030) 9月 28, 2012
信仰とは自語相違の異名なのかもしれない。
・レトリックに騙される人は多い