2012-11-03

師弟不二と依法不依人について


「よき問い」は「答え」をはらんでいる。そして精神的に自立した人のみが「よき問い」を発することができる。ネット上で初めて「痛い信者」という言葉を目にした時、私は「負けたよ」と思った。自分の頭でものを考えることを放棄し、大事な判断を他人に委(ゆだ)ねる姿をわずか4文字で表現していたからだ。

 普通に考えれば答えは簡単に見つかる。つまり、この問いは「普通に考えられなくなった創価学会員の思考」をも突いているのだ。

 依法不依人の教えが仏法であることに異論を挟む者はいないだろう。ブッダの遺言であった。その真意は「自帰依(=自燈明)、法帰依(=法燈明)」にあった。

依法不依人

 これが法四依(ほうしえ)によって意味を書き換えられる。「了義経に依りて不了義経に依らざれ」との項目を盛り込むことで「自帰依」の意義が透明化されたのだ。経典が後世に編まれたものである事実を踏まえれば、ブッダの言葉=了義経とはならないはずだ。ここに根本分裂を巡って上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅぶ)の双方が政治的思惑から、仏法を啓典宗教に貶(おとし)めた足跡を見てとれる。

宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
宮田論文に関する覚え書き 9

 またぞろ余談が長くなってしまった。あとは簡略に述べる。

 これに対して師弟不二は仏法の教義としては認められない。ブッダも日蓮も師弟不二を説いていない。日蓮の場合は「部分的に該当する文言がある」だけの話だ。創価学会における師弟不二の教義は、池田第三代会長になってから導入されたものであり、牧口初代会長も戸田二代会長も主張した事実はない。

 戦略としては十不二門(じっぷにもん)に準拠するようなイメージ作りであったのだろう。

十妙と十不二門

 既に書いた通り師弟不二はグルイズムそのものであり、グルイズムが正しいことを証明しない限り師弟不二の正当性は成り立たない。

師弟不二と人間主義

「血脈」とは「形を変えた自我」である。その意味から申せば、創価学会における三代会長は「創価学会の自我」であると考えられる。ここから「人間革命」という名の「自己実現」に向かうことは避けようがない。最大の問題は諸法無我を無視して、諸法実相を実存主義レベルで語っていることである。

奇妙な形態のグルイズム
創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
元信者たちの手記 70~77