・他人を増上慢呼ばわりする人物
・怒りを甘くみてはいけない
・セネカ「怒りを有益なものと考えるわけにはいかない」
・セネカ
それゆえ、怒りは平和のときでも戦争のときでも決して良いものではなかった。つまり怒りは平和を戦争と同類にし、戦っている間に軍神マルスが共同者であることも忘れ、自らを制することもできないうちに、敵の制するところとなる。また、悪徳が、いつか何かの効用をあげたから受け入れて利用すべきだというわけにはいかない。たとえば、高熱でも或る種の病気を軽くするが、だからと言って、高熱の全くないのは良いことではないというわけにはいかない。病気の力を借りて健康にするような治療法は好ましくない。それと同様に怒りも、たとえ時には毒の薬や軽率な行動や船の難破のように、思いがけなく役に立つことがあったとしても――有害物でも健康のためになっているからであるが――だからと言って、怒りを有益なものと考えるわけにはいかない。
【『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年/兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳、岩波文庫、2008年)】
セネカ(紀元前1年頃-65年)はローマ皇帝ネロの家庭教師として知られる。ちょうど後期仏教(大乗)が興った時代で100年後に宮崎哲弥が心服するナーガールジュナ(龍樹)が生まれている。日蓮から見ると1200年前の人物である。
セネカの文体には男の神経を震わせる雄勁(ゆうけい)さがある。思弁をこねくり回す西洋哲学が私はどうしても好きになれないがストア派だけは別だ。現在も使われている「ストイック」という言葉は元々ストア派の人々を指していた。何となく朱子学にも通じる気風がある。
瞋恚(しんい/しんに)が善悪に通じないことをセネカは知悉(ちしつ)していた。怒りという感情の有害さをあらゆる角度から明快に解き明かしている。
尚、新旧の訳があるが甲乙はつけがたい。私は両方持っている。