2022-03-10

虚実

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光

 ・虚実

『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 田文(でんぶん)は夏候章(かこうしょう)に会い、
「なにが人を狂わせるのだろう」
 と、謎をかけるようなことをいった。
 夏候章という読書ずきの少年は、すかさず、
「虚(きょ)です」
 と、こたえた。謎にたいして謎でこたえたようなものである。
 田文は夏候章をみつめた。説明を待つ表情である。
「虚に実(じつ)はないのに、実をそこにみようとするから、狂うのです」

【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】

 孟嘗君〈もうしょうくん〉=田文は戦国四君の一人。宮城谷作品の中で最も血湧き肉躍る作品で、『楽毅』(がっき)とセットで読むのが望ましい。私は二度読んでいるが飽きることがなかった。

 虚とは地位・名誉・財産である。自分が欲している間は、それらを持つ人に頭が上がらない。尊敬の方向性が狂う。人間が抱く欲望は価値観をも規定してしまうのだ。

 勲章・名誉称号の類いもまた虚である。「だから凄い」と言うのは社会の奴隷になっている証である。ブッダや日蓮がそんなものを望んだことは一度としてない。

 真に偉大な人物は全てを失っても輝きを失うことはない。たとえ病んで斃(たお)れたとしても偉大である。

    

自由と不自由

2022-03-09

日本仏教に与えた道家の影響

 今の官制の中に、典薬寮の職員として呪禁師(じゅごんし)、呪禁博士などがあったが、僧や民間人の中でも、書符や薬を調合して病人に接する者、山林に隠れ住み、道術、呪術、幻術に熱心だった者も多かったことを窺わせる。
 しかも仏法と偽ってまでそれを行う。この辺にすでに後世の山伏、行者の淵底、密教的萌芽や占術、山人の日本的民間信仰の台頭があったのではなかったか。抑圧されながらも仏教や神道と結びつき、巧みに融和しながら生きつづけ、独自な形態をも発展させていったのではなかろうか。
 それほどに、こうした道術符呪の類は、一般民衆にとっても時の政権担当者にとっても魅惑的、吸引性を持つ存在だったと思われる。
「沙門にしてに本寺を去り、山林に陰住し」て、人の依頼を受け、邪法を行う者が往々にしてある。これは絶対に許せない。「よろしく諸国の司部内を巡検し、あるところの山林の精舎、ならびに居住する」尼僧、僧侶を見つけたら早速報告すべし。見逃したり、怠ったりしてはならぬと、『類聚国史』の「仏道・僧尼雑制」では強く指示していた。
 僧侶、尼僧にとって、単なる仏道帰依の修行より、こうした道術のほうが余程魅力があったのであろう。また一般民衆からも喜ばれ、経済的援助にもつながる点が多かったに違いない。
 大衆への訴えかけ、信仰の厚さは、中国の黄巾賊、すなわち教匪の乱にも発展し、組織化や宗教集団が時の支配者に強い警戒心を与えていただけに、それだけ民衆の熱狂ぶり心酔ぶりも窺える。

【『日本の仙人たち 老荘神仙思想の世界』大星光史〈おおぼし・みつふみ〉(東京書籍、1991年)】

 個人的なルールではあるが儒家(じゅか)・道家(どうか)と記し、儒教・道教とは書かない。発祥において宗教を目指したものではなかったからだ。その意味では初期仏教も「ブッダの教え」とした方がいいように考えている。

 道家の本を集中的に読んでいる。別に宗旨変えをしたわけではない。道家の革命思想に興味があったのだ。孔子の教えは主君に絶対服従するもので、武家社会とは親和性があった。江戸時代まで長く『論語』が学ばれたのは、その内容もさることながら簡潔な文体の秀抜さにあると私は考えている。

 既に7~8冊読んだのだが、どうも駄目っぽい(笑)。シナ(※蔑称ではなく地理的・文化的な呼称)的実利に傾きすぎていて、シナ版密教あるいはシナ版ヒンドゥー教といった印象が強い。

 もう一つは日本仏教に与えた道家の影響を知りたかった。例えば「魂魄」という言葉は道家由来のものだ。そして道家といえば「気」である。宗教的身体性でいえばヨーガ(瑜伽〈ゆが〉)と気功が双璧を成す。

 日蓮が通力(つうりき)を否定したのはトリッキーな方向を戒めるためか。では、曼荼羅や御秘符はどうなのか? マントラ口唱は呪法ではないのか? 因みに「呪」の字には「祝」の義もある。「祝」の字が誕生するのはずっと後のこと。結局のところ日蓮もまた大衆性に配慮したのだろう。日蓮は信を説いて悟りから離れた。

 大衆が求めるのはミラクル(miracle/奇蹟)である。起承転結の転でミラクルが起こればヒット間違いなしである。小説家やシナリオライターはこの一点で腐心する。日蓮は「妙」と説いたが、これは「生の不思議」を見つめたもので、ミラクルよりもwonder(ワンダー)を志向している。

諫言の人・晏嬰〈あんえい〉

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光

 ・政情不安
 ・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉

『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 蔡朝〈さいちょう〉は慎重な言葉づかいで「このたび、御尊父は将軍になられた。そこで、ご嫡男であるあなたは、留守中はどんなことに心がけなさるのか」と問うた。この時、晏嬰〈あんえい〉は10歳である。

「君公のご安寧を念じております」
 晏嬰〈あんえい〉の声の大きさに、蔡朝〈さいちょう〉はおどろいた。蔡朝ばかりではない、南郭偃〈なんかくえん〉も目をみはった。
「君公の……、ふむ、それから」
 父が戦場にいるときでも、まず君主のぶじを祈るという晏嬰〈あんえい〉の心の姿勢に感心した。蔡朝は、かれにしては優しい声を出した。
「父上のご安寧を念じております」
 と、晏嬰〈あんえい〉はいった。
「嬰〈えい〉どの、それは、ご武運ということでは、ありませんか」
 と、割り込むように南郭偃〈なんかくえん〉がいった。その声にするどさがある。童子に語りかける口調ではない。
 晏嬰〈あんえい〉ははっきりと首をふった。
「いいえ、次に斉(せい)の民、すなわち兵の安寧を念じます。莱(らい)の民も安寧でいてもらいたいと思います」
「ほほう、すると、ご尊父の征伐は、なりたたない。なりたたなければ、なんのための将軍か、ということになりませんか」
 蔡朝〈さいちょう〉はこの童子との問答に気を入れた。
 晏嬰はつぶらな瞳(ひとみ)を蔡朝にむけたまま、小さな口から大きな声を放った。
「将軍はもともと君公にかわって蒙昧(もうまい)の民を正す者です。正すということは殺すこととおなじではありません。正さずして殺せば、遺恨が生じます。遺恨のある民を十たび伐(う)てば、遺恨は十倍します。そうではなく、将軍は君公の徳を奉じ、君公の徳をもって蒙(くら)さを照らせば、おのずとその地は平らぎ、民は心服いたしましょう。真に征すということは、その字の通り、行って正すということです。どうして武が要りましょうか」
 蔡朝は目を細めた。

【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)以下同】

 言葉の正しさが鞭となって私の背中を打ち、涙まで催させる。配下の二人は父親の心情を勝手に慮(おもんぱか)って子を試している。だが少年晏嬰〈あんえい〉にそうした技巧の陰は微塵もない。

 晏嬰は生涯にわたって小さな体から大音声を放って君主を諌め続けた。管仲〈かんちゅう〉と並び称される名宰相(さいしょう)である。孔子子産〈しさん〉、伍子胥〈ごししょ〉と同時代の人物。父・晏弱〈あんじゃく〉は武勇に秀でた大将軍であった。

 本書の白眉は「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の件(くだり)である。「恐れながら申し上げます」との溌剌(はつらつ)たる声が今尚、私の心に余韻を残している。諫言は容(い)れられなければ死罪になることも珍しくはなかった。つまり命を懸けた行為であった。

 幼い晏嬰の言葉は賢(さか)しらが過ぎるように思えるが、諸子百家の誕生を思えば言葉と脳細胞が初期宇宙の如くインフレーションを起こした可能性があるように感じる。

2022-03-08

陰徳

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光

 ・陰徳

『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

「籍沙〈せきさ〉さん、人にわかる悪や善については、わたしにもわかるような気がしますが、人にわからない悪や善については、どうですか」
「ふむ、さすがに介推は深みのある質問をするな。人にわからぬ悪を陰悪(いんあく)といい、人にわからぬ善を陰徳という」

【『介子推』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】

 文公は介推〈かいすい〉の陰徳を見逃し、悔いを千載に残す。静かに去っていった介推を、後世の人々は文公以上に称賛した。

 陽報を目指すのは陰徳ではあるまい。陰悪に染まった人は幸福の感度が狂って寂しい終局を迎える。老いはその人がもつ欲望を純化し、結局満たされることがない事実を思い知らせる。最後は生にしがみつき、苦悶の底に打ち沈むのは間違いない。陰徳の人はその場その場で生き方が完結している。それゆえに後悔することがない。

稽首妙法蓮華経

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光

 ・稽首妙法蓮華経
 ・占いこそ物語の原型

『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 稽首(けいしゅ)も稽顙(けいそう)もひたいを地につける礼である。

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】

 稽首の意味を初めて知った。

 天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云

【「当体義抄」】

 同抄を偽作とする向きも多い。「そもそも最蓮房なんて人物は本当にいたのか?」という指摘まである。

PDF:偽撰遺文の類型的分類の試み(二) 『立証観抄』を中心とする最蓮房宛偽撰遺文群
PDF:最蓮房あて御書の一考察:中條暁秀
PDF:日蓮聖人の成仏論 本覚思想との関係において:三浦和浩

「重耳」(ちょうじ)とは(しん)の文公の諱(いみな)である。重耳の19年にも及ぶ放浪が宮城谷自身の雌伏の時と重なる。直木賞に輝いた『夏姫春秋』(1991年)で読書界は騒然となり、『重耳』でひれ伏したといっても過言ではない。