そのツイートは呟きではなかった。私に寄り掛かりながら自分を売り込もうとしていた。手垢にまみれた固定概念をあたかも共通の了解事項のように綴っていた。頭隠して尻隠さず。馬鹿丸出し。煩わしいのでブロックしたら、関係ない人のRTを通して大騒ぎしている。そんなにかまって欲しいのだろうか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
勝手に騒ぎ、勝手に捨て台詞を書きちらかしている。そんな人間だからこそブロックしたのだ。きっと何か行動するたびに周囲と摩擦を起こさずにはいられないタイプなのだろう。ニワトリみたいな野郎だ。彼が宙を舞うことは多分ない。私にフォロワーがいなければコテンパンにしてやるところだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
ツイッターが、オコッター、サワイダー、ワメイター、グチッターになっている人がいるよ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
「どうしてそんなことがわかるの?」と周囲の人々から言われることがよくある。面倒だが説明すると、「たったそれだけのことで、そこまでわかるの?」と驚かれる。私に言わせればわからない方が不思議だ。目の動き、ちょっとした仕草、言葉の言い回し…そんなところに人の性根が表れる。ツイッターも。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
私はテレビの画面越しでも嘘をついている人間はわかる。自宅では全く観ないのだが、よそのお宅で観ると、やたら独り言をいう癖がある。「彼女は周囲の顔色を窺いすぎる」「この野郎はただの嘘つきだ」「彼は金を出せば何でもするタイプだ」。文章や文体も匂いを放っている。わかる人にはわかるはずだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
ネット上では安易に質問する人物を「教えて君」といい、荒らし行為と受け止められる。答える義務など誰にもないからだ。不特定多数に呼びかけるのであればまだしも、個人を指名して質問することは控えるべきだろう。そうでないと、メッセージを発信している人に負担ばかり掛かってしまう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
結局、世界も人も、自分というフィルターを通してしか認識することができない、ということだ。自分に固執すれば世界も人も単調な色彩となってしまう。時には逆立ちすることだって必要だろう。眼は「むき出しになった脳である」とする説もある。古い価値観や回路を変えるのは感動し続けることだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
創価大学出身の愚かな人物だった。個人情報は入手済み。創価学会員特有の組織に甘える姿勢があり、見知らぬ学会員にもたれ掛かり、寄り掛かって平然としている。なかんずく創価大学出身者は自我が肥大していて自分は特別だと勘違いする馬鹿者が多い。