2014-05-31

日蓮と法華の名宝

H・ピロリ菌は精神疾患の原因となる

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ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか (Naturaーeye science)仮面社畜のススメ (一般書)検事失格

最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 世界恐慌への序章バブルの死角 日本人が損するカラクリ (集英社新書)経済は「お金の流れ」でよくわかる: 金融情報の正しい読み方 (徳間ポケット)夢見られた近代

2014-05-30

創価学会婦人部 公明党幹部に「女の尻に隠れて…」と批判

NEWSポストセブン 2014-05-29

勝ち負けを超越した道

1月15日 すぐれた道とは

 勝ち負けを争うのではなく、勝ち負けを超越した道をさがすことが大切です。
 すぐれた道とは、それぞれが「自分の能力を発揮する」道です。それによって、争うことなく、自分に適した世界が開かれていくのです。
 他人と競争して勝ち取る気持ちでいると、自分の能力は劣化するのです。
 他人と関係なく、自分の能力を思う存分活かすことです。

【『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ(PHPハンドブック、2008年)】

 創価学会では切り文を更に短く切り詰めて「仏法は勝負」が合言葉になっている。

イズムの罪~「勝負主義」と「現証主義」について
師匠が「仏法は勝負」と言われているのに、なぜそれを否定するのか?

「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(四條金吾御書/仏法王法勝負抄、告誡書、世雄御書とも)。真蹟はない(※調べるのに1時間要した)。ただし、

 山上弘道氏の論考「四條金吾領地回復を伝える諸遺文の系年再考」(興風23号P609)
「内容的には『頼基陳状』や同陳状の送り状たる『定番』250『四條金吾殿御返事』と密接に関連しており、真撰遺文として良いであろう」

1277年・建治3年 56歳:日蓮ノート

 とのこと。創価学会が誤読しているのは通解と講義の内容に差異があるためだ。

 そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を本としています。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけているのです。(通解)

 しかも、細かいことのようだが、仏法は勝負を“さき”とし、王法は賞罰を“本”とするという言葉の使い方にも注意しなければならない。“さき”とは、前後の“前”ではない。“本”に対するのであり、草木の梢とか葉先にあたる。根っ子が“本”である。したがって、勝負を先とすということは、勝負を何よりも優先すべきだということでなく、結果として勝負としてあらわれるということである。
 仏法の実践において大事なことは、法の正義を守り、それを全魂こめて実践しきることである。勝負にこだわり策を弄して、正義を歪めるようなことが微塵もあってはならない。この誠意の戦いが、長い展望でみたときに必ず勝利を結果することが証明されるであろう。
 王法が賞罰を“本”とするということは、真に功ある人が賞せられ、真に罪ある人が罰せられることによって、それが秩序の維持と、人民の行動を律する規範となっていくのである。つまり賞罰とは、手本であって、全ての人々の行動に対する結果ではありえない。王の権力がいかに緻密に人々の上に行きわたっていようと、全ての人の、全ての行動を網羅することは不可能である。賞せられなかった人でも、賞せられた人より功ある人もいよう。罰せられた人よりはるかに大きい罪を犯しながら、罪を免れる人もありうる。これは、全体的統括を司る王法のもつ限界ともいえよう。ともあれ、ここに、王法と仏法の根本的相違があるのである。(講義)

四条金吾殿御返事(世雄御書) 第一章 仏法と王法の相違 : 創価教学研究室(赤鬼のブログ)

 私がこの内容を鮮明に記憶しているのは、二十歳の頃に幼馴染みの先輩と1時間ほど議論をしたことがあるからだ。私は「葉先」の意味がまったく理解できなかった。「じゃあ、仏法の根本って何なの?」と何度も何度も先輩に質(ただ)した。

 もっとわかりやすい遺文を紹介しよう。

「同延暦二十一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学勤操・長耀等の十四人を召し合わせて勝負を決断す」(安国論御勘由来 文永5年)。

「抑そも俗諦・真諦之中には勝負を以て詮と為し、世間・出世とも甲乙を以て先と為すか。而るに諸経諸宗の勝劣は三国の聖人共に之を存し、両朝の群賢同じく之を知るか。法華経と大日経と天台宗と真言宗の勝劣は、月支・日本未だ之を弁ぜず。西天・東土にも明らめざる物か。所詮、天台・伝教の如き聖人公場に於て是非を決せず、明帝・桓武の如き国主、之を聞かざる故か」(大田殿許御書 文永12年)。

「而れども漢土・日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せさせ給ひけれども、六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるかのゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺、日本一州一同に、真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万民にいたるまでおぼしめしをもえり」(撰時抄 建治元年)。

「抑そも日本国の主となりて、万事を心に任せ給へり。何事も両方を召し合わせてこそ勝負を決し御成敗をなす人の、いかなれば日蓮一人に限りて諸僧等に召し合わせずして大科に行はるゝやらん。是れ偏にただ事にあらず」(下山御消息 建治3年)。

「結句は勝負を決せざらむ外は此の災難止み難かるべし」(富木入道殿御返事 弘安元年)。

 以上が真蹟に書かれている「勝負」のすべての文である。日蓮が説いた勝負は法門の勝劣であり、公場対決を目指したものであったことは疑う余地がない。少なからず創価学会員の中にもきちんと理解する人物はいるようだ。

『世雄御書』:地下者覚書

 創価学会はひたすら勝負を煽り、会員を競争に駆り立てる。元々プラグマティックな行動原理が新自由主義的になったのは池田の会長勇退以降であろう。池田が再び聖教新聞紙上に現れた昭和56~57年頃から「仏法は勝負」が連呼されるようになった。

 もっともらしい顔つきで「自分に勝つこと」などという気取り屋もいるが、その実態は「選挙の勝利」にある。選挙に負けてばかりいる会長が大きな会合で土下座させられたこともある。こうした行為のどこにブッダの精神があるというのか?

 スマナサーラ長老の言葉は平易で万人が納得できる。勝負にこだわるのは諸法無我を知らないためであり、自我に執着する醜い姿だ。しかもネットでブーブーやっている創価学会員の99%は組織内の負け組で、全国制覇とは無縁な連中ばかりだ。ためしに「あなたは個人折伏を何世帯やっているんですか?」と尋ねてみるといい。

「仏法は勝負」と騙(かた)り、争いを正当化するところに創価学会の本質がある。

 仏法は勝負であるわけがない。仏法は四諦であり、苦から離れるところに目的がある。

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)

2014-05-27

日蓮系教学の課題

 日蓮による阿含経批判の脱構築と、唱題行と四念処の整合性を図る。これが日蓮系教学の課題である。それでも尚、テーラワーダ仏教に対抗することは難しいだろう。スマナサーラの書籍はどれもわかりやすいが、入門書としては以下がオススメである。

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)

【かすむ航路~公明党結党50年】番外編 「見解」批判恐れ、固唾のむ支持団体

MSN産経ニュース 2014-05-25

『日蓮と鎌倉(人をあるく)』市川浩史(吉川弘文館、2014年)

日蓮と鎌倉 (人をあるく)

 仏教の“坩堝”鎌倉に果敢に飛び込み、卓抜した行動で法華経信仰を流布させた日蓮宗の開祖。蒙古襲来の予言、念仏者との抗争、たび重なる流罪など波瀾の生涯を活写。鎌倉の日蓮宗寺院を巡り、その思想と行動に迫る。

辻武寿

 懐かしさのあまり紹介する。晩年は不遇であった。確か池田香峯子の小学校時代の恩師であったと記憶する。



日興の教学思想の諸問題

 宮田幸一のホームページが更新された。日蓮正宗論→日興の教学思想の諸問題。(2)に山中講一郎の名前が見える。かなり前になるが斉藤克司が聖教新聞の元日号で紹介した際は「市井の研究者Y氏」と氏名が伏せられていた。山中の著作が出版コーナーに置かれることもなかった。

日蓮伝再考〈1〉伝説の長夜を照らす日蓮自伝考―人、そしてこころざし

2014-05-24

「先輩からの手紙」に思うこと 5

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
・「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

『先輩からの手紙』(4)」では日本仏教(平安~鎌倉仏教)に巣食う本質的な問題が提示されている。私流に言い直すと、大乗思想(大衆部)と密教性をどう捉えるかというテーマだ。「御本尊は禅定の指標」であったとしてもマントラ復唱と禅定の整合性がとれない。そして禅定を語る人が創価学会には一人もいない。つまりマンダラは幸福製造機(戸田城聖)であって、苦からの解放(自由)を説いたブッダの教えとは別物と考えられよう。これが「煩悩論を掘り下げて理解していなかった」結果であり、法よりも人に重きを置いて外道化(個人崇拝)せざるを得なかった最大の原因である。

 火星人が地球にやってきたとしよう。彼らに日蓮正宗と創価学会の違いを理解させることは可能だろうか? もっと広げてみよう。彼らが日本における各仏教教団の違いを理解できるだろうか? 私はキリスト教、イスラム教、日本仏教の違いすら理解できないものと考えている。「テキストに従う宗教」(啓典宗教)という重要な一致を除けば、瑣末な小数点以下の違いがあるだけだろう。

 因みに「S氏」で思いつく人物は二人いるが名前は挙げないでおく。

2014-05-23

関西vs.東日本の路線闘争か集団的自衛権で割れる公明

週刊文春WEB 2014-05-22

 絵の書き方としては拙いと思う。基本的に創価学会内部が政策で紛糾することはない。教団組織がトップダウンで動いている上、そもそも意見を述べる公の場が存在しない。反対意見があるとすれば電話での会話くらいだろう。集団自衛権については与党間の足並みを揃えるといって次元ではなく、米国の意向に沿う形で決着するに違いない。もう25年ほど前になるが、「公明党がアメリカの政策に従うことが広宣流布の近道だ」と公明新聞の記者が私に言ったことがある。既に創価学会は湾岸戦争、イラク戦争と危ない橋を渡ってきた。公明党が自民党と組んで与党となったのは1999年のことである。多分もう大衆政党に引き返すことはできないだろう。

2014-05-21

創価学会の見解、「与党協議に影響せず」



 つまり創価学会と公明党を巡るゴタゴタは出来レースと見なすべきだろう。

2014-05-19

自民幹事長「公明、主体的に判断を」 創価学会巡り



 公明党が創価学会の傀儡(かいらい)であるならば、自民党と創価学会が直接協議をした方が手っ取り早い。そもそも創価学会の婦人部に国家をどうこうする意志や責任など皆無だ。70年近く続いた平和に甘えてきただけの感情論に過ぎないだろう。大体、「集団的自衛権の解釈変更」そのものが欺瞞である。日本国内に米軍を擁していながら自衛権もへったくれもないだろうよ。所詮、アウトソーシングのままで行くか、自社生産に戻るかという程度の問題だ。

 もちろん平和は尊いし、平和であるに越したことはない。では平和原理主義者に訊くが、チベットやウイグル、パレスチナはどうすべきなのか? その具体的な答えを持たずして平和を主張するのは無責任だろう。現行法においても正当防衛という形で部分的な暴力は認められている。

 平和を目的として解釈変更あるいは憲法改正に反対する人々は、まず日米安保に反対するのが筋だろう。

2014-05-16

超越主義とスピリチュアリズム



 これが実は中々難しい問題なのだ。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説と似た趣がある。スピリチュアリズムも同様の二重性をはらんでいる。私は日本仏教の密教性(スピリチュアリズム)には否定的だが、インディアンのスピリチュアリズムは肯定する。また、非我という訳語は超越と親和性があるように思う。我の存在を認めているためだ。個人的には無我が正しいと考えている。

2014-05-15

美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ


 事実を風評とは言わない。

2014-05-14

軽減税率で揺れる公明党





消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―

2014-05-13

中国船とベトナム船が衝突した瞬間

 日本の船が同じことをされたらどうするのか?




「天才バカボン」の仏教的背景




 まったく知らなんだ。

・バカボン→バガボン(薄伽梵)→Bhagavat→ブッダ。
・オープニングの歌の「タリラ~リララ~ン」はチベットのターラ菩薩の真言でもある。
・レレレのおじさん→チュラパンタカ(周利槃特〈しゅりはんどく〉)がモデル。
・はじめちゃんのモデル→中村元〈なかむら・はじめ〉東大名誉教授

2014-05-12

氷川きよし暴行疑惑

2014-05-08

「先輩からの手紙」に思うこと 4

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

『先輩からの手紙』 (3) ぷるぷるメモ」で指摘されているのは、公明党議員の不勉強と創価学会員の他力本願的な迷信についてである。そして創価学会の思想が実はブッダから乖離している実態に触れている。

 組織の欺瞞に気づき始めると暗い道を独りで歩む羽目となる。これはどのような組織においても一緒だ。そこで殆どの人々は孤独に耐えられないあまり心理的な妥協を図る。そう。見て見ぬ振りをするだけで済む。誰かが叫んでからついてゆけばよい(笑)。ま、そんなのばっかりだ。

 気づいているだけではダメだ。突き抜けなければ。小利口な上から目線ではなく完全に達観できるかどうかである。

 事実をありのままに見つめれば答えは見つかる。複雑な問題も根は単純なところにある。

 僭越ながら私が一言で述べよう。創価学会とは「日蓮思想を拝借した大衆糾合運動」であったのだ。組織スタイルが共産党と酷似していながらも決定的に違うのはここだ。共産党員には共産主義化という政治目的があるが、創価学会員には取り敢えず選挙勝利という運動しかない。つまり運動が目的化してしまったところに公称750万世帯で頭打ちになった現状がある。

 牧口の価値論や戸田の功徳論は実際主義としてのプラグマティズムと親和性が高い。そして思想を欠いた広宣流布運動が新自由主義的になるのは必至であった。

 大衆が求めるのは思想ではなく物語である。そして大衆の欲望に応える形で創価学会は高度経済成長を背景に拡大してきた。バブル景気崩壊と阿部vs.池田紛争も軌を一にしている。創価学会の経済感覚の鋭さは、東京牧口記念会館(1993年)→バブル崩壊(1991年~)、正本堂(1972年)→オイルショック(1973年)という流れを見れば理解できよう。当然、建設のための供養は数年前から集められている。

 仏教的な思想性からいえば、日蓮本人がブッダから離れて大衆部を採用しているので致し方ない側面がある。個人的には日蓮の真言宗批判は最澄にこそ向けられるべきであったと考える。だが鎌倉時代であったことを踏まえれば、それでは多くを求めすぎだろう。法華経思想・日蓮思想ならまだしも、日蓮本仏論が世界に通用するわけがない。

2014-05-07

真理は「信用組織によって生きている」

潮出版社の桑原武夫学芸賞について

 そういや最近聞かないな、と思っていたら既に終了していた模様。Wikipediaを見て驚いたのだが、第9回が『アースダイバー』中沢新一に授与されている。創価学会系出版社がオウム真理教を擁護した中沢に賞を与えるのが何とも不思議だ。またオウムが中沢の『虹の階梯』を教義として採用したことも広く知られている。それだけではない。中沢新一はオウム信者が行ったテロ行為に対して「規模が小さすぎた」と不満を漏らしていた。

岩上●また、山口(瑞鳳)さんと『宝島30』誌上で対談した元信者の高橋英利君によれば、中沢さんが「サリンの犠牲者が一万人か二万人の規模だったら、別の意味があったのにね」と発言していたという(「僕と中沢新一さんのサリン事件」九六年二月号)。この発言も真意がわからない。きちんと説明してほしい。

宝島●その発言を聞いたのは高橋さんだけじゃないんです。二月号が発売された後、中沢さんと親しかった元オウム信者から編集部に連絡が入り、「中沢さんを擁護したい」というので、会って話を聞くことになりました。その信者に中沢さんが語ったところによると、「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する」と。

宮崎●(爆笑)いいなぁ、その発想。何か、悪の秘密結社みたいで少年マンガ的。霊的ボルシェヴィキというより、霊的ブランキスムだね。悪の陰謀結社主義! それならそれで、中沢さんは、はっきりと思想態度を表明すればいいんですよ。吉本さんみたいにね。去年の年末の日本テレビの特番みてたら、中沢さん、平身低頭の態じゃないですか。オウムの被害者の方々には本当にお気の毒ですって。
 どっちが本心なんだよって聞きたいですよね。

岩上安身×宮崎哲弥/スクープ!オウムに強制捜査をリークしたのは『宝島30』だった!?(『宝島30』96年6月号)】



アースダイバー改稿 虹の階梯―チベット密教の瞑想修行 (中公文庫)

日蓮大聖人 御書システム

日蓮大聖人 御書システム

 1619ページということは創価学会版であろう。個人的には日蓮宗現代宗教研究所の真蹟遺文だけで十分だ。

2014-05-06

一般的な臨終の相を調べた論文


成仏の相/半眼半口について~「臨終用心抄」日寛上人(一部抜粋)

グーテンベルク



2014-05-03

「一生成仏抄」を疑う

 又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり(創価学会版、384ページ)

 これは「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」のパクリっぽい(『正法眼蔵』道元)。そして末尾の「迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」は『臨済録』(臨済義玄)からの流用であろう。

平成の摂折論争

『教団における偽書の生成と展開 日蓮の場合』今成元昭
平成の摂受・折伏論をめぐって
 ・「摂折」論争 第二弾 今成説の徹底的検証 日蓮聖人の摂折観をめぐって
 ・今成元昭先生の所説に対しての論談 大賀義明
 ・読者の見方 清水直之
 ・平成の摂折論争 その後の展開

「如説修行抄」は偽書なのか?

2014-05-02

かすむ航路 公明党結党50年(下)