今まさに枯れようとしている若草に、ひとしずくの雨が当たって起死回生の蘇生を遂げる。この時、因果はどこで生じるのか? それは蘇生した瞬間である。雨が当たるまで両者に関係性は生じていない。つまり蘇生という一事が偶然を必然に書き換えたのだ。ここに物理学的な意味合いの因果は存在しない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月6日
もしこの世が完全な因果律に支配されているとすれば、それは天地創造をした時に全てのシナリオが決定されたとするキリスト教的世界観と何ひとつ変わらないことになる。因果が示しているのは業(行為)の連続性である。行為は必ず報いとなって束縛を加え、次の行為に影響を与える。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2010年8月6日