ふと思ったが、冷静に考えると、霊性とか功珠というものは相承不可能なのではないか。だいたい世界宗教といわれるどの宗教においても基本的にはどこかでuniversal alvationを示唆しているわけだけど、相反する概念だよなあ。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2010, 10月 11
要するに相承可能であるすれば、その対象を実体視するわけで、そのままではヒンドゥイズムのカルマ観の受容となるわけでしょ。それを否定したのが釈尊(西洋の文脈で云えばイエスの律法主義批判)なわけだから、その意味では、議論が成立しないだろうなあ。多分。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2010, 10月 11
受け渡しが可能であるなら、それは物であり知識であり商品なわけです。スポーツに例えればルールと技術の相違。理論と行動はコミュニケーションとも絡んできます。 RT @ujikenorio: 要するに相承可能であるすれば、その対象を実体視するわけで…
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 13
「師資相承」(ししそうじょう)や「血脈相承」という概念は密教に特有のもの。
(※universal salvation:生きとし生けるものすべての救済)