でもさ、新垣隆を評価すりゃあいいんじゃねえの?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
では思考実験をいくつか。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
「って昨日言ったのは真っ赤な嘘で佐村河内守さんが作曲したんですよ」(ニヤリ)と新垣隆が言った場合、今日の動きをどのように説明するか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
実は新垣隆も嘘をついてきた。本当の作曲者は佐村垣隆守〈さむらがき・たかもり〉なる人物であった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
更に新事実が発覚する。実は3人で作曲したというのが真相らしい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
仏教の歴史とそっくりだよな(笑)。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
果たして新垣隆が現れなければ、我々は幸せであったのだろうか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
いつの場合も、そしていつの時代も真実は苦い味がするものだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
真実がわかったのだからいいじゃないか。それともあれか。自分を騙したことが許せないのか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
私としては、「そうか。それぞれに色んな事情があったのだろうな」以上、である。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
佐村河内守の自伝を読んだことも別に後悔していない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
じゃあ例えば聖徳太子はどうだ? 既に実在した人物ではないと判定されつつあるが。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
あるいはイエスはどうだ? これまた実在が確認されていないわけだが。現存しているのは後世の伝聞情報のみだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
実は日蓮のマンダラと伝えられるものはそのすべてが忍性(にんじょう/良観)が制作したものだった――となったら、何が変わるのかね? それは「物語」だ。彼らを信じていた人々の人生という物語が破綻してしまうのだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
そういうことを常に確認するのが科学であり、不問に付すのが宗教――あるいは人文――なのだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 2月 6
・物語の本質