ルサンチマンの匂いに気づくのは大事な自己防衛で、その匂いを発する人物からは極力離れる。そんでもって、そういう人の話は相手にしない。また、そうしていると、自分の中の同種のものにも敏感になれるしね。
— 山本かっぱ (@shirayuri_kun) July 14, 2013
ルサンチマンが原動力になる限り、ろくなことはありやしない。「外」に対しては「自由の自負」とその裏返しとしての「差別」の臆面もない肯定。 http://t.co/7uBQQEJ4b6 くわばらくわばら。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) July 14, 2013
ルサンチマンは劣情の正当化に本質がある。そう、自己欺瞞だ。自分自身を騙すオレオレ詐欺なのだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 15, 2013
@shirayuri_kun 真に感動した人は、そうした「枠」にとらわれません。それゆえ、山本さんが仰るように「立ち去る」ことも可能だと思うのです。「立ち去れる」ことは、真に感動したことを示す、ひとつの証拠でもあります。
— 柾 (@masaki_nb) July 15, 2013
「此(ここ)を去つて彼(かしこ)に行くには非ざるなり」と。偽書濃厚な御義口伝ではあるが、この思想自体は正しい。此岸も彼岸も自身に含まれる。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 15, 2013
所属よりも、自分自身に生きているかどうかが問われる。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 15, 2013
生を謳歌しながら生きる。味わい尽くす。その人にとって幸不幸はさしたる問題ではない。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 15, 2013
あなたがどう生きるか、あなたが日々の生活をどう生きるかは、あなたの責任です。もしも世界の平和を望むなら、あなたは平和に生きなければなりません。互いに憎み合ったり、妬んだり、権力を追い求めたり、競争に明け暮れたりするのではなく…
— Krishnamurti (@krishnamurtibot) July 14, 2013
・ニーチェ的な意味のルサンチマン/『道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学』永井均