2015-12-31

宗教と救済

 日本の宗教で最も行動的なのは、やはり創価学会とエホバの証人であろう。運動性や理論構築は断然、創価学会の方が強い。私もかつて40回ほどエホバとやり合ってきたが完膚なきまでに打ち負かしている。ただし信仰の純粋性においてはエホバが優る。宗教の目的は救済にある。では創価学会とエホバの証人に救いはあるだろうか? ないね。断じてないよ(笑)。創価学会には役職=組織の目標が課され、エホバには伝導の時間というノルマ(エホバの証人の組織構造 > 全時間の奉仕者)が課されている。よくいえば労働集約型宗教で、悪くいえば宗教的軍隊である。つまり救済が労働対価と化しているのだ。救いがない証拠としてストレスの大きさを挙げることができよう。すっきりしているのはノルマを果たした一部の構成員に限られている。彼らは一般社会と下位集団(サブカルチャー)の二重基準を生きる羽目となり、一般人よりも課題が多いため精神的に行き詰まりやすい。創価学会の場合、比較的リーダーとして優秀な人物が多いが、ほぼ100%の割合で家庭が破綻している。すなわち家族の犠牲という形でストレスが現れているのだ。私が尊敬する幹部で幸せそうな家族を見た例(ためし)がない。一方のエホバについては家庭生活まではわからぬが、家族全員がエホバでなければ衝突は必至である。しかも彼らの教条主義は創価学会の比ではない。というわけで、行動的な教団に救いはないと申し上げておこう。

 最後に一言。ブログをまともに更新しない理由は、批判に情熱をかけることができないためだ。個人的にはこの数年で完全に見切りをつけたわけだが、声高らかに他人を説得しようとは思わない。人生は自分のものだから、それぞれが好き勝手に生きればよい。っていうか、各人が自由に選択して生きているわけだから、誰かが茶々を入れる必要もあるまい。私としてはちょっとばかり異なるコースを歩んできたので、自分の現在位置から見える景色を綴ってゆくだけのことだ。

 それでは一年間、ご愛読ありがとうございました。創価学会の皆さんも、エホバの皆さんも、よいお年を。

筆跡に見る創価学会とエホバの証人