人が人材になる過程は、木が木材になる過程とよく似ている。よけいな枝を落とし、虫の食った部分を捨てて、要するに規格化するわけなのだ(生きている木を切り倒して、乾燥させて、丸裸にし、材木にして、切って、削って、風呂場のすのこにするのだ)。そして、言うまでもないことだが、ハッカーという人々は余計な枝が多かったり、幹が曲がっていたり、加工しにくかったりして、人材としては不良品である場合が多い。
【『我が心はICにあらず』小田嶋隆(BNN、1988年/光文社文庫、1989年)】
再掲。人材育成とは組織や集団の目的を遂行するための兵士を育てることに他ならない。つまり人材育成を信じている人々は、人間を「加工、修正、整形できる存在」として認識しているわけだ。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」――武田信玄の言葉として伝わっているが、これは民を重んじたものであって、人を手段にする姿勢とは無縁だ。人間を操作可能とする眼差しは、必ず全体主義へと向かい、『一九八四年』的世界へ辿り着くことだろう。人材は消費される。