密教を様式化と捉えれば、それを社会化と読み替えることも可能だろう。ただし東洋的なエートスからすれば、制度よりも礼儀に比重が傾くべきだと私は考える。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2012年3月10日
本覚論を修行論ではなく時間論として捉え直す必要があると思う。仏教が重視するのは現在性であるがゆえに。未来とは「未だ来たらず」の意であり、仏典において「将来」(まさに来たる)の語は使われることがない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2012年3月10日
「死ねば仏」という言葉も、果徳ではなく平等性と読み替えることができよう。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2012年3月10日