私は、監査部員三名の中に、柏原ヤス、和泉ミヨの名前が挙げられているのに、心安からぬものを感じました。
と申しますのは、私の記憶では昭和二十四、五年頃、本部通達として私の父・原島宏治と小泉隆、辻武寿の三名が謗法者と断定され、学会の全ての役職を解任されて、本部はもちろんのこと、各支部、学会関係の建物、座談会などへの出入りを一切禁止されことがあったのです。私は、「父はさぞかし苦悩するだろう」と心配して様子を見ていましたが、父は、いっこうにショックを受けた気配を見せず、学会活動にあてていた時間を、読書とか家族団欒にあてて、ゆうゆうと毎日を過ごしていました。
この出入り禁止期間は半年ほどで終わったと思いますが、この事件についての母のうち明け話によれば、「戸田先生の側に仕える御婦人達から讒言(ざんげん)されたのよ」とのことでした。(中略)
私の不安は二年後に現実のものとなりました。昭和二十八年一月一日付の『聖教』紙上に、私の父が、十二月に文京支部長を解任され、地方統監部長という新しい役職を与えらた、ということが載っていたのです。さらに、同年六月には長らく勤めてきた教学部長の任を解かれ、小平芳平氏が新教学部長となります。私の母も、前年にわけのわからないまま支部婦人部長を解任され、謹慎を命じられていました。
嘆き悲しむ母に対して、父は常にこう言って慰めていました。「支部長・婦人部長の時は日本一の支部長・婦人部長になり、一会員の時は日本一の会員になればいいじゃないか」と。それを聞いていた私には、いったい、この父は偉大な人物なのか、鈍感な人なのか、わけがわからなくなりました。
その後、二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ、「側近の言葉を信じて、あなたを辛い目に合わせてしまった。申し訳なかった」と詫び、母に本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復させました。
【『慧妙402号』「私が見た創価学会」(理境坊信徒・原島昭)】
ところが創価学会は今もなお原島精子〈せいこ〉を中傷している。『フェイク』第1061号(2009-10-14)を参照せよ。もうそろそろイエロージャーナリズムの真似事はやめるべきだ。もしも私が原島の身内であれば、どんな手を使っても書いた者を捜し出し血祭りにするところだ。見つからない場合は目ぼしい副会長クラスを襲撃することだろう。
昭和のことだが紙上座談会の佐藤武彦の発言を勝手に池田が手直しし右翼を揶揄(やゆ)したことがあった。該当団体から猛烈な抗議があり池田は震え上がったという話がある。公明党が政権与党となって増長しているが、あまり調子に乗っていると必ずどこかで惨事が起こるに違いない。ま、副会長クラスは頭を金属バットや金槌で殴られないようせいぜい注意することだ。
『フェイク』は一応怪文書扱いをされているが、学会組織で流用されているからには当然、幹部に責任がある。