2016-12-06

喜捨

 前に紹介したものあるが再度ご覧いただこう。私は「喜捨」という言葉を思わずにはいられない。困っている人を助ける。それは人として当然のことだ。「べき」とか「ねばならない」とかではなく、喜んで“自分”を捨てるところに喜捨の本領があるのだろう。創価学会の幹部が財務の金額を釣り上げようと「激励」する場合は「喜んで捨てなさいよ」との操作性が垣間見える。「だったら、お前が丸裸になるまでやってみせろや」と直接言って構わない。むしろ奨励しておこう。創価学会の財務は喜捨ではないことを明言しておく。なぜなら人口が減少しているのだから会館が足りない事実もないし、本部職員は出家ではないので仏法上の供養対象とならない。むしろ目の前で困っている人を助けることが尊い。