先の理事長選に完敗した貴乃花親方(43=元横綱)はこれまで、事あるごとに北の湖前理事長の名前を使ってきた。スポーツ紙上で理事長選への出馬を表明した際も「前理事長から受けたご恩に報いる必要がある」「遺志に応えなければなりません」「それは、私の役目」などとつづっている。
【理事長選の敗因? 貴乃花派に故北の湖氏“遺言”改ざん疑惑】
跡目争いはどこの世界も酷似している。
幹部たちの支持を広げた池田は1960年3月、理事会で「戸田会長が亡くなる前に池田大作に創価学会を継がせるように」という「戸田会長の遺言」を聞いたと主張。会長代行の小泉は慌てて池田らに七回忌までは会長職を空位とすることを約束し署名したことを再確認するよう反論したが、幹部会の過半数を抑えていた池田の前にはときすでに遅く突如出現した遺言に唖然としたり、反発する幹部たちを尻目に原島を始めとした青年部が幹部会を数と金の力で支配し池田自ら会長職に就任、池田会長就任に尽力した原島を理事長に据えた。
【池田会長就任と石田派・牧口派の反発】
「池石戦争」(池田大作と石田次男による戸田城聖創価学会会長の跡目相続をめぐる争い)の項目がどんどん更新されていて驚いた。定期的に保存しておく必要がある。尚、「原島を始めとした青年部」は誤りか。そして理事長となった原島宏治も石田同様、公明党に送り出された後、冷や飯を食わされる羽目となる。しかし原島は腐ることなく淡々と学会活動を行っていた。夫人の精子(せいこ)に対する創価学会の的外れな批判については後日紹介する。