戦後に再出発をした創価学会が日本最大のマンモス教団に発展したのはなぜか? 戸田~池田のリーダーシップに要因を求めるのはいささか皮相的である。それだと750万世帯達成以降の停滞を説明できない。たぶん座談会に集合知と創発があったのだろう。私は小学1年生の時(1970年/昭和45年)から座談会に出席してきたが、当時はもう面白い集まりではなかった。体験談のソノシートなんぞを活用するようでは目ぼしい体験談も少なくなっていたのだろう。小学生の私にも発言する機会は与えられたが、退屈で時間がダラダラ流れている印象しか持てなかった。
こうした経験から青年部となってからは座談会を盛り上げることに全力を傾注した。効果は直ぐに現れた。座談会を充実させるのは意外と簡単である。本気で「盛り上げよう」とする人間が一人いればいいだけのこと。
・当時の写真
座談会そのものは既に広布第二章の時点で原動力ではなくなっていた。座談会と真剣に取り組む中で直感したことは、家庭指導の中身がそのまま座談会に表れる事実であった。そして家庭指導が形式化し連絡伝達のレベルに堕した時、創価学会の発展は止まった。
複雑性経済学に収穫逓増(ていぞう)という現象がある。初期条件のわずかな違いが大きな差となって市場を固定化(ロックイン)する。代表的な例はビデオ市場におけるベータマックス(ソニー)とVHS(日本ビクター)の規格を巡る競争であった。これは「よい商品が必ずしも売れるとは限らない」例としても有名だ。製品としてはベータが優れていたが、ソフト数の多いVHSをレンタルビデオ店が選んだことでベータが敗れた。少しのソフト数――しかも実態としてはエロビデオの数――が命運を分けたのだ。
収穫逓増はどの分野にも見られる。宗教も例外ではないだろう。戦後、雨後の筍(たけのこ)のように現れた各教団の中にあって、創価学会は座談会というコミュニケーションと『折伏教典』という理論武装によって一歩抜きん出た存在となった。それが後々、日本国内の宗教市場における占有につながったのだろう。
ミクロレベルで考えると、創価学会が発展した要因は「面白い人がたくさんいた」(※過去形)ことに尽きる。ネットワーク理論のハブとは極端につながりの多い人、つまり折伏の強い人を示すが、現実的な要素としては「魅力的な人間関係の構築」に軍配が上がる。
座談会・個人指導・家庭指導からコミュニケーションが失われ、面白い人がいなくなれば、創価学会は自然に滅びる。それはゆくゆくあらわれる現象ではない。今、目の前で静かに進行しているのだ。