2016-01-28

「言葉と、生きていく」聖教新聞




谷川●ところで、この座談会や寸鉄などについて「言葉遣いが強すぎるのではないか」「犬畜生とか、表現が差別的ではないのか」と心配する声が、たまにあるな。

原田●最近は、みんなよく分かってきて、ずいぶん少なくなってきたが(笑い)。

秋谷●だいたい「差別」と言うなら、あの信徒差別の日顕宗だ(爆笑)。

青木●その通りだ。文句があるなら、まず日顕宗に言ってもらいたい(大笑い)。そもそも、日蓮大聖人の御書は全編、これ「正義の怒り」だ。「悪への破折」じゃないか。それはそれは厳しい言葉で仏敵を呵責されている。

谷川●たとえば、このように仰せだ。
「蚊(か)蚋(あぶ)蝦蟆(がま)の法師なり」
「蝙蝠鳥(へんぷくちょう)のごとし鳥にもあらず・ねずみにもあらず」
「梟鳥禽(きょうちょうきん)・破鏡獣(はけいじゅう)のごとし」
「牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず」等々。

弓谷●「当世牛馬の如くなる智者どもが日蓮が法門を仮染(かりそめ)にも毀(そし)るは糞犬が師子王をほへ癡猿(こざる)が帝釈を笑ふに似たり」等とも仰せだ。

【聖教新聞 2005-07-08付】

 文脈を無視した意図的な切り文であることについては「善無畏三蔵抄」に記してある。私は折を見て主要な学会批判本を読んできたが、その下劣さにおいて聖教新聞の紙上座談会にまさるものは一冊もない。ま、谷川某はここまで言い切ってしまったわけであるから、同じ目に遭うことはきっと覚悟しているのだろう。「悪口にまみれて、生きていく」聖教新聞。