2014-12-28

密教の暴力性~度脱(ドル)

 しかも、ただ単に翻訳家にとどまらず、彼自身がすぐれた霊的能力の持ち主であり、実践をなによりも重視する密教の導入に欠かせない逸材といってよかった。
 そのドルジェタクには、しかし、闇の部分があった。彼は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身(けしん)にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を主導とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。彼が用いた秘儀を「度脱」(ドル)という。度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土(じょうど)へ送り届けるというものである。ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した。

【『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』正木晃(講談社選書メチエ、2002年)】

 ここに密教の暴力性がある。オウム真理教のポアと一緒だ。確かに人間を「業の当体」と見れば、悪業を積む人間の殺害は正当化が可能である。ただし法の二重性に注意する必要がある。ブッダが説いた法はダルマであるが、教団内や社会におけるルールは律法である。

 戒律については思索していた時期があったが、さほど深まることはなかった。








 本来の戒律はサンガ(ブッダを中心とする共同体)が社会に依存してゆく上でのモラルであったと思われる。ところが現代宗教における戒律は教団の権力機能を有しており、事実上「村の掟」と化している。

性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光 (講談社選書メチエ)