反証可能性という緊張感は、安易な絶対性を斥ける。懐疑とは、真理に対する謙虚さの現れ。盲信や狂信を支えているのは、懐疑と無縁な確信。 RT @ujikenorio: K・ポパー卿が指摘する通り、どこかに「反証可能性」という余地を残していない思想というのは、哲学でも思想でもない。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 28, 2010
「組織宗教があからさまな敵意に値する理由は、ラッセルのティーポットへの信仰と違って、宗教は強力で、影響力があり、非課税であり、自分で防御するには幼すぎる子供に組織的に伝え渡されていくからである」 ― リチャード・ドーキンス
— 無神論bot (@Atheist_JP) November 10, 2013
これは知らなかったな。/ラッセルのティーポット - Wikipedia http://t.co/1X0jMapAjQ
— 小野不一 (@fuitsuono) November 10, 2013
宗教は必要か
・人文でも反証可能性が問われるのか