創価学会の若者の生の声。とても学びになる。RT
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
早く寝ないといけないのに、創価学会の若者、やながーさんとニー仏さんの対話が面白かったので最後まで聞いてしまった。等身大の一創価学会信徒による話は、信じるとは何かとか、「元気になる」とはどういうことかなど、さまざまな課題を与えてくれた。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
わたしのところに相談に来る人は元気がない人、絶望的に元気を失っている人が、けっこういる。そういう場合に「元気になること」を目標にできるのかどうか。創価学会では、それがおそらくできるようなのだ。わたしには、少なくとも今のところだが、それはできない。これはじっくり考えないとな。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
創価学会が多くの人に支持されたのは、教理等もさることながら、そういう「元気になる」ことへの分かりやすいプロセスがあったからだろうと、やながーさんによる組織や機構の説明からうかがえた。一方で、力を得たいとわたしのところへ来て、力を得られず、失望して去った人も何人かいる。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
プロテスタント的な牧会では、祈りつつそばにいることに基本ラインがあるのだろう。悲嘆する人の環境の改善は、その次の段階になる(なってしまう)。しかし事態の改善に具体的ビジョンを示すことができる宗教は、絶望する人に対してスピーディに助けを与えることができる、ということもあるのだろう。
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どちらがいいか悪いかということではないとは思う。これはわたしの体験的直観だが、今は元気になりたくない人、改善するかどうかはどうでもいい、とにかく話を聞いてほしいだけ、という相談者も、よく教会には来るからだ。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
もちろん、こうしたことはすべて「相談者」についての話でしかないのであるが。あくまで氷山の一角的な。
— 沼田和也 (@nobeoka_apostle) September 2, 2013
やながー君、ご活躍の由。この牧師は鋭い。「元気になる」ことへの分かりやすいプロセス=プラグマティズムである。