善と悪の相対論1 善と正義は異なる。泥棒の世界では盗むことが正義だ。対立関係において正義は反転する。アメリカの正義はイラクにとって悪と化す。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪2 社会と集団との利益が一致しないことは多い。人は所属する集団内の利益を優先しがちだ。例えば官僚。省益のためとあらば税金の無駄遣いは奨励される。小善に手を染めて大悪を犯しているといえよう。組織は入れ子構造となっているので、入れ子の数だけ小善⇒大悪関係が成立している。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪3 善悪を数学的に捉えてみよう。大悪に反対する小善は大善となる。もう一歩考えると大悪に対抗する小悪も善となる。後者は例えば警察による暴力行為など。暴力団を摘発する際の暴力を我々は容認する。取り敢えず善と正義を曖昧にしたまま議論を勧める。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪4 営業マンは物を売ることが正義である。オウム真理教の組織内ではサリンを撒くことが正義だった。戦争ではより多くの人々を殺戮することが正義である。ここに集団の論理を解く鍵がある。集団内ではいじめに加担するのが正義となるのだ。自分が集団内で生き延びるために。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪5 では悪100に対して悪99が反発した場合はどうなるだろう? 善1となるのか? そうかもしれない。両者の間では成立するだろう。これを小善マサオ(仮名)が観測した場合はどうか? 両者の違いは微小となる。大善ヨシコ(仮名)からすれば誤差の範疇だ。目糞鼻糞を笑うといったところか。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪6 もっと極端にしてみよう。悪100と悪99.999…(無限に続く)に違いはあるか? 限りなく「ない」。だとすると、0.000…(無限に続く)1悪と0.000…(無限に続く)1善はどうだろう?これまた差異が消失する。つまり善悪はグラディエーションを描くのだ。間はゼロに近づく。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪7 四角形の右側を黒、左側を白く塗る。真ん中の境目を電子顕微鏡で拡大してゆけば、そこはグラディエーションを描いている。地図の海岸線を拡大し、砂粒まで拡大し、原子まで拡大するようなものだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪8 間(あわい)は淡い(笑)。現代社会は善悪のグレーゾーンが拡がっている。灰色は白からすれば黒に見えるし、黒にしてみれば白く見える。観測者の位置(=運動)によって善悪は色彩を変える。これが善悪の相対性理論だ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪9 世界に善悪は満ちあふれているのだが、総和がゼロ(ゼロサム)になるわけではない。ところが国家という枠組みが国益を求めて善悪を経済レベルに貶(おとし)めている。つまり政治が経済に取り込まれたのだ。ある国の利益は別の国の損失を意味する。貿易赤字&黒字。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪10 人々は政治と経済の影響から免れない。日常の価値観から思想・信条に至るまで影響を被る。先鋭化した正義がナショナリズムとなってそこここに現れる。国家の数だけナショナリズムが存在することを軽々しく考えるべきではない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪11 ウーム、まとまらなくなってきた(笑)。ま、そんなものが善であるはずがないのだ。善はどの時代の誰が見ても善であるはずだ。道端に落ちているゴミを拾う。重い荷物を背負っている人がいれば手伝ってあげる。空腹の人がいれば分け与える。これが善だ。だが私は飢えた人々を放置している。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪12 情報化社会は我々を悪の傍観者に仕立てる。不幸な人々がいるのを知りながら、私は指をくわえてテレビに見入る。無力感が自分をアトム化してゆく。断片化した人間は集団に隷属せざるを得ない。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪13 善悪が相対する位置にあるなら、善は悪に依存している。ウルトラマンの正義を支えているのは悪い怪獣だ。怪獣がいなければウルトラマンは失業する。しかし身長が高すぎてハローワークに入れない。こうしてウルトラマンはM72星雲に引きこもるのであった。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
善悪14 考えようによっては生きることそのものが悪である。食料を必要とするからだ。他の生命と引き替えにして、私の生が成り立つ。草木は生きて酸素をつくり、死んで土を肥やす。ここに善のヒントがあるように感ずる。以上
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
宗教的なヒエラルキーは一神教的発想と本仏思想から生まれたものだと思う。神仏に対してさえ、上下関係を築こうとする人間の性(さが)が恐ろしい。1位を設定するのは比較している証拠である。比較における1位は絶対性とは似て非なるものだ。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 10月 17, 2010
・パラダイムシフトについて考える
・メッセージを発信する者のリスク