帝国議会での審議中、共産党の立場が注目されます。よく知られているのが、1946(昭和21)年6月28日のいわゆる吉田・野坂論争といわれるものです。同日、共産党を代表して野坂参三が衆議院本会議で、つぎのような質問をしました。
「戦争には我々の考えではふたつの種類、ふたつの性質の戦争がある。ひとつは不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満州事変以後に起こしたあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が自国を護るための戦争は、我々は正しい戦争といってさしつかえないと思う。中国あるいは英米その他の連合国、これは防衛的な戦争である。いったいこの憲法草案に戦争一般抛棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の抛棄、こうするのがもっとも的確ではないか」
この質疑に対して、吉田首相は以下のように答えました。
「戦争抛棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくの如きを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。ゆえに正当防衛権を認むることが偶々(たまたま)戦争を誘発する所以(ゆえん)であると思うのであります。ご意見の如きは有害無益の議論と私は考えます」(『官報号外』昭和21年6月29日、第90回帝国議会衆議院議事速記録第8号)
【『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修〈にし・おさむ〉(海竜社、2015年)】
日本共産党の唯一まともな見識として有名な発言である。戦前に外交官であった吉田茂が戦争に反対したことをもって平和主義者と誤解する向きがあるが、彼が志向したのは「勝てる戦争」であって勝ち目がないと判断して反対しただけに過ぎない。上記発言に関しても後にしらばっくれて平然としていた。戦後の日本を牽引したのは間違いなくマッカーサーと吉田茂であるが、吉田は老練な寝業師であった。吉田発言は芦田修正を完全に無視した暴言で、冷戦が激化する4年後の1950年元旦にマッカーサーが完全に否定した(「日本国民に告げる声明」)。
この演説のなかで、(※野坂参三は)第9条についてつぎのように言い切っています。
「当草案は戦争一般の抛棄(ほうき)を規定しております。これに対して共産党は他国との戦争の抛棄のみを規定することを要求しました。さらに多国間の戦争に絶対に参加しないことも要求しましたが、これらの要求は否定されました。この問題は我が国と民族の将来にとってきわめて重要な問題であります。ことに現在の如き国際的不安定の状態のもとにおいて特に重要である。現在の日本にとってこれ(西注:政府草案第9条)は一個の空文にすぎない。われわれは、このような平和主義の空文を弄する代りに、今日の日本にとって相応(ふさわ)しい、また実質的な態度をとるべきである考えるのであります。要するに当憲法第2章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない」(『官報号外』昭和21年8月25日、第90回帝国議会衆議院議事速記録第35号)
なんと、現在の第9条を「一個の空文」であり、「民族独立の為に反対しなければならない」と明言しているではありませんか。「守ろう! 憲法9条」のポスターを張りめぐらし、憲法第9条の改正に絶対反対を唱えている現在の共産党と、いったいどこにどんな接点を見いだすことができるのでしょうか。
吉田茂は何よりも経済を優先した。当面はアメリカに軍備を肩代わりさせておいて、経済復興が成れば憲法を改正するつもりだった。まだ東大生だった佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉が直談判して本音を聞き出している(『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』2016年)。
自衛戦争は正当防衛の権利と見なすことができよう。西は自衛隊を軍隊と認識しているがそう簡単な話ではない。「自衛隊には敵基地攻撃能力はない」というのが政府見解である。つまり現行憲法下で戦争になることは本土決戦を意味するのだ。こんな馬鹿げたことはあるまい。相手が殴るのを待っているような姿だ。国外に出ることのできない自衛隊を軍隊と認めるのは難しい。国民が100人以上拉致(らち)されても何もできない軍隊があってたまるか(因みに拉致被害は警察事案であった)。
現在行われている米中貿易戦争が日中戦争の導火線となるに違いない。米軍が沖縄から撤退すれば中国は直ぐに動くはずだ。