日本国憲法の最大の問題点と言わざるを得ないのは、この憲法がどうやってできたかという制定過程をほとんどの国民が知らないことです。そして制定過程を知らないままに、憲法改正の議論が始まっていることです。
では日本国憲法は一体どうやってできたのかというと、これはやはり大東亜戦争にまでさかのぼります。大東亜戦争で日本が敗れ、日本はポツダム宣言を受諾しました。こうしてアメリカを中心とした占領軍の占領下に入ります。この占領下でつくられたのが日本国憲法だったわけです。
では、どのような方針に基づいてつくられたのかということですが、アメリカの国務省・陸軍省・海軍省の調整委員会(SWNCC)の資料を読むことで、彼らの意図を明らかにすることができます。
「SWNCC150/4/A文書」には日本をどのように占領するかということが書かれていますが、その内容は次の通りです。
「日本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界ノ平和及安全ノ脅威トナラザルコトヲ確実ニスルコト」
要するにアメリカの対日占領方針というのは、日本が絶対にアメリカの脅威にならないようにすることが一番の目的でした。
【『だから、改憲するべきである』岩田温〈いわた・あつし〉(彩図社、2013年)】
岩田は30代の保守系論客である。チャンネル桜の討論会で知り、すぐさまその語り口が気に入った。しかもゴリゴリの保守に見られるような偏狭な愛国心とは無縁で、柔らかな頭脳の持ち主である。
21世紀に入り戦後憲法はGHQによって作られたという事実が広く知られるようになったが、1956年(昭和31年)には中曽根康弘が「憲法改正の歌」を作詞し「マック憲法」と歌っている。
日本側から提出した複数の憲法草案はいずれもマッカーサーが見るなり直ちに却下した。明治憲法と変わらなかったためだ。
GHQは一般国民に気づかれぬ形で巧妙な言論統制を行った。最初に発行禁止処分を受けた朝日新聞が寝返った。更には戦前に刊行された約8000冊の書籍を没収し焼却した。いわゆる焚書(ふんしょ)である。筆を折らなかったジャーナリストは一人もいない。NHKラジオでは「真相はかうだ」とのプロパガンダ番組を放送し、旧日本軍が行ってもいない蛮行(ばんこう)を喧伝(けんでん)し続けた。このようにして日本の伝統は滅ぼされたのである。