2018-10-05

遺産相続を巡るトラブル

平尾昌晃さん60億遺産バトル「平尾勇気」が後妻を憎む理由

 作曲家・平尾昌晃さん(享年79)の一周忌から2カ月。三男で歌手の平尾勇気(37)が、60億円といわれる遺産バトルの口火を切った。
 父のマネージャーを長年務め、亡くなる数年前に入籍した後妻・Mさん(50代)が、父の著作権や音楽事務所を独り占めしようとしていた、と勇気は主張。記者会見で「顔も見たくない」と言い切った。

10/4(木) 6:01配信 SmartFLASH

 平尾昌晃は創価学会員であるが、戸田城聖の遺産を巡る係争と酷似している。やはり巨額のカネが人を狂わせるのだろう。戸田は生前、妻の幾子に「印税と株式投資の儲けで4億円の資産がある」旨を語っていた。ところが戸田の死去の翌日に妾(めかけ)であったM(大蔵商事専務理事)によって名義が書き換えられていた。すったもんだの挙げ句、「戸田の資産は8000万円でそのうち2000万円を遺族に渡す」ということでケリがついた。尚、戸田の葬儀に寄せられた香典も池田が押さえ、遺族に3600万円が渡されたのは6月に入ってからのことだった。更に戸田の遺品についても池田と白木薫次〈しらき・しげじ〉(※池田の義父)が中心となって勝手に持ち出した。次期会長に譲られるという日本刀もこの時トラックに積まれたもの。

「(池田が)参謀室長当時、戸田先生が一年間病気の時期があった。暗い時代でもあった。小泉(隆)さんが理事長。ギア(が)はまらなかった。どうしようもなかった。空中分解寸前だった。戸田先生が亡くなられたとき、小泉理事長はいても、一寸先は闇で、わからなかったといっていた」(昭和50年〈1975年〉9月28日、箱根研修所で、内部文書)

 小泉は池田の会長就任に「待った」を掛けた人物である。池田は会長になるとまず最初に影響力が大きい戸田門下生を次々と公明党の議員にして会長職の安泰を築いた。

 昭和33年の大卒初任給が約1万3500円である。半分の2億円が印税だとしてもべら棒な金額だ。現在であれば100万部でおよそ1億円の印税が入ると言われる。戸田の生前に何冊の著書があったのかは知らないが、法悟空名義の『人間革命』と『獄中記』だけで大金が入るとは考えにくい。『折伏教典』や『御書全集』も印税が発生した可能性がある。

 戸田の金融会社は学会の中に犠牲者を生み、多数の脱会者を出すに至った。信者から搾り取ったカネで利殖に励んでいたとすればもはや宗教企業といってよい。

池田大作「権力者」の構造 (講談社+α文庫)
溝口 敦
講談社
売り上げランキング: 226,076