2018-04-10

言論出版妨害事件を経て創価学会は革新政党と手を組んだ

公明党は当初、自民党の候補を支持することが多かったのですが、1970年代に入ると革新政党を支持することが多くなります。その背景にあったのが言論出版妨害事件です。

――言論出版妨害事件とは?

1969年に藤原弘達明治大学教授が、公明党の支持基盤である創価学会を批判する本を出版しようとしました。これに対して、公明党や創価学会が藤原氏に圧力をかけたり、自民党の田中角栄幹事長に働きかけたりして、藤原氏の著書出版を妨害しようとした事件です。

公明党の台頭を警戒していた他の野党は、一斉に公明党・創価学会批判に乗り出します。そうしたなかで、公明党は他の野党と歩調を合わせることによって、批判を乗り越えようとします。

こうして当時、都市部の首長選挙でキャスティングヴォートを握っていた公明党が革新政党側についたことで、革新首長が誕生しやすくなっていたのです。さらに都市部に移り住んだ新住民は病院や学校といった社会資本の不足や公害の被害に苦しんでいる者が多く、とくに支持政党がない者でも、産業の発展を優先させる自民党に代わる政治を求める傾向が強かったという事情も、革新自治体誕生に貢献したと思います。

「お任せ」の政治から脱却するために――革新自治体という経験から学べること 『革新自治体』著者、岡田一郎氏インタビュー