創価学会は組織主義である。本来であれば信心根本なのだが、組織につかなければ正しい信心をすることはできないとの論法である。和合僧=組織と改竄することで、学会本部や組織に異を唱えることを五逆罪のレベルにまで引き上げた。
前にも少し書いたのだが五逆罪は尊属殺と同じ概念で、個人的には全く重視していない(五逆罪と尊属殺)。むしろ子殺しの伝統を認めているようで違和感すら覚える。あのプーラン・デヴィですら、身内には手を掛けることができなかった。不殺生戒は正しいと思うが、殺父(しぶ)・殺母(しも)と取り立てて別枠にする必要はあるまい。結果的にカースト維持を促進するように思う。
大体、設定そのものがおかしいだろう。父・母・阿羅漢以外を殺せば五逆罪とならないわけだから。殺阿羅漢は社会的損失を意味しない。サンガ(和合僧)は出家(脱社会)集団であるゆえに。破和合僧も「犀(さい)のようにただ独り歩め」との教えと整合性がとれない。
五逆罪を犯せば地獄に堕ちるとされるが、要は悟りを開けないということなのだろう。ところが三逆罪を犯したデーヴァダッタ(提婆達多)は『法華経』提婆達多品第十二で天王如来となることが予言される。はっきり言って滅茶苦茶である(笑)。尚、クマーラジーバ(鳩摩羅什)訳の妙法蓮華経に「提婆達多品」は存在しない。
以下に具体的な事件を挙げる。私はいずれも正当防衛であると考える。
・板橋両親殺害事件
・大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
・南幌町家族殺害事件
・南幌町母・祖母殺害事件まとめ
・矢板・実父殺し事件
・尊属殺人罪(刑法200条・親殺し)が消えた理由
・18歳の時に実の親父殴り殺したけど質問ある?
特に最後のリンクは殺害後の苦悩が赤裸々に綴られていて人の心の不思議を思わずにはいられない。
毎年、50人前後の子供たちが殺されている(子ども虐待について 統計データ)事実を思えば彼らはサバイバーである。よくぞ生き延びたと称賛したい。
小林節は「自分であれば新しい池田教をつくる」と語ったが、池田教・創価教から離れない限り滝川さんの悩みは解決し得ない。師匠=善、組織=善との思い込みが瞳を曇らせるのだ。私からは鹿野武一〈かの・ぶいち〉の言葉を贈ろう。
クリシュナムルティを除けば、ここ数年間でこれが最も強烈な言葉であった。鹿野武一〈かの・ぶいち〉は孤にして絶なる人間性の山頂を示した。/“「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」” http://t.co/2YC1DDfu
— 小野不一 (@fuitsuono) 2012年11月22日