2016-07-02

組織の論理

一切の服従は邪悪である

「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」

【『国家の罠』佐藤優(新潮社、2005年/新潮文庫、2007年)】

 取り調べ検事の科白(せりふ)である。米原万里の書評と井上ひさしの後押しを受けて佐藤優のデビュー作はベストセラーとなり、「国策捜査」との言葉を世間に知らしめた。米原は元ロシア語通訳の人気エッセイストで、井上は米原の妹と結婚している。ま、極左人脈といってよい。佐藤優は該博な知識の持ち主で掴みどころのない人物であるが、基本的には左翼だと私は見る。対談本も多いが対談者には一定の傾向があり、相手のファン層まで見据えていることがわかる。創価学会や公明党を持ち上げるのも左翼目線である。

 西村尚芳検事の発言は権力側に身を置く者が組織の論理を語ったものだろう。こうした検察の思い上がりが後に凜の会事件となり村木厚子を犯罪者に仕立てた。

 組織の判断は絶対ではない。時に誤ることもある。簡単な例を示そう。

 牧口は堀米(後の日淳)との確執を乗り越えることができなかった(牧口常三郎と堀米泰栄)。

 戸田は婦人部幹部の発言に惑わされて原島精子(宏治夫人、嵩の母)の処遇を誤り、後に謝罪している。

 池田は言論出版妨害事件(1960年代末から1970年代)を起こした。出版者から取次店~書店に及ぶまでの圧力は会長の指示なくしてできるものではない。この事件に関わった創価学会員は数多くいると思われるが、今日に至るまで反省の弁を聞いたことがない。次に細井 vs. 池田紛争を仕掛けたが頓挫する。「在家であっても供養を受ける資格がある」(第9回教学部大会記念講演「仏教史観を語る」1977年1月15日、関西戸田記念講堂)との言明はカネを巡る問題であり、創価学会の資産形成を目的としている。そして会長を辞任する際には「創価学会の財産は池田家の所有である」との念書を取った(公明党が自衛隊を容認するに至った経緯)。阿部 vs. 池田紛争(1990年)で日蓮正宗と袂(たもと)を分かち、創価学会のカネは宗門への流出を防ぐに至る。バブル景気(1980年代後半)に財務の合計金額は1000億円を突破、平成(1989年)に入ると納金は銀行振込へと変わった。こうして俯瞰すると、やはりカネの問題だ。バブルが弾けると聖教新聞の購読推進~マイ聖教という形でカネを徴収し、『池田大作全集』の発刊で会員は同じ書籍を二度買わされる羽目となった。

 会則で「永遠」と位置づけられた三代会長ですら判断を誤るのだ。それ以下においては何をか言わんやである。

 明らかな犯罪性がない限り、除名処分は不当であると私は考える。除名・活動停止・役職解任の判断を誤れば創価学会は謗法の団体と化す。無責任な幹部は歯の浮くような言葉で創価学会を称賛するが現実を変える力はない。会員の心には雲が掛かり、何をどう頑張ったところで結果は出ない。

 私の経験からいえば、組織の判断に異を唱える場合、婦人部幹部は全く当てにならない。女性は組織に額づく傾向がある。上層部と喧嘩ができない。

五逆罪に関する疑問

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)