学校に例えてみよう。この学校とは義務教育ではない。高校や大学、あるいは専門学校と考えてもらえばよい。考えられる要素は次の通りだ。
入学したばかり、進級中、留年、停学、退学、そして卒業である。私が問題にしたいのは退学である。
自主退学と処分としての退学との二つがある。進むべき道を見出して学校を去った人に後顧の憂いはない。ところが「退学させられた人」や進路を見失った人々には学校への遺恨が形成される。ここから彼あるいは彼女たちは、学校の評価を貶(おとし)めることに力を注ぐ。その殆どは自分のマイナス感情を補完するものでしかない。つまり「変わることのない惨めな自分」への言いわけが批判という形で開陳されているのだ。
卒業しない自由はもちろんあるが、やはり卒業することが望ましい。
自分なりに一生懸命努力しているようでも、実はねずみ車をひた走るハムスターみたいな人々が多い。多すぎるよ。そのセンスのなさが致命的だ。
これは「不勉強な君」への個人的なメッセージだ。