(昭和18年)牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師と議論し、「もう貴僧の指導は受けない」と席を蹴(け)って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率(ひき)いられる創価教育学会は茲(ここ)で日蓮正宗と縁が切れ、後に戸田氏が宗門に帰参してからも、学会は寺院を離れた独自の路線をとることになった(『畑毛日記』)
【僧侶軽視、血脈軽視の独善体質:法蔵】
堀米泰栄は後の日淳。『畑毛日記』とは「直達講(講頭・三谷素啓氏、牧口氏も同講に所属していた)の副講頭であった竹尾清澄氏の著作」とのこと(『畑毛日記』)。知られざる歴史が次々と明るみに出る。
・組織の論理