・自解仏乗
又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をもたもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらばよもあわじとをもひて各各にも申さざりしなり。
【「三沢抄」真蹟なし、日興写本あり】
少し前に「学術部からの応答に期待するものである」と書いたのだが、「そんな重要なテーマがあったか?」と言われそうなんで箇条書きにしたところ、上手くいかなかった。10や20は直ぐ浮かぶのだが、やはり悟りに関する事柄が膨らんでしまうためだ。本来であれば創価学会の歴史をさかのぼって指摘すれば格好よいのだが面倒なんで日蓮から始めることにした。
はっきり言っておくが私はこの手の論難に情熱を抱いているわけではない。その上正しい答えを求めているわけでもない。ただ、「何だか変だよな」という程度の目配りである。本音を言えば「少しくらいは、ものを考えたらどうなんだ?」という親切なアドバイスだ。
佐前佐後というタームが日蓮系全体で共有されているのかどうかは調べていない。上行菩薩の再誕とか久遠本仏は科学的に証明できないため斥(しりぞ)けておく。
日蓮がいつ悟ったかについては定かではない。考えられるのは三つである。
生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば八宗竝びに一切経の勝劣粗是れを知りぬ。
【「清澄寺大衆中」真蹟】
これが16歳とされる。次に立教を示した31歳、そして佐渡流罪(49歳)である。
まず問題なのは本抄が私信であることで、三沢個人に向かって言っているのか、門下全体に示しているのかがまったくわからない点だ。
三沢個人に限定すると話が進まなくなるので、門下全体という前提にしておく。
私だったら「いい加減にしろよ」と思うことだろう。データベースもなければ、検索すらできない時代なのだ。突然、「今までのは爾前経ピョン」と言われたら私ならキレる。間違いなく。
日蓮本人が前言を撤回したわけだから、佐渡以前の日蓮は【悟っていなかった】と断定してよい。だが佐前佐後は日蓮の立場が変わったとするだけで悟りの内容にまでは誰一人立ち入っていない。
佐渡流罪以降、大きく変化したのは本尊制作という一点のみだ。
ここから導かれる結論は簡単だ。南無妙法蓮華経の題目そのものは悟りではないという事実である。
以上
・聖人御難事 第一章 出世の本懐を宣べる : 創価教学研究室(赤鬼のブログ)