相手が動物だと安楽死のハードルが下がるな。/老いたペットとどう向き合うか NHKニュース http://t.co/B3bX5DDfSA
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
動物だと安楽死のハードルが下がるのは「意味が薄い」ため。家族の安楽死をためらうのは「意味が濃い」ためだ。その意味の中心にいるのが私という名の自我。つまり自我とは意味なのだ。ゆえに無意味であることが耐えられない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
安楽に生きることを求めるのであれば、安楽な死を願うのも当然だろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
諸法無我とは我に意味がないということではなく、意味から離れるという次元を示したものだろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
殆どの哲学や宗教が志向しているのは「死に意味を持たす」ことだろう。それ自体が徒労であるとは思うが。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
生に意味がなく、死にも意味がないとすれば、存在するのは「今」だけとなる。「今」が刻々と瞬間瞬間流れてゆく。これが諸行無常だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15
スピリチュアリズム(心霊主義)とは、死後の存在を信じる思考と態度のこと。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 15