2014-09-26

創価学会の対外的な成果

 これは何と言ってもチャイナコネクションとユダヤ人脈を形成したことに尽きるだろう。しかもほぼ同時に行われている。周恩来・竹入義勝会談が1971年、池田第一次訪中が1974年、そしてキッシンジャー・池田会談が1975年のこと。キッシンジャーは日中国交回復を実現させた田中角栄に激怒していた。「田中程度なら、いつでも取り替えられる」と発言したのは1976年。そして彼自身がロッキード事件を引き起こしたことまで公言している(『朴正煕と金大中 私の見た激動の舞台裏』文明子:阪堂博之訳)。キッシンジャーといえばチリ共和国のアジェンデ政権を葬った男である(チリのアジェンデ政権とCIA工作)。キッシンジャーはたぶん創価学会の反共意識を探りたかったのだろう。そして創価学会にはアメリカにおける布教という課題があった。後年、笹川良一は反共という点で創価学会を高く評価している。その後もキッシンジャーとの交友が続いている事実を見れば、二人の思惑は一致したと考えてよさそうだ。アメリカ創価大学が開学した際に子ブッシュ大統領からメッセージが寄せられたが、これなんかはアーマンド・ハマー(ロシア系ユダヤ人)の石油コネクションと思われる。

 創価学会の基本的なスタンスは「マッカーサーを評価している」という一点から考える必要がある。当時は一部の共産党員も万歳をしてマッカーサーを歓迎した。この姿勢は牧口の「わたしが嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ」(『人間革命』第一巻)との言葉と矛盾している。戦前の創価学会には明白な愛国心があった。ところが戦後になると平和の看板を掲げて愛国心は引っ込めてしまった。それどころか世界市民というキーワードを用いることで否定的に扱ってきたといってよかろう。

 思いつくままに書いたが、このあたりが今後、創価学会にとってボディブローのようなダメージをもたらすような気がする。

韓国併合や創氏改名の誤謬