2021-03-03

「遠藤文書」を読む その一

宮田論文に関する覚え書き
「先輩からの手紙」に思うこと

 ・遠藤文書
 ・「遠藤文書」に関するメモ
 ・遠藤文書にみる長谷川重夫(次期理事長候補)という人物について
 ・「教学部レポート」を読む
 ・「遠藤文書」を読む その一
 ・「遠藤文書」を読む その二
 ・大御本尊決別「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
 ・長谷川重夫……池田の筆頭茶坊主、ゴマすり男の見本

友岡雅弥氏の死を悼む

「遠藤文書」に関しては以下のページを参照した。

総合教学部長・SGI 教学部長の遠藤孝紀副会長が副理事長宛てに提出した質問文書

 硬い文章からも何となく伝わってくるが遠藤は小物である。副会長という肩書を見て私がびっくりしたほどである。「河合一〈かわい・はじめ〉師範が副区長なのに」と言いたくなる。教学を除けば遠藤や須田あたりは本部長のレベルだ。たぶん両者とも区長(=圏長)を経験していないだろう。その遠藤が執行部に物申したのだから大したものだ。心から立派だと思う。できそうでできないことである。

 私は今となっては創価学会の教義に何の興味もないし、変えたいのであれば勝手に変えればいいという立場である。内紛も好きなだけやってもらいたい。何もないよりは断然面白い。権力闘争、大いに結構だ。死人が5~6人出るくらい頑張って欲しいと思っている。

 先月、長谷川本部長、谷川総長は、戒壇の大御本尊に関する教義変更について「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と明言されました。

 しかし池田先生は昨年、会則における大御本尊の記述変更の報告書に対して「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に御指導されています。

 この点について谷川総長は先月、大御本尊との決別は池田先生の御意志であったが、先生が途中で判断を変えられた等の説明をしていました。しかし、この御指導には、そうした曖昧な説明を許す余地は全くありません。

 遠藤の目的は大御本尊踏襲路線にあるので、その論理構成は理解できるが重大な見落としがある。それは「教義に違背すれば三代会長であっても謗法になる」との一点である。創価学会の内部的な議論はともすると法ではなく池田を巡る議論に傾く。正当ではなく正統を重んじるのは密教に由来する性質だ。

 上記テキストであれば「流れの様子を見る」などという池田の政治的なスタンスにこそ遠藤事件の本質があるのだ。そこを不問に付して「曖昧な説明を許す余地は全くありません」などと言ってしまうところに弱さがある。曖昧そのものだろう。

 大体、坊さんの書写したマンダラを拝んでいるのだから、今更理窟をこねたところでしようがあるまい。

 ま、執行部からすれば「遠藤如きが何を言い出すのだ?」という程度の反応だろう。手に取るようにわかるよ(笑)。

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