2014-07-31

江沢民派潰し

【※「江沢民派」に訂正】

 それにしても中国と創価学会はそっくりだ。

2014-07-30

イスラエル軍がガザ唯一の発電所を爆破

改宗によって失うもの




アンベードカル

本物と偽物

2014-07-29

プライドと自己放棄

 プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出だせば、ナポレオンやヒトラー、スターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)】

 マズローの欲求段階説を撃つ言葉だ。学校も企業も教団も同じ力学で動いていることがよくわかる。「情熱」を促す仕組みもここにあるのだろう。社会を支配するのは成功の物語である。そして万人に競争を促す。勝ち負けが不安を煽り、落伍の恐怖を漂わせる。エリック・ホッファーは独学で大学教授にまでなったが、沖仲仕の仕事もやめなかった人物として広く知られる。彼こそは真のアウトサイダーであった。

魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

頑張ってるのに幸せを感じない

2014-07-25

聖教新聞マルチ商法








 我慢大会で盛り上がるマゾみたいだな(笑)。生命保険の営業では「身内に売るようになったらオシマイだ」というジンクスが昔からある。創価学会員にこれほどの経済的負担を与えているのだから、憤死する聖教職員や販売店主が一人や二人いてもよそうさなものだが。ブラック企業には黒い連中しか存在しないということなのだろう。活動家の創価学会員全員が結果的に加担している。その意味をよく考えることだ。

2014-07-24

「ドン不在」創価学会で某重大論争

FACTA online 2014年8月号

「日蓮世界宗」を立ち上げ、「大御本尊」を創価学会の常住本尊に変更するらしい。ま、好きにやってくれ。

破門された直後に、「日蓮世界宗創価学会」「日蓮世界宗」の商標登録をしたことが発覚

学生諸君へ

2014-07-23

歪んだ正義

 狩猟民族の戯言(たわごと)だ。まったくアングロサクソン人に付ける薬はないな。




『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人

救われようとする者は救われることがない



2014-07-22

現実主義

イスラエルの子供たち

2014-07-21

「先輩からの手紙」に思うこと 9

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
・「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

 昨日書いたのだが、個人的な事柄に触れたところ文章が止まらなくなってしまった。やや感情に流されすぎているため、すべて割愛した。次回で一旦終了する予定。

 そして、その厳しい問いかけの中で、真に人類の福利に貢献出来る存在へと脱皮していけるか、それとも既成の諸宗派のように、社会に寄生する存在として、既得権益を守り続け乍らなんとか生きのびるのか、それとも、内紛と分裂を繰り返しながら、夫々にオカルト的小集団へと雲散霧消していってしまうのか、これから十年位の内にその方向はかなりはっきりしてくると思っています。

先輩からの手紙 11

 この手紙は別人に宛てたもののコピーである。書かれたのは1997年。池田vs.阿部紛争を経て、竹入・矢野バッシングをしたことで創価学会の世界宗教としての道は閉ざされたと私は考える。当時、1990年代半ばまで創価学会の世帯数は減少し続けた(※死亡者数が多かったため)。10年間で何があっただろうか。最大の事件は池田が姿を消したことである。しかも会員にすら事情は一切知らされていない。週刊誌などでは脳梗塞と囁かれているが、仮にそうであったとしても姿を見せない以上、長嶋茂雄よりも重篤な症状と思わざるを得ない。にもかかわらずSGI会長が代替わりしないのはSGI組織が実際には機能していない証拠だろう。

 組織的に行ってきたのは自民党との選挙協力と聖教新聞の購読推進(多部数購読)くらいで、それ以外に目立った動きはない。

 特筆すべきは池田が大阪で次期会長の名前を明らかにしたことだ。これが将来にわたって禍根を残すことになるだろう。指名された人物が会長になってもならなくても混乱を招くに違いない。

 創価高校、創価大学が定員割れした時が学会組織崩壊の兆しとなる。今は第二総東京の幹部が必死に何とかしているが。最終的には創価大学OBしか残らないような気がする。ま、その時は創価大学会と名称を変更すればよい。

サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト




 そしてナポレオン。彼の場合、「絵を買う人」というよりむしろ、戦争しては「絵を奪う人」というべきかもしれない。ルーヴル美術館には、未(いま)だナポレオンの戦利品たる名画の数々が並んでいる。とはいえ、彼だとて絵は注文した。もっぱら自分の肖像画だが。
 幸いにしてダヴィッドという優れた画家が同時代人だった。つまりこういうことだ――いかに傑出した君主であろうと、天才画家がそのとき存在していなければ、大衆の心にビジュアルとして刻印されるのは難しい。
 先述したエカテリーナ大帝にせよフリードリヒ大王にせよ、その強烈なオーラや個性を放つ肖像画を後世に遺(のこ)せてはいない。その意味でもナポレオンはラッキーだったのだ。
 彼はダヴィッドに言ったという。「顔など似ていなくていい、偉大さを伝えよ」
 それは「成り上がり」ゆえに支持基盤が弱く、大衆を味方につかねばならない皇帝が、プロパガンダとしての肖像画の重要性を熟知していたからこそだ。ダヴィッドがその期待に十分に応え、英雄としてのイメージを決定づけたことは、「アルプス越えのナポレオン」が証明している。ナポレオンといえば、多くの人がこのドラマティックな馬上の勇姿を思い浮かべるほどのインパクトだ。
 本作はヴァージョンも含めて、何と5点も制作されている(よく気に入ったのだろう)。それぞれマントや馬の色が違うだけで、あとはほとんど同じ。見分けはつけにくい。絵画は1点物だから価値があると信じていた人には少しショックかもしれない。

【「絵を買う人々」中野京子/日本経済新聞 2014年5月8日夕刊】

ジャック=ルイ・ダヴィッド サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト

 実際の峠越えはロバで行われた。創価学会が好む絵はプロパガンダであった。英雄主義には欺瞞がつきものだ。話は替わるが『新・人間革命』が連載されて少し経った頃、「挿し絵がどんどん気持ち悪くなっている」という声を聞いた。「北朝鮮っぽい」とも。言われた時は「フム、そうか」くらいしか思わなかったのだが、不要な美化をそれとなく感じる会員は確かに存在した。池田の肖像写真が初めて販売されたのは昭和58年だったと記憶する。私は「おいおい、売り物にするのかよ」と思い、購入しなかった。もちろん額縁用のものだ。肖像画やポートレイト(肖像写真)は偶像である。アイドルは必ず形となってファンを虜(とりこ)にする。であるがゆえにアイドル(偶像)と称するのだ。ナポレオンが20世紀に生きていればこんな絵になっていた可能性もある(笑)。


2014-07-20

『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』植木雅俊

仏教学者 中村元求道のことばと思想 (角川選書)

 洋の東西を超え、仏教に人類共通の智慧を求めた碩学、中村元。アカデミズムを超えて平易な言葉で仏教を説き、多くの人に慕われた人柄と、弛まざる学究の生涯をつらぬく〈普遍思想史への夢〉を、あざやかに描きだす。

2014-07-19

「先輩からの手紙」に思うこと 8

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
・「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

 八十九年一月は、昭和天皇の死がありました。
 そして、二月に大葬の儀。
 この時、聖教新聞の一面に全面を使って載った名誉会長名での「追悼の辞」。そして葬儀の時の公明党議員の神道儀式への参加。(社会党等はその間会場の外にいました。)

 私は、この新聞の内容と、神道儀式への参加を見て、(ああ、学会は本当に変質したのだ)と痛感しました。

先輩からの手紙 8

 初志に対する矛盾である。だが言論出版妨害事件の舞台裏が明らかになった現在、変質の根っこは第三代会長就任時にあったと考えるのが妥当だろう。「正本堂供養から池田さんは変わった」と語る日蓮正宗の古僧が多いがこれも誤っている。結党以降、公明党は「必ずや池田先生を首相として国会にお迎えいたします」と事あるごとに池田に誓った。つまり昭和40年代以降、創価学会の目的は権力奪取に舵を切ったと見てよい。

 その後の民社党との攻防、創共協定、池田vs.細井紛争と創価学会は謀略体質を強めていった。

「『歴史』を無視するものは、『歴史』によって、シッペ返しを受けるというのが鉄則だと思います」とあるが、山崎正友を最後まで重用(ちょうよう)したのは池田でありながら、誰一人その責任を追求することなく組織を挙げて山崎バッシングに走るのだから、何も考えていないと言わざるを得ない。

 その間、ゴミの山から見つかった謎の三億円金庫事件、ルノアールの絵をめぐっての不透明な三十数億円にのぼる三菱商事や画廊との取り引き、証券会社との利益保証事件での登場、オウム真理教事件で法改正がなされた、宗教法人法をめぐっての佼成会などとの共同歩調。等々。

先輩からの手紙 9

 捨て金庫事件で発見されたカネは帯封がされたものだった。こんなものが大石寺の売店の売り上げのわけがない。また損失補填(そんしつほてん)事件で明らかになったのは、創価学会が会員から集めた財務を投資運用している事実であった。宗教法人への課税強化を望む声が出るのも当然である。

 要するに「宗教は儲かる」、「大教団は大変なメリットがある」ということであって、また一般の会員も、もう互助会みたいなもので、「何もないよりは気休めになる」「ヒョッとして何か御利益があるかもしれない」「さぼっていて何かあったら困るから」等々の程度のもので、もう本当に日本的信仰になりきってしまっていると思います。

先輩からの手紙 10

 そして既に互助会ですらなくなりつつある。

 よく考えてみよう。キリスト教における寄付の目安は収入の10分の1である。創価学会では年収が300万円くらいでも100万円の寄付をする会員がいる。だったら機関紙や書籍は無料にしてもよさそうなものだが、すべて販売されている。きっちりとカネの回るシステムが構築されているのだ。新聞啓蒙をする目的は広告を維持するためだ。合理的に考えるなら、財務をなくして入館料を徴収すべきだろう。会員の金銭的負担は激減するはずだ。

 私も経験しているが、純粋な会員は食べるものを削ってまで寄付を行っている。その寄付金を学会本部は右から左に投資運用して増やそうと企(たくら)んでいたのだ。ヴァチカン並みの薄汚さだ。創価学会に既成宗教を批判する資格はない。

世界がパレスチナを無視

 イスラエルのガザ侵攻によってパレスチナ人の死者は既に300人を超えた。パレスチナ人は1948年以来、イスラエルによって殺戮され続けている。この大量虐殺はいまだ終焉していないゆえに名前もつけられていない。そして世界がパレスチナを無視している。


パレスチナ

2014-07-18

英『エコノミスト』誌「安倍首相にとって真の障害となっているのは創価学会だ」

佐藤優「公明党による本気の反撃とは?」

2014-07-17

うつ病に関するあれこれ








 また以下のようなケースもある。



 精神疾患に限ることではないが、物語の書き換えに失敗する人々が多い。こういうのは合理性で文脈を変える必要があるのだ。もしも私がうつ病になったら、「うつ病の原因は体温だ」と決めつけて、体温調節に挑むことだろう。具体的には運動や入浴・サウナ風呂などで日中に体温を上げておく。あるいは「うつ病の原因は食べ物だ」と断定して、一日一食&にんじんジュース+そばを励行し、サラダ油をマルホン太白胡麻油に、食塩を海の精に、砂糖を貿易屋珈琲店波照間黒糖粉末に変える。もちろん味噌・醤油も厳選することは言うまでもない。外食・加工食品・お菓子・清涼飲料水の類いは一切禁止だ。毒まみれだからね。

 それでも治らなかった場合、まだ打つ手はある。環境を変えるのだ。迷うことなく転職し、速やかに引っ越す。なるべく温暖な地方がいいね(笑)。家族がいようがいまいが関係ない。物事には優先順位があるのだ。ひょっとすると家族が原因になっているケースもあり得る。

 私は48歳の時に五十肩となったのだが1週間で治した。うつ病だって治るさ。

「体を温める」と病気は必ず治る―クスリをいっさい使わない最善の内臓強化法「食べない」健康法 (PHP文庫)

精神疾患について
心の病について

2014-07-16

イチロー選手、不動産投資トラブルで被告人に

『公明党の深層』大下英治

公明党の深層 (イースト新書)

 政権与党と「人間革命」50年史。公明党最高幹部、生の肉声とその権力構造。1964年の結党から半世紀。いまや巨大与党の一役を担い、「集団的自衛権」の容認問題はじめこの国の重要政策、国政選挙の勝敗のカギを常に握る政権与党が公明党である。1969年以来問われた、「政教分離」の問題から支持母体「創価学会」との政治と宗教の関係性を含めた巨大政党の深層を複数の最高幹部の証言から掘り起こす。政治と宗教へ目覚めたその生い立ちと人間性、その政治姿勢、歴代政権における政策決定の舞台裏まで描いた巨艦ノンフィクション。

2014-07-15

危機はどこにあるのか

 集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。具体的には日中戦争に向けて舵を切ったと考えてよかろう。公明党・創価学会が加担した事実は重い。

日本仏教

 キリシタン時代に日本にやってきた宣教師は、最初は日本の仏教が東南アジアの仏教と同じ起源をもつ宗教だと気がつかなかったほどです。

【『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』末木文美士〈すえき・ふみひこ〉(新潮社、1992年/新潮文庫、1996年)】

 別物と考えるべきだろう。日蓮思想といえども結局は比叡山の内部論理から導き出されたもので、ブッダから遠ざかり久遠本仏を奉るようになってしまった。神智学協会を比叡山とすれば、日蓮は星の教団という位置になる。いみじくも神秘時代に書かれたクリシュナムルティの著作『大師のみ足のもとに』には「オカルティズム(密教)」という記述がある。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

末木文美士

2014-07-13

2014-07-12

「先輩からの手紙」に思うこと 7

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
・「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

 ハッキリと言います。
 現在の学会活動をやめろとまでは言いませんが、別にしてもしなくても、罰もなければ、御利益があるのでもありません。
 福運が消えるわけでも、福運がついてくるのでもありません。
 そのような自分の生命外から何か幸運や不運がやってくると考えるのは、あまりにも人生に対する姿勢が消極的、受動的であると言わざるを得ません。

先輩からの手紙 7

 私は「やめろ」と言っている。手紙が書かれた1998年から10年後には学会組織の凋落が歴然となった。私はインターネット上だけの関係において最も活動家を育てた一人であり、最も多くの人々に活動をやめさせた一人でもある。創価学会には向き不向きがあって、頑張らせた方がよい人よりも頑張るだけ無駄というタイプの人々が圧倒的に多い。前にも書いたが私のようなレベルからしても、人材は100人に一人いるかいないかである。訓練だけではどうにもならない世界だ。もって生まれた資質や性分が大きい。ま、簡単にいうと「誰を見て」「何に反応したか」で決まってしまうのだ。

 功徳というエサに釣られ、罰という脅しに屈する会員が殆どを占め、判断能力が奪われている。表看板では「正義」を謳っているが、その裏にあるのは自らの欲望実現にすぎない。祈りが欲望を強化し、悟りからどんどん離れてゆく。

 悪人と対峙し得る人、喧嘩のできる者でなければ学会活動をすべきではない。自分自身の人生である。何かのために生きたり、誰かのために生きるのはやめるべきだろう。ただ自分に嘘をつくことなく、偽りなく生きればよい。

2014-07-06

お約束以外に感性が反応しなくなっている

 そう。ダイナミック通販と一緒だ(笑)。人間の存在は役割に貶(おとし)められる。リンク先もよく読んでおくよーに。



すべての人間が「役割」になり下がる
人が人材になる過程は、木が木材になる過程とよく似ている
組織の役割を維持するための後ろ向きな態度
マネジャーは内側を見つめ、リーダーは外側に目を向ける

ガクブル

 私も初めて知った(笑)。ガクガク、ブルブルだったのね。

2014-07-05

ダイナミック通販




 死ぬほど笑った。売り主を担当幹部、司会者を地元中心者、峰竜太と岡本夏生を地元幹部、スタジオにいる相槌同調者を婦人部とすれば、創価学会の座談会となる。売り主が専門用語で押し通し、罰論を振りかざすところまでそっくりだ。尚、ダイナミック通販はTBSの通販パロディ番組である。

B層とは

 2005年、広告会社スリードが郵政民営化の宣伝企画を受注した際、衆愚に分類するセグメント(対象)として【B層】を提唱。主に【IQの低い専業主婦、教育レベルの低い高齢者および若年者】を想定し、マスメディアを活用した扇動的な情報操作によって、構造改革へ向けた世論合意を目指した。スリード社は批判に対し、分析軸として使用した概念を一方的に解釈していると反論したが、企画書段階においてIQによる対象分類を行っていたことは否定しなかった。小泉改革以後も「【マスコミ報道に流されやすい低知能の大衆】」という概念として用いられるケースが多い。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」(Wikipedia)がB層であるならば、「具体的なことはよくわからないが池田大作のキャラクターを支持する創価学会員」はB創と名づけてよさそうだ。彼女たちは日蓮やブッダにはさほど興味を抱いていないし、宗教全般に対しても無知を恥じることがない。その言動にはただ勢いがあるだけでマルチ商法の押し売りと酷似している。「祈れば幸せになる」と「服用すれば健康になる」はまったく同じ論理展開で、実際は論理ですらなくただの循環論法となっている。

 B層なる言葉を私は差別用語と誤解していたが、ターゲット・マーティングの対象であり、一言でいえば大衆消費社会におけるカモ(餌食)である。健全な批判や懐疑を欠いた精神は一本の電話詐欺にも騙されてしまう。

独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?

2014-07-04

漢字の誕生



公明、狂った目算


2014-07-03

呪いをこめて見ることを望むという

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光

 ・呪いをこめて見ることを望むという

『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 望む、とは、ただ見ることとはちがう。呪(のろ)いをこめて見ることを望むという。望みとは、それゆえ、攻め取りたい欲望をいう。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 白川静によれば「祝」の字は後世に生まれたもので、もともと「呪」には「のろう」と「いわう」の二義があったという。3300年前に誕生した漢字そのものが呪的儀礼を形象化したものとされる。その頃、商の国では戦争の最前線に100人規模の巫女(みこ)を送り込んだ。彼女たちは目に隈取(くまど)りを施し、呪力を強めることで敵を威嚇した。

 文字のない時代における言葉はさほど重みがなかったことだろう。文字なくして概念の構築は難しい。自分の幼児期を振り返れば明らかだ。感情的な記憶はあっても思索の痕跡はない。

 望みは未来へ向けられるものだ。希望・願望といえば聞こえはいいが欲望の望とも重なる。希望を抱く人は現在に不足を感じる人であろう。その不足を埋めるために明日への望みを抱くのだ。

 仏教では将来(=まさにきたる)の語は使わない。飽くまでも未来(=いまだきたらず)である。将来を重んじれば早逝は不幸としか捉えることができない。人生とは現在がすべてだ。否、現在以外に人生は存在しない。満たされぬ欲望を希望に託すよりも、現在を十全に生きる人が仏弟子といえよう。

   

2014-07-01

「平和の党」の終焉~公明党・創価学会が抱える矛盾

解釈改憲を主導 記者排除も始めたヤラセ公明党の裏切り