2014-08-31
2014-08-27
2014-08-25
人間は同じ心理、同じ物語を生きる動物
ヒトは皆、同じ反応をする。これが重要なポイントだ。/Naughty Elephant Prank - YouTube https://t.co/kQHIrCtg1C
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 26
これまた全く同じ反応だ。人間は同じ心理、同じ物語を生きる動物なのだ。/Man Soccer-Kicks Puppy - YouTube https://t.co/YQYPuCjiH7
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 7月 26
2014-08-24
2014-08-23
安倍と石破の暗闘
安倍首相は、なにがなんでも石破茂を安保相に就け、閣内に“幽閉”するつもりでいる。狙いは、来年秋に予定されている総裁選に出馬させないことだ。 http://t.co/mAHV9OvYMJ
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
石破氏を閣内に取り込み、自分に刃を向けないよう封じ込める狙いがあるとみられる。閣僚になれば公務も忙しく、派閥を拡大させることもままならない。 http://t.co/lUBHpmbg9V
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
変心・森元首相、石破氏を絶賛のワケ “長老連合”から安倍首相に横やり - 政治・社会 - ZAKZAK http://t.co/jslbulpsCG
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
要するに、石破を「外す」ということの利害得失を安倍は考慮する必要がある。外せば、既に前回の総裁選で地方票のトップを獲得した石破である。政権を脅かす存在に確実に“成長”して、来年秋の総裁選挙に出馬することは間違いないのだ。 http://t.co/IxTrnNGmbS
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
安倍自民総裁再選へ石破潰し - 政治ニュース : http://t.co/jc4OcaMlGN http://t.co/lhBL2q5spj
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
「安保相、拒否なら無役」に石破氏側「策略だ」 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) http://t.co/Z5NMoeU5o9
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
「石破の乱」人事拒否して安倍首相と対決する石破茂 : 世界のニュース Nile_Amen http://t.co/6XAQniyGLl
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
【沢田大典の永田町タイマン録】安倍首相が石破氏に持つ「7年越しの恨み」+(1/4ページ) - MSN産経ニュース http://t.co/yyxjT3vwu0
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
安倍首相悩ます改造人事、「石破安保相」押し切ればしっぺ返しも | 田崎史郎「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] http://t.co/NkytGa0Chq
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
「安倍政権」に埋め込まれた、石破茂と言うトロイの木馬 http://t.co/PkhlYSXSI0
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
石破茂幹事長はなぜ安倍内閣の主要閣僚に選ばれないのか http://t.co/MzZV4qVgqt
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 22
2014-08-22
メモ
・小説『人間革命』における戸田と池田のやり取りの一部あるいは全部が創作の可能性がある。
・例えば水滸会での通訳の話や、大阪から帰京した際の「責任感が同じなら考えることも同じだな」など。
・『若き日の日記』に関してはかつてグラフ『SGI』の表紙に「清書する池田」の写真が掲載されたが、当時の日記が存在しない可能性が高い(原島嵩の証言あり)。
・第三代会長に石田次男を推す声も多かった(和泉覚の夫人ミヨ〈初代秘書部長〉など)。聖教新聞の初代編集長であり、青年部出身の初の支部長であることを踏まえると妥当な意見であったと思われる。
・『戸田城聖全集』の巻末に収録されている座談会を読む限りでは池田が後継者とは思えない。
・池田は戸田の大蔵商事で借金取りの仕事をさせられている。後継者にかような仕事をさせるであろうか? 池田自身もこのことを長年にわたって恨み続けていた(『社長会全記録 人間・池田大作の野望』に発言あり)。
・少人数の懇談会で池田が話してきた戸田とのエピソードは信用性に欠ける。戸田から譲り受けた刀の話(3.16前夜の出来事)は完全な嘘である。
集団的自衛権で紛糾した公明党vs創価学会
「カリスマ不在の状況でポスト池田体制を模索している今、創価学会と公明党はどんな問題に関しても大きな決断を下せない」島田裕巳/集団的自衛権で紛糾した公明党vs創価学会、衝突の火種はまだまだ燻(くすぶ)ってる? - 夕刊アメーバニュース http://t.co/phKwBzQLUg
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 21
2014-08-21
「先輩からの手紙」に思うこと 10
・「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 2
・「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
・「先輩からの手紙」に思うこと 5
・「先輩からの手紙」に思うこと 6
・「先輩からの手紙」に思うこと 7
・「先輩からの手紙」に思うこと 8
・「先輩からの手紙」に思うこと 9
・「先輩からの手紙」に思うこと 10(最終回)
「人間の頭の持つバーチャル性というやっかいな能力」(先輩からの手紙 12)に関する研究を少し紹介しよう。
科学的な見地としては、自由意思はおそらく“ない”だろうといわれています。
【『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(祥伝社、2006年/新潮文庫、2010年)】
これはヒルの研究から判明した。我々が意思――あるいは意志――と認識するものは神経細胞の電気的な「ゆらぎ」でしかない。
人が体験するのは、生の感覚データではなく、そのシミュレーションだ。感覚体験のシミュレーションとは、現実についての仮説だ。このシミュレーションを、人は経験している。物事自体を体験しているのではない。物事を感知するが、その感覚は経験しない。その感覚のシミュレーションを体験するのだ。
この見解は、非常に意味深長な事柄を述べている。すなわち、人が直接体験するのは錯覚であり、錯覚は解釈されたデータをまるで生データであるかのように示す、というのだ。この錯覚こそが意識の核であり、解釈され、意味のある形で経験される世界だ。
【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)】
ベンジャミン・リベットの研究によって意識が発生する0.5秒前から脳が作動(準備電位が観測される)していることが既にわかっている。トール・ノーレットランダーシュは我々の知覚情報を「利用者の錯覚(ユーザーイリュージョン)」と名づけた。
動物と人間は、「確証バイアス」と学者が呼ぶものを、生まれつきもっていることがわかっている。ふたつの事柄が短時間のあいだに起こると、偶然ではなくて、最初の事柄が2番目の事柄を引き起こしたと信じるようにつくられているのだ。
【『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン:中尾ゆかり(NHK出版、2006年)】
この確証バイアスこそが宗教の原型と考えてよかろう。ヒトの脳は科学的・数学的・合理的な因果よりも、物語としての因果を好む傾向が強い。
心脳問題は意識の研究や認知科学によってかなり明らかになりつつある。功徳や罰などは確証バイアスの典型である。いったん物語に支配された脳は別の可能性を考えようともしなくなる。
権力奪取とか、勢力拡大などというのは、考えてみれば幼稚な発想で、(中略)対立や勢力争いをしていたのでは修羅畜生の境涯でしかあり得ません。(同ページ)
だがそれを広宣流布として門下に命じたのは日蓮その人であった。ただし印刷や通信がなかった時代ゆえ、日蓮の本意がコマーシャリズムやプロパガンダにあったと断定することはできない。
公明党が政権与党入りしても王仏冥合は実現されなかった。この事実を直視しない創価学会員が多すぎやしないか?
「宮田論文に関する覚え書き」以来の長文となったが、一気に書かなかったことを後悔している。我が故郷である北海道にこれほどの人物がいたことが誇らしい。北海道だと通教の石川さん(故人)やドクター部の萇崎(へござき)さんなどがユニークな幹部として思い浮かぶが、この先輩は別格である。ただし十数年前であれば私だって彼の話を理解できなかったことだろう。理解は一瞬のことであるが、そこに至るまでの時間が意外とかかるものだ。
自分自身でつかんだ疑問を手放さないで深めてゆくことが大切だ。私の場合、自由を追求していって「師匠からの自由」「思想からの自由」にまで行き着いた。それから間もなくクリシュナムルティと出会った。グルイズムやイデオロギーが腑に落ちると二つの問題は呆気なく解決した。
全創価学会員の遥か先を往く先輩は既に亡くなった。一度も会うことのなかった人物だが、私の人生に鮮やかな輪郭を描いて深い影を落とす不思議な存在となった。えぞしろくま氏に深く感謝申し上げます。
尚、この先輩の遺稿集(非売品)が作られたようで、えぞしろくま氏のブログで紹介されている。
・先輩からの手紙
橋本聖子が高橋大輔にセクハラ
画像あり。たぶん血まで吸われている。/痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 高橋大輔選手、橋本聖子理事からセクハラか…酔った橋本氏が執拗にキス - ライブドアブログ http://t.co/UfxjZ2lRFo
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 20
2014-08-20
メンバーシップ型労働力
営利活動をやっているのではない結社が…「党員」や「信者」といった言葉の真の意味における「メンバーシップ型労働力」として駆使すること…自体は、何ら問題ではない/営利企業のくせに共産党みたいなノリで働かせるからブラックなの http://t.co/jUYFyzRnyq
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 18
というわけで、今まで散々聖教新聞社をブラック企業扱いしてきたが、私の認識が誤っていたため慎んで陳謝申し上げる次第である。尚、ログに関しては私の恥としてそのまま残しておく。上記記事を読む限りでは、聖教新聞社がブラック企業ということはなく、営利企業が聖教新聞社のような雇用形態(配達員に対して)をとればブラック企業ということになる。重ねてお詫び申し上げます。聖教新聞社はブラック企業ではなく一般的な普通の、その辺に転がっている宗教団体と一緒です。でもさ、普通の教団って、それだけでブラックなんだよね(笑)。
聖教新聞社(せいきょうしんぶんしゃ)は、宗教法人創価学会の出版部門である。(中略)聖教新聞社は第三文明社とは違い株式会社などの法人格を取得しておらず、創価学会から分離独立はしていない。(Wikipedia)
一教団の出版部門が「新聞社」を名乗る是非については、もっと議論があってしかるべきだろう。
2014-08-19
氷川きよしさん、元マネジャー殴るなどした疑いで書類送検へ
被害男性についても、暴行の口止め料として、1億円から2億円を氷川さんの事務所に要求した、恐喝未遂の疑いで書類送検する方針。: 氷川 きよしさん、元マネジャー殴るなどした疑いで書類送検へ http://t.co/VnDw1NzD1M
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 19
2014-08-18
2014-08-17
戦争回顧の特番
「戦争回顧の特番っていうのはね、オダジマ君…局の人間が夏休みを取るために作られているんだよ」/夏休みの宿題は早めに:日経ビジネスオンライン http://t.co/syawYEx3Pp
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 8
2014-08-16
新自由主義とは日本がすき家的に変わること
新自由主義=ネオコンとは、日本がすき家的に変わることを目指している。RT @elpaisa2005: #すき家ストライキ 応援します! pic.twitter.com/rgdKCuSQHW
— Kaoru Kusaka,No War! (@pocorapi) 2014, 5月 24
2014-08-15
「諦める」の意味
「諦める」という言葉は明らかにする、つまびらかにするとの意。自分の念慮を見極め、そこから離れることを目指したものであろう。いつの間にかギブアップの意味で使われている。断念も同様。環境や情況によって念が断たれるのか、あるいは自ら念を断つのかで180度異なる。明らかに諦めることが大事
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
「あきらめる」という日本語のもとの意味は「明らめる」で「明瞭にする」→「正しく理解する、さとる」であり、「ギブアップ」することではありません。「諦」という漢字の字義は「要諦」の語からくみ取れます。「○... http://bit.ly/9Qdcby
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147329859
つまり「諦」の字義は“物事の本質を明らかにする” ≒ “さとる”、“さとり”です。 http://bit.ly/9bvIM1
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210363677
四諦とは「4つの聖なる真理」の意である。4つの真理とはそれぞれ、苦諦:苦という真理、集諦:苦の原因という真理、滅諦:苦の滅という真理、道諦:苦の滅を実現する道という真理 http://bit.ly/9aQtC9
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A62014-08-14
8.14入信神話
「旅人よ」の詩については、ゴーストライターであった篠原善太郎のアイディアと原島嵩が暴露している。具体的な内容についてはそのうち書く予定。
お金が無くても保険証が無くても病院受診する方法!
時事:自宅で出産、男児放置死=容疑で22歳母逮捕−大阪府警 http://t.co/Z7DwgVtoFP @jijicomから お金がなくても保険証がなくても病院受診できます。広めてください。→ http://t.co/wt8jMI2PUF
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2014, 6月 18
全国無料低額病院・診療所・介護老人保健施設
http://t.co/ybxe5W0jhx
— タン・ポポティ (@urihamushi) 2014, 8月 11
2014-08-13
正しい反逆
まったく正しい反逆の仕方だ。/叱る教師にブチ切れた女子生徒 【逆襲】 - YouTube https://t.co/BvAcnMhwWU
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 11
批判とは
批判とは、批判者が一度はかなり影響を受けたものにしかなされない。余りに大きく影響を受けたからこそ、その影響を受けた自分が薬と同時に毒も貰った事への覚醒から批判によってその影響を受けたものから自己を回復し、影響からの憔悴を克服する為に影響を受けた者の批判者となるのだ。
— 西村 純 Jun Nishimura (@olivlove) 2013, 2月 26
巧みな説明である。ただ私の場合はちょっと違う。それほどの情熱はない。私は常に自分で選択してきたゆえに後悔することが少ない。今までと違って見える風景の一つひとつを指摘しているだけのことだ。批判に情熱を燃やすのは傷ついた人だろう。その被害者意識はあまりにも無責任だと思う。何に対してであれ感情的な批判は自己正当化の領域を脱していない。
2014-08-12
2014-08-11
朝日「慰安婦誤報」に若手記者からも怒り
朝日「慰安婦誤報」に若手記者からも怒り「大誤報したのに退職金もらって…」 | 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社 http://t.co/hIl2MVquld
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 9
2014-08-10
2014-08-09
創価学会、集団指導体制の限界 集団的自衛権でくすぶる不満と戸惑い
学会が、会長の原田稔、理事長の正木正明、事務総長の谷川佳樹らによる「集団指導体制」に移行し、しかも意見集約しづらくなっている/【かすむ航路(上)】創価学会、集団指導体制の限界 集団的自衛権でくすぶる不満と戸惑い-MSN産経ニュース http://t.co/KqiIa1wdaI
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 8
2014-08-08
アウトサイドの視点
現実問題としてアウトサイドの視点から常に集団を再構築してゆくことは可能か? RT @ujikenorio: これが本来の神学者、(回教)法学者、そして宗学者の存在意義だと思います。 RT @fuitsuono: それを行うとすれば、いったん思想から離れて自由になる必要が生じます。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
応用が原点からの距離を示すなら、信仰者は必然的に社会の隅へ歩みを進めるであろう。それがマザーだったのか。しかしながら、見捨てられた100人の人々に対して、救済不能な現実を知りながら私はそこへ足を運べるか?(続く) RT @ujikenorio: どれが原点か?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
社会から落伍した人、あるいは集団から疎外された人、例えば学校をドロップアウトした学生、勤務態度に問題があってクビになった同僚、教団から破門された信者、地域から去っていった隣人、こうした人々と交流し続けることが実際にあり得るだろうか?(続く)
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
そう考えると、社会や集団は排除することで求心性を維持しているような節が窺える。組織は内外に立て分け、人間を分断するのだ。(続く)
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
ルネサンスの復興が原点回帰という意味であるなら、常に原点を確認しながら最も原点の座標から遠い位置に身を置くことが求められよう。マザー・テレサはインドの見捨てられた人々を目の当たりにして、神が最初から不在であった事実を悟ったのだろう。原点消失。だが彼女を笑うことは誰にもできない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
本来であれば人間がリライトされるべきであるにもかかわらず、現実には教義がリライトされるという根本的な矛盾。 RT @ujikenorio: ぢゃあ、どれが原点か?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 23
2014-08-07
朝日新聞が従軍慰安婦記事を訂正
中国の国民皆殺し政策だった文化大革命を賛美したのは朝日新聞だった。中国で日本軍が残虐非道な行いをしていたと糾弾したのは朝日新聞だった。北朝鮮を「地上の楽園だ」と煽っていたのは朝日新聞だった。 http://t.co/pr8tc3L2s6
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 6
朝日新聞のケジメとは廃刊である 西村眞悟の時事通信 http://t.co/H6rxSWTGDN
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 6
今や日本人は「韓国人女性を強制連行して性奴隷した」と世界中で罵られている。それは吉田清治という男の嘘だったのだが、その嘘を十数回も取り上げて20年以上も放置していたのが朝日新聞である。 http://t.co/DCfjbmLB8b
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 7
【報道しない自由】報ステ、朝日慰安婦捏造完全スルーwwwwwwww|ぴろり速報2ちゃんねる http://t.co/uNWGYxn2Kk
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 7
南京での「大虐殺」は、現場をしかと見た人、つまり証言の信憑性が検証され、正当性が裏付けられた目撃者というものが一人も存在しない。/「靖国ではなく、南京に行くべき」 中国が仕掛ける反日歴史工作 「南京事件」を考える(前篇)有本香 http://t.co/r9ZDe4J13Z
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 5
アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』がアメリカ世論に与えた影響は大きかった/高校のテキストでも強調される南京大虐殺 「米国人洗脳」工作の実態 「南京事件」を考える(後篇)有本香 http://t.co/0qdwFFHX5m
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 8月 5
2014-08-06
都議会政務活動費月60万…タクシー年8百回も(←公明党都議)
読売◆都議会政務活動費月60万…タクシー年8百回も http://t.co/XWXcxxqyND 「ある公明党の都議は、タクシーに年800回以上乗車。都心部の選出で、料金の大半は1000円前後だった」※自転車じゃダメ?
— deepthroat (@gloomynews) 2014, 8月 6
2014-08-05
言葉と教義
しかしながら、悟りのプラグマティズム&ホリスティック(全体論的)な洞察の追求がスピリチュアリズムの温床でもあるわけです。 RT @ujikenorio: もどりますが、そうした意味で、ユニテリアンを中心としたトランセン... http://bit.ly/c67Y7j
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
http://tinymsg.appspot.com/Vmi
日蓮系も同様。悪の本質がデヴァイド(割り)なら、それを実行可能にしているのは正義かも。 RT @ujikenorio: (全てが全てそうではありませんが)プロテスタントの歴史というのは、分派の歴史と言い換えても過言ではありませんから…
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
伝えられた瞬間、死んだ言葉は「情報」に変質する。 RT @ujikenorio: 簡略化してしまうと、今の体系・システムというものが、ダイレクトに誕生時の姿そのままではないという事実です(逆説的に言えば、だからカトリックは、「伝承」を大切にします)。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
とすれば、社会が複雑化するたびに教義を更新・拡張する必要が生じる。つまり教義は「後付け」となる。 RT @ujikenorio: キリスト教を例に取ってみると、イエスそのものの発想=現在の公定教義かと問うた場合、イエスとは十全に答えられないという問題です。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
教義は社会に「合わせて」広がり、やがて魂を失い儀礼と化す。人間と言葉の形骸化。 RT @ujikenorio: 仏教でいえば、原始仏教で肉声がかすかに残る釈尊が、葬送儀礼を大切にしようとはいっていなけれども、現在の公定教義と実践では「大切に」ということになっているような問題です。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
言葉の限界。 RT @ujikenorio: ぢゃあ、どれが原点か?などと七面倒になってしまうと、デリダが批判するような音声中心主義、プラトニズム的イデア論に、つまり、最初の声=イデア、後から整理された教義=イデアの劣化したコピー、という認識になるので、その遡上というのは難しい
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
悟りが論へと堕落。左翼的理論武装。 RT @ujikenorio: まあ、(創唱宗教においては)誕生時の教説=現在の教説と同じというものではないのが事実というところです。創作とはいいませんが、大乗仏教を加上説@富永仲基と批判した問題はあらゆる宗教において避けがたいというものです。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
思想より帰属・所属が優先される現実。やはり集団の問題に。 RT @ujikenorio: しかし、「善きサマリア人の喩え」が聖書に記されているにもかかわらず…本年の9.11の米国の過激な一派がコーランを焼き払おうとしたようなことを眺めるとorzとなってしまいます。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
本来の「教え」は単純であったはず。理論化・複雑化するほど排除性が高まる。経典は言葉でありながら言葉に非ず。言語道断・心行所滅。 RT @ujikenorio: 原点に返るとか、原点を復活させるというのは現実には困難です。その... http://bit.ly/aXwDaU
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
ナイス! RT @ujikenorio: だから、使い古されたフレーズ、言い回し、説教、指導etc--というものが、根拠があるのかどうか、それは常に省察されてしかるべきかと思います…中には広告代理店が製作したようなスローガンでおわってしまっているものもあるかもしれません。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
2014-08-04
規範と合意
形成された合意は多数決でしかあり得ない。人々に十分な判断材料が与えられることがないゆえに、多数決は確実に衆愚へと至る。 RT @ujikenorio: しかしながら、原理的には、規範の問題に関しては、合意によって導かれるような正当化は不適当、乃至は不可能かもしれません。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
合意が相互の譲歩によって形成される以上、規範は妥協の産物といえるかもしれませんね。そのグレーゾーンから解釈争いが生まれる。法律も同様。 RT @ujikenorio: もちろん、規範は全体と個に関わってくる問題ですから、生... http://bit.ly/cskneg
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22
http://tinymsg.appspot.com/79K
こりゃ凄い! それを可能にするのは、全人類の出家⇒全人類の悟りしかあり得ず。だとすれば、教義は表現の相違に過ぎないのか? RT @ujikenorio: その意味では、「正当化」という〝条件付け〟を超越した規範が必要なのかもしれません。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 22