繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる。(ウラジミール・レーニン)
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 31
2014-03-31
2014-03-30
すき家ではアルバイトが「業務委託」扱い
驚くのは、すき家ではアルバイトが「業務委託」扱いになっていることだ。/痛いニュース(ノ∀`) : すき家、バイト相手にノルマ未達でサビ残強要、ワンオペ時に急病などで休業したら賠償請求! - ライブドアブログ http://t.co/W9WzqNrYSw
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 30
そうすると聖教新聞社は新自由主義の先頭を走っていたわけだ。アウトソーシングによるコストカット。
創価班(笑)
まるで某教団みたいだな(笑)。/痛いニュース(ノ∀`) : 北朝鮮で髪形統一令 「男は全員、金正恩第1書記の髪形にせよ」 - ライブドアブログ http://t.co/32sQoEnRAp
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 29
2014-03-29
2014-03-28
メッセージを発信する者のリスク その二&日蓮とマントラ
・日蓮とマントラ
失礼。同一人物であることに気づかなかった。ま、「それはそれ、これはこれ」ということにしておこう。発信者リスクのその二として「メッセージ量が増えるにつれて記憶があやふやになる」ことを挙げておく。ただし私は「教えを請え」とは書いたが、「ついてゆけ」とは書いていないからね(←言いわけ)。文章の巧拙や斬新なアイディアと人間性は一致するものではない。ウェブ空間は表情や声の情報を欠いているため、人物判断を誤ることが多い。メッセージが放つ匂いに鈍感な人は日常生活においても判断を誤っている可能性が高い。
ついでだから日蓮のマントラに関する私論を述べておこう。称名念仏の原理を説いたのは中国の善導(613-681年)で、それをポピュラーなマントラにしたのは鎌倉時代の法然(1133-1212年)である。文字通り人口に膾炙(かいしゃ)したわけだ。日蓮は南無妙法蓮華経を念仏ではなく題目と称した。とすると仏の名ではなく題名と考えてよい。
題名であるにもかかわらず日蓮は「文底秘沈の大法」と言い切った。よく考えてみよう。題名が大法であるはずがない。仮に法華経の文の底に沈められた何かがあるとすれば、偽書『当体義抄』で紹介されたマントラ(真言)を説いた人々も日蓮モデルでいうところの本仏となり得るだろう。
南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。
【創価学会版を参照した】
直前に「妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり」とあるが、悟りとは内証の次元であって、流布するしないとは一切関係がない。こうした日蓮の発想はすべてが天台ルール(五時八教=教相判釈)に基づいており、科学的な検証をすることが不可能だ。つまり日蓮モデル(理論)は天台ルールという重力の上でのみ記述が有効となるのだ。
ブッダの遺言は自帰依・法帰依であった。その直前に重要な指摘をしている。
「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか」
【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年)】
「教師の握拳は、存在しない」――すなわちブッダは一切の秘伝を拒否したのだ。秘密を重んじるのは密教の流儀である。
日蓮のマントラは知識が広まりにくい時代(識字、印刷技術、通信技術が未発達)における手っ取り早い不安解消法の一つであったのだろう。また日蓮が終生求めた公場対決(公開法論)というデモンストレーションも極めて政治的な動きである。その意味では社会改革に傾いているのだが、社会福祉に大きな寄与をした忍性(にんしょう=良観)批判との整合性がとれない。
南伝仏教(上座部)が伝わった時点で天台ルールは崩壊したと考えるべきではないか。
2014-03-27
メッセージを発信する者のリスク その一
これに対する反応が以下である。
どんな濃い色眼鏡をかけるとそう読めるんですかね?特定の政治信条でもあるんですか?拍子抜けするのは一向に構いませんが、もう少しコミュニケーションを図る努力をお願いしたい。 RT @sinkousya: @fuitsuono オウムやテロリズムも、所詮は必然であるということですか。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 17
メッセージを発信する者は常に揚げ足を取られるリスクが付きまとう。批判であれば一向に構わない。むしろ望むところである。更にウェブの海を泳ぐ者はこのツイートから卑屈さを見抜く程度のスキルが求められよう。卑屈な者とは関わり合うべきではない。時間の無駄だから。
・モテない男
・つれづれツイート
・メッセージを発信する者のリスク その二&日蓮とマントラ
2014-03-26
制度宗教の世俗化と近代化
これはどうでしょう? 宗教社会学における世俗化は「近代化」とセットになっているはずです。制度宗教を宗教企業、信者を宗教消費者と捉える世俗化否定派がいるようですね。 RT @ujikenorio: 江戸以降の宗教の実践形態は、いうなれば西洋よりいち早い「世俗化」の到来かも。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 18
・スタークとイアナコーニは、世俗化論一般を批判する際に、宗教に市場経済モデルを適用して、制度宗教を宗教企業、信者を宗教消費者ととらえる
2014-03-25
ネチケット知らずの創価学会員
そのツイートは呟きではなかった。私に寄り掛かりながら自分を売り込もうとしていた。手垢にまみれた固定概念をあたかも共通の了解事項のように綴っていた。頭隠して尻隠さず。馬鹿丸出し。煩わしいのでブロックしたら、関係ない人のRTを通して大騒ぎしている。そんなにかまって欲しいのだろうか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
勝手に騒ぎ、勝手に捨て台詞を書きちらかしている。そんな人間だからこそブロックしたのだ。きっと何か行動するたびに周囲と摩擦を起こさずにはいられないタイプなのだろう。ニワトリみたいな野郎だ。彼が宙を舞うことは多分ない。私にフォロワーがいなければコテンパンにしてやるところだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
ツイッターが、オコッター、サワイダー、ワメイター、グチッターになっている人がいるよ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
「どうしてそんなことがわかるの?」と周囲の人々から言われることがよくある。面倒だが説明すると、「たったそれだけのことで、そこまでわかるの?」と驚かれる。私に言わせればわからない方が不思議だ。目の動き、ちょっとした仕草、言葉の言い回し…そんなところに人の性根が表れる。ツイッターも。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
私はテレビの画面越しでも嘘をついている人間はわかる。自宅では全く観ないのだが、よそのお宅で観ると、やたら独り言をいう癖がある。「彼女は周囲の顔色を窺いすぎる」「この野郎はただの嘘つきだ」「彼は金を出せば何でもするタイプだ」。文章や文体も匂いを放っている。わかる人にはわかるはずだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
ネット上では安易に質問する人物を「教えて君」といい、荒らし行為と受け止められる。答える義務など誰にもないからだ。不特定多数に呼びかけるのであればまだしも、個人を指名して質問することは控えるべきだろう。そうでないと、メッセージを発信している人に負担ばかり掛かってしまう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
結局、世界も人も、自分というフィルターを通してしか認識することができない、ということだ。自分に固執すれば世界も人も単調な色彩となってしまう。時には逆立ちすることだって必要だろう。眼は「むき出しになった脳である」とする説もある。古い価値観や回路を変えるのは感動し続けることだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 16
創価大学出身の愚かな人物だった。個人情報は入手済み。創価学会員特有の組織に甘える姿勢があり、見知らぬ学会員にもたれ掛かり、寄り掛かって平然としている。なかんずく創価大学出身者は自我が肥大していて自分は特別だと勘違いする馬鹿者が多い。
2014-03-24
スピリチュアルブーム
スピリチュアル志向はいただけないが、スピリチュアルブームは軽んじるべきではない。なぜなら、息苦しい現実が霊性へと向かわせていると考えられるからだ。人々がスピリチュアル(精神性)な何かを求めている機根を弁えるべきだ。ま、不思議大好きのレベルではしようがないのだが。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
2014-03-23
行為と理論の方向性
一つわかりました。先を歩む人が行為⇒理論という方向性であるのに対し、後に続く人は理論⇒行為となる。ここに話し手と聞き手の関係性が成り立つ原因がある。送り手と受け手の役割が階級を生む。受け取った情報をどう開き、蘇らせるかが問われる。 RT @ujikenorio
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
これは悟りともいうべき発見であった。教祖と信者の方向性と言い換えてもよい。神仏を言葉の範疇(はんちゅう)に収めたのが教義だ。
2014-03-22
対話の可能性
「善悪の相対化」に問題があるような気がします。善は絶対的であるべきです。正義と混同してはならないでしょう。 RT @ujikenorio: しかし、それと同じような悪も自分自身に内在している(そして同じように善も)。それが高等宗教の指摘だったはず。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
交換から交感・交歓を生み出すしかありません。差異に終焉を告げるのが縁起。 RT @ujikenorio: 交換対象となった時点で、代換え可能となる。だとすれば聖なるものを剥奪することは可能にはなるけれ... http://bit.ly/9nMGNk
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
双方向でフィードバックし続けるしかありません。それこそが対話。変化が止まった時点でアウト。対話=変化。 RT @ujikenorio: 交換対象となった時点で、代換え可能となる。だとすれば聖なるものを剥奪することは可能にはなるけれども、新しい魔術を創出するという意味ではorzに。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
ここが田原坂です(笑)。脱組織の前提は全員が自立することですから。私が思案しているのは、階級という位置エネルギーが存在しない関係性です。 RT @ujikenorio: 小野さん、またしてもそれは難問... http://bit.ly/aR2eac
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
それゆえ断罪的な視点であってはいけないわけです。宗教よりも宗教性を追求すべきでしょう。 RT @ujikenorio: いやしかし、どうするか。権威の判定がすでに無力であるのは事実。一方の民意が恣意的であるとすれば……。教会史はこれで分断したと言っても過言ではありません。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
家族以外の小単位コミュニティを形成する。飽くまでも緩やかな関係性で横断自由。つまり、往来可能な道路みたいなやつ(笑)。 RT @ujikenorio: 認識論的飛躍は可能なのでしょうか。個々人としては可能だとは思うんです。しかしサンガとしては可能性の芽を摘んでしまうのが歴史の常。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
対話が可能でさえあればいいのです。関係性を常に逆転させる視座が相対性でしょう。世界をグルグル回す(笑)。 RT @ujikenorio: 個に重点を置くとどうしても恣意的になることが否定できない。しかし全体に視座を据えてしまうと、その伸長性・飛躍への意志が潰されてしまう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
2014-03-21
執拗に退会者宅を訪問する創価学会婦人部幹部
本日、退会と被害届の提出を決意しました。
— やまもとかっぱ (@kappa_mountain) 2014, 1月 13
で昨日の婦人部幹部とのやりとりは以下。
・やまもとかっぱ(@kappa_mountain)/2014年03月21日 - Twilog
田舎の幹部のレベルが知れる。思わず笑ってしまったよ。突っ込みどころ満載の無知蒙昧さである。
かつて創価学会では「いつ入会したか」が重要視された。これからは「いつ活動をやめたか」が問われることとなろう。ま、活動も中途半端、やめても中途半端という人々が大半ではあるが。
そういう意味も込めてセネカの言葉を紹介したのだが、気づいた人はいなかったようだ。
・命令されて行なう者たち
過去世の物語
【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(国書刊行会、2005年/角川文庫、2012年)】
たとえ過去世を見たとしても、それは現在の脳に収まる。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
多分ブッダは過去世を見た者に対して、同じレベルで過去世を語っただけであろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
無記に照らして、過去世・来世の物語は不要と私は考える。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
仏法において最重要は三つある。まず四諦。/四諦 - Wikipedia http://t.co/cbfRmPmuZb
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
次に三法印。/三法印 - Wikipedia http://t.co/jv6N6w6X03
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
そして無記である。/古本屋の殴り書き: 無記について/『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元 http://t.co/TV9E551K8r
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
これ以外を重視すると必ず混乱に至る。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 18
2014-03-19
北朝鮮による拉致被害と公明党
・社会党と拉致問題
かつてこう書いたことがある。
拉致被害者の中には学会員も含まれている。「国家に蹂躙(じゅうりん)される民」の姿は何一つ変わっていない。(2008年6月26日)
既に公になっているが、それは市川修一さんと増元るみ子さんである。付き合い始めたばかりの二人はデートの最中に拉致された。
父の(増元)正一〈しょういち〉も、何もしてくれない政府や政党に対する怒りを、募(つの)らせていた。家族会に加わってみて、日本政府が北朝鮮の拉致という疑惑を早くから持っていながら、20年近く何も積極的に動いてこなかったということを知った。家族会結成後も、いくら訴えても国は必死に助け出してくれようとはしない。公明党の最高幹部が鹿児島を訪れたときには、正一は面会を求め、救出のために動いてくれるよう直接頼んでいる。その場では「はい、よくわかりました」と、とても色よい返事を貰(もら)ったが、その後は結局、何の音沙汰(おとさた)もなし。「あの党は何にもならん」――その後の正一は激しい怒りようだった。その正一の死後、件(くだん)の最高幹部から「鹿児島に行くので、仏前にお参りしたい」と連絡が入った。しかし、増元家では「いまさら来ていただいても何にもなりません。今後、拉致問題のために頑張っていただければうれしいです。ほかには何も言うことはありません」と来訪を断っている。
【『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(光文社、2003年)】
この公明党最高幹部は浜四津敏子のようだ(弟・増元照明さんも怒る「公明党は学会員拉致被害者を見捨てた!」)。実名を伏せたところに増元家の配慮が窺える。浜四津の微妙な立場については辛淑玉〈シン・スゴ〉も書いている。
・『怒らない人』辛淑玉
るみ子さんの弟である照明さんが東京選挙区の参議院選挙に無所属で立候補した時、私は増元さんご一家が創価学会員であることを知った。その心情を思うといたたまれなくなった。政権与党の旨味(うまみ)には毒性がある。果たして公明党議員に立党の精神はあるだろうか? それとも下駄の雪に甘んじているのだろうか?
創価学会員の公明党支援には凄まじいものがある。時には違法を犯してまで得票依頼に奔走する(事前運動、未成年者による政治活動、物品供与、電柱へのポスター貼付など)。しかし公明党は拉致被害者を無視した。
確か1992~1993年であったと思うが池田は「金日成主席からも招聘状(しょうへいじょう)が届いている」と豪語したことがあった。北朝鮮には一定数の学会員がおり、古い学会出版物を見ると「南鮮、北鮮にも同志がいる」旨が書かれている。
戸田城聖は「創価学会に入り1年間実践して功徳の証拠がなければ私の首をやろう」と言い切った。今、自分の首を賭ける創価学会首脳はいるか? いれば私がその首を掻(か)きにゆこう。
尚、本書では市川さんが創価学会員であることには触れていない。
・横田夫妻とキム・ウンギョンさんの面会が実現/『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
・拉致被害者 増元るみ子さん母親 信子さん(90)死去
2014-03-16
2014-03-15
ネルソン・マンデラ氏のために歌った追悼ゴスペル
こりゃ凄い→紹介する動画は、南アフリカからみると地球の反対側にあるアメリカのスーパーで、アフリカ起源の店員達がネルソン・マンデラ氏のために歌った追悼ゴスペルの様子だ。/深く深く心に響くネルソン・マンデラ元大統領への追悼ゴスペル http://t.co/HNrUMq81Oo
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 15
乾いた風のように軽やかなコーラスだ。
元歌もよい。ネルソン・マンデラがステージに登場する。
2014-03-14
2014-03-13
河野談話を持ち出して橋下徹市長に完膚なきまでに潰される赤旗記者
河野談話を持ち出して橋下徹市長に完膚なきまでに潰される赤旗記者 - YouTube https://t.co/x75uFWwVwm
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 13
オバマ大統領のウクライナ制裁を米国民は支持していない
オバマ大統領のウクライナ制裁を米国民は支持していない。/2014年3月11日たまむすび 町山智浩「アンカーマン2」、「LEGO ムービー」 - YouTube https://t.co/N3l08FgiVT
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
・文字起こし
・櫻井ジャーナル
2014-03-12
捨てるのを恐れる人は変わることができない
もし今日の自分が明日の自分と同じであるならば、今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。人間の特質はそうではなくて、日々新しく創造的に昨日の自分を乗り越える、そこに人間の本質がある。(コンドルセ) http://t.co/3mjPYQrjYy
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
捨てるのを恐れる人は変わることができない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
精神的なルンペンといってよい。新しい服を手に入れたら、ボロ着は捨てて当然だろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
@bake711 変わるのは一瞬。しかも自(おの)ずから変わる。意図や計画とは無縁。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
否定した瞬間に人は変わる。否定が浅い人は時間を要する。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
「火事だ!」と気づけば直ぐ逃げる。床下浸水だと思っている人はじっとしている。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
君子は、つねに自己革新をはかって成長を遂げていく。小人は、表面だけは改めるが、本質にはなんの変化もない:君子は豹変し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む――『易経』革卦(かくか)/『中国古典 リーダーの心得帖』守屋洋 http://t.co/8nEmWlRw6M
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 11
2014-03-11
ソースコード
プログラミング言語で書かれたコンピュータに対する一連の指示をソースコードという。宗教、国家、民族感情、正義などは誰かが書いたソースコードに他ならない。我々の感情はその「指示」に従って働き、死ぬまで自分の人生を歩むことができなくなる。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 9
・宗教OS論の覚え書き
2014-03-10
東京大空襲~現在に至るまで奪われる制空権
東京大空襲から69年…原発事故の対応を見る限り、何も変わってない、現在の日本。。
【政府は「空襲からの避難」を禁止した】
空襲は怖くない、焼夷弾は簡単に消せる。そんな安全神話で、空襲被害が拡大しました。
RT@o_omae:pic.twitter.com/N6euAu35lQ
— みえないばくだん (@hopi_domingo) 2014, 3月 9
爆撃後に行われた被害効果判定。斜線部が今回新たに加えられたダメージ。 pic.twitter.com/L2z90DYbiN
— 片渕須直 (@katabuchi_sunao) 2014, 3月 9
この図をよく見るがいい。日本の首都圏は制空権を奪われているのだ。/横田空域: ネット海 http://t.co/OyxCleIthG
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 19
これは力作だ。/関東地区空域制限模型 http://t.co/ZPtBdS4xpY
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 19
2014-03-09
都民を焼き尽くした東京大空襲
あの夜にかぎって
空襲警報が鳴らなかった
敵が第一弾を投下して
七分も経って
空襲警報が鳴ったとき
東京の下町は もう まわりが
ぐるっと 燃え上っていた
まず まわりを焼いて
脱出口を全部ふさいで
それから その中を 碁盤目に
一つずつ 焼いていった
1平方メートル当り
すくなくとも3発以上
という焼夷弾
〈みなごろしの爆撃〉
三月十日午前零時八分から
午前二時三七分まで
一四九分間に
死者8万3793名
負傷者11万3062名
この数字は 広島長崎を上まわる
これでも ここを 単に〈焼け跡〉
とよんでよいのか
ここで死に ここで傷つき
家を焼かれた人たちを
ただ〈罹災者〉で 片づけてよいのか
ここが みんなの町が
〈戦場〉だった
こここそ 今度の戦争で
もっとも凄惨苛烈な
〈戦場〉だった
【「戦場」 昭和43年8月/『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治〈はなもり・やすじ〉(暮しの手帖社、1971年)】
再掲。書籍タイトルの一戔五厘は一銭五厘のこと。当時のハガキの値段である。国家は一銭五厘のハガキを送ればいくらでも兵士を召集できた。花森は横溢(おういつ)する反骨精神を「乞食旗」として表紙に掲げた。東京大空襲の直後、亀戸(かめいど)の横十間川(よこじっけんがわ)からは皇居が見えたという。
東京大空襲:一部では爆撃と並行して機銃掃射も行われた[7]。爆撃による火災の煙は高度1万5000メートルの成層圏にまで達し、秒速100メートル以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れ、さながら火山の大噴火を彷彿とさせた。 http://t.co/y0xiuD5R4y
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 9
69年前の明日、非戦闘員を中心に10万人を殺戮した東京大空襲。その首謀者は米軍のルメイ少将という男。戦後「航空自衛隊の育成に貢献した」という理由で1964年、日本政府はルメイに勲一等旭日大綬章を授与。贈ったのは時の防衛庁長官、小泉純也、純一郎の父。
— G.D.Greenberg (@G_D_Greenberg) 2014, 3月 9
・『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治
イビチャ・オシム「私は神を信じない」
「私は神を信じない。世の中の悲惨な出来事は神を信じる人がやっているではないか。神がいればそんなことは起こらない。私は人を信じ、人生から学ぶ。」
— Ivica Osim Goroku (@Osim_goroku) 2014, 3月 4
イビチャ・オシムこそ、正真正銘の哲学者だと思う。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 9
オシムの言葉は合理性がありながらも美しい響きを伴っている。稀有な人物といってよい。どこかブッダの言葉と通い合うものを感じる。サラエボ紛争の地獄を知る人物でもある。1964年の東京オリンピックにはユーゴスラビア代表として参加。12年間の現役時代で一度もイエローカードを提示されたことがなかった。
・オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦
日蓮聖人比叡山12年の修学
『法華本門宗要集』下巻(二一五八頁)には、父が「東条小湊の浦の釣人権頭」といい、日朝『元祖化導記』(一四七八 文明十年)には、父の名を貫名五郎重実の次子重忠と記し、日潮の『本化別頭仏祖統紀』には、母は清原氏出身、舎人親王の後裔・畠山一族の大野吉清の女梅千代といい、法名は妙日・妙蓮。父は正嘉二年(一二五八)二月十四日、母は文永四年(一二六七)八月十五日に歿したと伝えている。
宗祖の兄弟は四人説、五人説がある。いづれも男兄弟である。
【宗祖のご舎弟・貫名藤平家の伝承考:石川修道(元現代宗教研究所研究員)】
・「日蓮聖人の伝記について」高橋俊隆
→日蓮宗妙覚寺
・本化別頭仏祖統記
4コマ目に日蓮画像あり。椅子の上に胡坐(こざ)というスタイルが目を引く。
2014-03-08
「先輩からの手紙」に思うこと 2
・「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 2
・「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
・「先輩からの手紙」に思うこと 5
・「先輩からの手紙」に思うこと 6
・「先輩からの手紙」に思うこと 7
・「先輩からの手紙」に思うこと 8
・「先輩からの手紙」に思うこと 9
・「先輩からの手紙」に思うこと 10
貴君の指摘されるように、脳科学、心理学は極めて有効だと思います。それ等の他にも、生物学の分野の最近の展開には目を見張るものがあります。(以下略)
手紙の先輩が亡くなったのは1998年。私が初めてパソコンを買った年だ。この部分の記述は今となっては古い。1990年にパソコンが普及しはじめ、科学という科学が大股で前進した。21世紀に入ると出版界ではポピュラー・サイエンスが花開く。この流れはとどまることを知らず、現在においても加速している。
脳科学は自由意思の問題に迫り、認知科学はバイアス(知覚の歪み)を明らかにし、社会心理学は権威に従うメカニズムを解き、行動経済学は人々の選択肢を操作可能なものへと変えた。ゲーデルの不完全性定理は神の絶対性を揺るがせ、ハイゼンベルクの不確定性原理が神の干渉を斥(しりぞ)ける。E=mc²の美しい数式で知られる相対性理論はアインシュタインの思惑を超えて宇宙が加速しながら膨張している事実を示した。アインシュタインは宇宙定数を付け加えることで静的宇宙の記述を試みたが、後に「生涯最大の過ちだった」と述べている。ところがこの宇宙定数がアインシュタインの死後、ダークエネルギーを証明するのに不可欠となるのである。またアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って量子力学を忌み嫌った。しかしミクロ世界は確率としてしか捉えることができない。量子もつれは時間をも超越する。存在は非局所性となって宇宙に溶けだす。
現在では、「生物学」よりも進化科学が進んでおり、「免疫学」は多田富雄で止まっているような感を受ける。これまた進化医学の方が面白い。「サル学」は立花隆の著作タイトル(『サル学の現在』)で、霊長類学を学ぶのであればフランス・ドゥ・ヴァールの方がよいと思う。河合隼雄については宮崎哲弥が「日本におけるスピリチュアリズムのドン(首領)」と指弾している。河合が研究したユング自身も問題を抱える人物であった。柳沢桂子の著作は多田富雄との往復書簡しか読んでいないためわからず。あまり読む気もしない。トランスパーソナル心理学はニューエイジ思想の影響が濃厚で学問たり得ない。
西洋の学問で目立つのは脱キリスト教という方向性は正しいのだが、結果的にスピリチュアリズムというものが多い。ここをきちんと見分けないと、元々アニミズム志向の強い日本人はあっさりと受け入れてしまうことだろう。最低でも「WIRED」で紹介される毛色の変わったデタラメな記事の非科学性を見抜ける程度の知識は必要だ。
2014-03-07
内なる悪と外なる悪
結局のところ、内なる悪と外なる悪は一緒です。自分自身と闘っている人は、おのずから権力と対峙せざるを得ないのです。相即。 RT @ujikenorio: しかし生活の中でその原初の事実を失念してしまい、自分の外の問題として「悪」を措定し、「悪人」を「発見」してしまうのでしょう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 14
3年余り前のツイートである。今はもっと前に進んでいるよ。「対話の可能性」に続く。
2014-03-06
「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 2
・「先輩からの手紙」に思うこと 3
・「先輩からの手紙」に思うこと 4
・「先輩からの手紙」に思うこと 5
・「先輩からの手紙」に思うこと 6
・「先輩からの手紙」に思うこと 7
・「先輩からの手紙」に思うこと 8
・「先輩からの手紙」に思うこと 9
・「先輩からの手紙」に思うこと 10
思うように時間が取れない。貧乏暇なしである。矢野絢也の著作についても書きたいのだが、既に1年以上も経過したままだ。誰か書いてくれないかな? そうしたら私が応じるから。ただし私と同世代でなければ矢野本を理解することは困難だ。関西で矢野にストーカー行為をした人物が書いてくれると一番助かるのだが。(※当ブログでは一般人を除いてすべて敬称は省略する)
「忙しい忙しい」といって心を亡ぼすわけにもいかない。本来であれば本家ブログで一日一書評を目指しているのだが、こちらにも「心が動いた」軌跡を不定期で綴ることにした。
えぞしろくま氏は二つのブログで「先輩からの手紙」を紹介しているようだ。
・ぷるぷるメモ
・ガラガラポン日記 1
・ガラガラポン日記 2
・『よくわかる仏法用語』抜粋転載のまとめ
この人物が存命であれば、私は今直ぐ会いに行ったことだろう。飛行機代なんか全然惜しくない。今の段階ではそれほど尋ねたいことはないのだが、とにかくその息吹き、呼吸、生きざまに触れたかった。年が違うとはいえ、私よりも10年先んじている方だ。心の底からその死を惜しみ、悼(いた)むものである。
時代の変化もさることながら、学会の中も、相当に一般活動家の中に不満がたまり、求心力を失い、崩壊を食い止めるのに精いっぱいのように見受けられます。
1998年3月9日付の手紙である。当時、私はまったく気づかなかった。なぜなら私がいた地域は求心力が漲(みなぎ)っており、男子部として全国制覇の連覇を成し遂げていた渦中であったからだ。私が創価班の総区委員長になった頃である。壮年婦人にも勢いがあった。新聞啓蒙だと地区で世帯の50倍の結果を出しても総区で1位になることはできなかった。
過去の折伏全国制覇10連覇における最後の世代が私の世代であった。卒業したOBからも「伝統の火を消すな」「流れを断つな」と個人的に散々含められた。「お前と○○がいれば大丈夫だ」とも。
その後、八王子へ引っ越して平均的な組織の惨状を初めて知った。創価大学の職員が牛耳る八王子の幹部は宦官(かんがん)さながらであった。問題があっても見て見ぬ振りを決め込み、とにかく婦人部と波風を立てないことが活動の主流となっていた。連絡はしても個人指導・家庭指導が行われることはなく、煙たい人物がいれば村八分を行うという体たらくであった。
そこそこ実行力のある私が動いても、解決までに数年を要するほど悲惨を極めた。副会長や方面長と談合しながら進めてもそれほどの時間がかかった。それまでに私はたぶん数十人の幹部に罵声を浴びせている。某副会長も含めて。
その間隙を縫ってメールのみで個人折伏を成し遂げ、全国および海外の創価学会員から寄せられた相談に一つ一つ手を打っていった。私の手が届かない問題は学会本部を動かして対応した。やり残したことは一つもない。すべてケリはつけた。その程度の訓練は受けている。
手紙の先輩が凄いところは、私がクリシュナムルティを通して理解し得たことを、仏法そのものから探り当てた一点にある。
人間らしさとは何か?
人間らしさとは何か? チンパンジーは仲間を騙すことができる。ヒトは一斉にたくさんの人々を騙すことができる。これを政治と名づけても宗教と呼んでも構わない。高い知性は自慢できるものであり同時に唾棄すべきものでもある。イルカは集団レイプをすることが判明している。これも知性のゆえか。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 4
「騙す」という行為は、誤った情報を相手に信じさせること。いったん相手の立場にならなければ絶対にできない行為だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 4
2014-03-05
2014-03-04
似たもの同士
顕正会に染まると失礼を失礼とも思わず、非常識を非常識とも知らず振る舞うから顰蹙買う(。-_-。) 非があっても、まず謝らへんし。障害や病気を持つ人にも、仏法違背の罰だ過去の宿業だ…などと平気で言う。苦言や忠告には「あぁ罪障消滅🎶」と、ひねくれ根性。どっちが三毒だよ(⌒-⌒; )
— 瑠璃堂みう♀爆乳総班長 (@ruri_doll_sea) 2014, 3月 1
似てるよね、どこまでも。( ̄▽ ̄)
— やまもとかっぱ (@kappa_mountain) 2014, 3月 1
日蓮系で揉め事が多いのは日蓮の怒りに由来するものだと私は考える。
・怒りの終焉/『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
朝日・毎日への反論(6) 河野談話の正当性が崩れた石原証言に見解を示さないのはなぜか
不思議なのは、特定秘密保護法について「国民の知る権利が失われる」と猛反対している朝日、毎日両紙が、河野談話の事実解明を求めていないこと。河野談話は両紙がいつも批判する「密室政治・秘密外交の典型」ではないか。http://t.co/D6qu2IbOt7
— 伊勢雅臣 (@ise_masaomi) 2014, 3月 1
・産経新聞:「慰安婦」問題
2014-03-03
げたの雪
踏まれても どこまでもついて行く げたの雪。こんな永田町川柳がある。どんなに踏んづけられても、げたの歯の間にはさまった雪のようにしつこく離れない。ということだが、最後は解けてなくなってしまう、との怖いオチもついている▲自民党と連立を組んだ政党の与党・権力への執着とその末路を皮肉る秀句である。
【余録/毎日新聞 2014-03-03】
創価学会員の投票が自民党議員を強力に支えているのだから、もう「下駄の歯」になったと考えてよかろう。歩けば歩くほどすり減るわけだが。