2016-09-30

正本堂のレリーフ

 レリーフ自体は以前から知っていたのだが、2種類あるのか? 顔の向きが微妙に異なる。事情を知っている人がいたら教えて。




池田大作の半裸のレリーフって何の為に作ったのでしょうか?

2016-09-29

9/29(木)〜青山繁晴・有本香・居島一平〜 真相深入り!虎ノ門ニュース

 冒頭で居島一平が丹波哲郎の物真似(戸田城聖役)を披露している。

全く読む気がしない須田論文

 チラッと見たが、まあ酷い代物だな。走狗ならぬ創狗といってよし。宮田が未来を展望しているのに対して、須田は古いタコツボ教学をかざすという展開である。大体、「血脈」を持ち出した時点でアウトだ。最蓮房宛ての遺文で真蹟ってあったっけ?

 宮田が抱く危機感を理解できる創価学会員は殆どいるまい。科学の世界は既に万象を情報と捉えている。そして科学は宗教をも捉え始めた。もはや宗教が科学に追いつくことはないだろう。科学の速度は凄まじいばかりだ。しかも科学は誤謬(ごびゅう)を検証し訂正する。

 簡単に述べよう。本尊、功徳、血脈を科学と同じレベルで定義することは難しい。むしろ出来ないと言った方がよい。教学とは身内に説明できるレベルの言語技術のことで客観性を欠く。いかなる教団であれ病気が治癒したという体験談は掃いて捨てるほどある。最近読んだ本では生まれつきの唖(おし)が治ったというエピソードが紹介されていた。もちろん創価学会ではない。

 信仰とは定義し得ないものを信じ切ってしまう思い込みの強さであろう。狐や狸であれ強く信ずれば心身に大きな変化を及ぼすことは十分あり得る。

 日蓮の教えに欺瞞があるのは、本尊を持(たも)てば成仏できる→ただし信行の題目を唱えること→そして血脈がなきゃダメ→心が合ってなくても祈りはかなわんぜよ、と段階的な条件がつくためだ。しかも悟りについては何も語っていない。煩悩即菩提だなどと本覚論をぶち上げるのみ。

 鎌倉時代はそれで通用したかもしれないが、現代では通るわけがない。

 もっと簡単に言おう。創価学会の信心に功徳があるのか? 本当にあるのか? あんたの地区の座談会でひっきりなしに功徳が語られているのか? 大体、創価学会員のブロガーで功徳を綴っている奴はいるのか? 掲示板は揉め事だらけで功徳の話なんかこれっぽちもねーぞ(笑)。 

 ご利益が欲しいのはそりゃ人情だ。だからといってそこに付け込んでいいとは思わない。

 結局のところ須田が言いたかったのは「影響力のある幹部は口を慎め」ということなのだろう。まさに創狗というべきか。ま、大した人物じゃないからね。俺は知っている(笑)。

2016-09-28

「宮田論文への疑問  日蓮本仏論についての一考察」須田晴夫

 あまり興味がないので暇があれば読む。

2016-09-27

贅沢

 例えば、ある成功者がいて料亭三昧の生活をしたとしよう。贅沢(ぜいたく)は成功者の証だ。彼の体からは油がにじみ出るようになり、触れるもの全てに手の跡が残るほどであった。やがて年老いて病気になることは避けようがなかった。

 健康の秘訣は粗食とされる。戦後の日本人は油を摂(と)るよう促された。全国各地を回ったキッチンカーでは炒め物の調理法が教えられた。そうして肉・牛乳・卵が日本人の健康を蝕んだ。これが癌の原因である。また牛乳を飲むのようになってから骨粗鬆症が現れたことも銘記しておく必要がある(カルシウム・パラドックス)。

 創価学会は長らく貧乏人と病人の集まりと蔑(さげす)まれてきた。だが実はそこにこそ創価学会の本領があった。高度経済成長を背景に正本堂供養で集まった金額は355億3600万4309円(海外信徒分含まず)となった(1965年〈昭和40年〉10月9~12日)。当初の計画では30億円を集める予定であった。桁違いの嬉しい誤算といってよい。ここから創価学会は変貌する。票とカネが目的と化した瞬間に広宣流布は止まってしまった。

昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?
大卒初任給の推移
平成24年賃金構造基本統計調査結果(初任給)の概況
過去70年近くにわたる消費者物価の推移をグラフ化してみる

二階俊博幹事長に一喝される宮崎岳志




築地市場の豊洲移転問題

 当事者も出ていて一番わかりやすい。田嶋陽子は左翼言論人。さすがに75歳ともなると歯切れの悪さが目立つ。企業批判・反原発を盛り込むのが左翼の論法だ。東京都議会も刷新すべきだ。小池新党と日本維新の会がタッグを組めばよい。


おときた駿公式ブログ

2016-09-26

男系天皇(万世一系)


万世一系

民進党・宮崎岳志の下劣な野次


2016-09-23

多文化共生は無理



2016-09-22

『よくわかる仏法用語』

 これは頼み方がよくない。「第三文明社、1992年」以外の版であれば刊行年を記すべきだ。国会図書館にも改訂版は見当たらない。


先輩からの手紙

よくわかる仏法用語

考えるヒント

 日蓮の文字マンダラについて述べる。尚、ブログ内検索の都合上、片仮名表記としていることを付け加えておく。

 文字マンダラが表現しているのは虚空会の儀式であり、宝塔~二仏並座~付属が示されている。書かれているのは主題を囲む神仏の名前と十界の衆生である。法華経の見宝塔品第十一~嘱累品第二十二を構成する(PDF「法華経概略図/虚空会の儀式」)。

 儀式を「見て」悟れるのか? 塔を「見て」悟れるのか? そもそもブッダが法華経を書いたわけではない。成立年代に関しては諸説紛々の状況が続いている。

 法華経は一度しか読んだことがないので記憶にないのだが、虚空会ギャラリー全員が悟ったというストーリーにはなっていないはずだ。マンダラを見て悟りが得られるのであれば、参加者は悟っているとの前提が必要である。

 そして当然すぎるほど当然だが目の不自由な人にマンダラは意味をなさない。つまりマンダラは視覚情報を伝えるものでしかない。日蓮にとって出世の本懐が虚空会の図案化であったとすれば、悟りからは懸け離れているように思われる。

 前にも書いたが私の父は「我が身宝塔なり」と覚知した経験があるのだが、具体的なことは「ゆっくり題目をあげろ」としか言わなかった。父に目立った変化は感じられなかったが、小さな出来事に強くものを感じるような言葉を発するようになった。

 悟りとはそんなレベルではない。悟った瞬間に世界は一変する。そこから独特の表現やスタイルが生まれる。

 日蓮は「観心の本尊」と説いたが、後期仏教(いわゆる大乗)のテキストを解釈し直しただけで、新しい光を放ったようには見えない。そもそも悟った者がテキストに依存することはないのだ。悟りとは諸法無我を悟るのだ。ブッダと肩を並べようとする日蓮の姿勢(三国四師)に悟りの輝きを感じることは難しい。

 ニルヴァーナ(涅槃)とは情報の否定である。煩悩といっても情報の入力と反応(出力)なのだ。無記もまた情報の否定といってよい。真理とは必ずしも答えではないのだろう。

 創価学会の教学は通俗的だ(文字曼荼羅 6 相貌について先生の指導)。しかしながらマンダラに囚われすぎるとテクニカルな落とし穴にはまってしまう(自我偈随想 第十三  浄土の人々 二佛並座の成立とその意義 前段)。

 現世安穏後生善処というキーワードも通俗に傾いている。たぶん鎌倉時代に貨幣経済が発達し始めたことと関係しているのだろう。

 日蓮のマンダラは「読む」から「見る」への転換であった。確実に言えることはそれくらいだ。悟りとどう結びつくのかはわからない。

日蓮の文字マンダラ

異論を唱える者は排除される

会社がバブル形成に向かって大儲けしている時に、異論を唱えたり、警鐘を出すディーラーは首になる。

バブルや、通貨危機、ロシア危機など、金融機関が右に倣えで大儲けしている時、多くを見てきたベテランは懐疑的になる。そして、会社やチームで浮いた存在となり排除される。バブルが繰り返されるたびに、そうしたまともなディーラーがいなくなり、バブルの崩壊で残りのディーラーもいなくなる。そして、誰もいなくなったのが証券、金融界だ。

サブプライム危機の再来に備えよ! リーマン・ショックの真相(後編)=矢口新

 出る杭は打たれる。本当であれば、いくつかの出る杭が確認された時点で建物自体を改造・拡張すべきなのだ。社会には異質なものを排除する機能がある。これは洋の東西を問わない。しかし日本におけるコミュニティ性の限界には顕著な特徴がある。例えば明治維新で尊皇の精神を樹立した会津藩が賊軍とされた経緯。あるいは明治から昭和に至るまでの藩閥。そして二度の大戦に渡る海軍と陸軍の確執。近代以降を俯瞰すれば権力主体は侍~軍人~官僚とシフトしてきた。政治の主導性は殆ど見られない。辛うじて大東亜戦争敗戦後に国体を護持するために吉田茂が抜きん出たネゴシエーションを発揮した程度である。この問題を照射した人物は私が知る限り小室直樹ただ一人である(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』ダイヤモンド社、1976年)。

 矢口新〈やぐち・あらた〉は為替・債券ディーラーで名文家として知られる。『生き残りのディーリング』(東洋経済新報社、1990年/改訂版、パンローリング、2001年)はプロの教科書であった。そんな彼が今頃になってのこのことネットに登場し、有料情報で商売をする姿は見たくなかった。

信者とは


 信者は誰かが決めた「敵」を憎み、罵る。自分は会ったことすらないという事実を見逃しながら。日本で最大の信者を擁するのは創価学会、日本共産党、エホバの証人と考えられる。人々の憎悪を扇動することができるのだから、望むと望まざるとにかかわらず信者はファシズムを形成する。

2016-09-20

あなたが知らない日本共産党の正体

ナイラ証言



Wikipedia

2016-09-19

自民党にも伝染した「除名」

――都知事選の時に、自民党東京都連が出した文書についてどう思われましたか。

小泉純一郎:「小池百合子候補を現職議員の親戚を含めて応援したら除名」だと書いてありましたが、呆れましたね。新聞記者と会った時に「あの通達はひどいじゃないか」「俺が小池さんを応援したら、進次郎は除名するのか」と話しました。
 前回の都知事選では、自公推薦の舛添要一さんではなく、私は細川護煕さんを応援しました。でも、今回のような話はありませんでした。「自民党は増田寛也候補を推薦しているから応援をお願いします」という文書ならわかりますが、「それ以外の候補を応援したら、現職議員の親戚が応援しても除名をする」というのだよ。笑ってしまったよ。仮に私が小池候補を応援したら、進次郎を除名できるのか(笑)。よく自民党はあんな通達を出したな。どうかしているのではないか。

小泉元首相も呆れた! 「都知事選時の自民党東京都連はどうかしている」

除名が静かなブーム(笑)」でも紹介した通りである。昨今、コーポレート・ガバナンス(企業統治)なる言葉が持てはやされているが、内部統制の乱れは働く動機と帰属意識の乖離(かいり)に要因があると思われる。組織として意思統一を強いる行為自体が既に組織の弱体化を示すもので、除名という強硬さはどこか子供染みていて、かつての共産党を彷彿とさせる。

 小池氏は現職衆議院議員だったが、自民党の推薦は得られなかった。その小池氏に対し、自民党東京都連は7月11日、「都知事選挙における党紀の保持について」と題する文書を党員に配布。党として増田寛也氏を推薦するとした上で、他候補を応援することを禁じた。あて先は、「地域総支部長・選挙区支部長殿、各級議員殿」で、文書の発行者は「自由民主党東京都支部連合会会長 石原伸晃氏、幹事長内田茂氏、党紀委員長野沢太三氏」だ。

推薦外の候補支援を禁じた自民党都連の「脅迫状」

 除名という処分は戦時中における非国民と同じ心象から為される。仲間から外し、敵認定することで、相手から集団の利益を奪う狙いがある。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という。創価学会も自民党も除名をちらつかせることで小人をつくろうとしている。組織の神経症的な反応の裏側には、統治能力を欠くことに対するストレスが窺える。最初から指導・説得を放棄しているのだから、リーダーは不要で官僚がいれば組織は回るとでも思っているのだろう。

 自民党は除名という言葉で党員を脅して都知事選に敗れた。一方、創価学会には残念ながら民意を反映する機会がない。

2016-09-17

「福島や原島がいつからおかしくなったか」



 聞き捨てならないので書いておこう。まず創価学会から「反逆者」という烙印を押された方々のご遺族・ご親族は徹底的に名誉毀損罪・侮辱罪で刑事告訴・民事訴訟を起こすべきである。そうでもしなければ北朝鮮並みに情報統制され、マインドコントロール下にある創価学会員からの誹謗中傷は後を絶たない。上は池田および聖教新聞社から下はネット掲示板の書き込みに至るまで訴えるべきだ。裁判記録としてきちんと残し、創価学会が軽々しいデマを二度と言えない状況を作ることが望ましい。

 事実だけを紹介する。原島嵩は一対一で数時間に渡って池田を諌(いさ)めた。福島源次郎は直接自分の口で意見をした。山崎正友は平然と居並ぶ幹部の前で池田の売り言葉に買い言葉で応じた。そもそも原島は池田が作った弟子分帳の筆頭に書かれた人物であるがゆえに後継者の資格は十分ある。山崎については池田も北條も「友さん」と呼び、重用(ちょうよう)していた。福島の大牟田発言は完全なでっち上げで、後に九州から多数の脱会者を出す要因となった。当時の最高幹部で愚直を絵に描いたような人物といえば北條と福島を措(お)いて他にいない。


 そもそも当時の側近であった野崎・原田が会長辞任を促しているのだ。池田の具体的な発言としては「4人から言われた」とある。牧口門下生で池田を崇拝している者は一人もいない。原島や原田は池田が日蓮の生まれ変わりだと信じていた。その彼らが掌(てのひら)を返した相応の理由を探るべきだろう。細井vs.池田紛争にあって学会首脳がどのように僧侶を切り崩していったか。ほぼ新左翼の総括と同じ様相を呈していた。ま、一種の吊し上げだ。ちゃんと記録も残っている。

 信仰に名を借りて個人崇拝をするのは一向に構わないのだが、創価学会が反逆者を必要とするのは、中国や韓国が反日教育をする姿と似ている。すなわち正統性がないために自己正当化の物語を創作せざるを得ないのだ。

 創価学会員は独善的な正義感に衝き動かされているので、「話せばわかる」ということがない。やはり告訴が一番だ。

読み始める

2016-09-14

新井将敬の遺言





新井将敬さんの自殺について:江田五月

 新井については猪瀬直樹が『続・日本国の研究』で1章を割いている。

続・日本国の研究 (文春文庫)

2016-09-12

ヒラリー候補にパーキンソン病の疑いあり


2016-09-11

石原さとみ「東京メトロPR番組」で創価学会内の勢力争いが激化!

 この問題は、8月まで東京メトロ(地下鉄)の車両内モニターなどで流れた東京観光のPR番組「Find my Tokyo.」内で、石原が広尾の香林院で座禅を組んでいたことがきっかけで勃発。石原は創価高校出身の学会員タレントとして知られるが、他宗派である臨済宗の宣伝をしたように見られてしまったのだ。

サイゾー 2016年9月8日

 やはり創価学会員であることのリスクは高い。

2016-09-06

常楽我浄の誤り

「生老病死」という万人が避けられない問題を、いかに打開していくか。
 そこに光を当てられた大聖人の御聖訓を拝してまいりたい。
 御義口伝にいわく。
「我らが生老病死に際して、南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、そのまま、常楽我浄(じょうらくがじょう)の四つの徳の香りを吹き薫らせているのである」(御書740ページ、通解)
「常楽我浄」の四徳とは、揺るぎない幸福境涯 ── つまり、"仏の生命"に備わる四つの徳を示している。
「常」とは、仏の生命が「三世永遠」であること。
「楽」とは、「苦しみがなく、うれしく、安らかなこと」。
「我」とは、「何ものにも壊されない自由自在の境涯」のこと。
「浄」とは、「このうえなく清らかなこと」をいう。

【第55回本部幹部会・全国青年部幹部会での名誉会長のスピーチ/聖教新聞 2005年12月13日付】

 三法印なかんづく諸法無我を知らずして、常楽我浄の四徳を理解することはできない。

 真蹟に常楽我浄との言葉は11ヶ所ある。日蓮は「苦・空・無常・無我」を四徳に対比している。

報恩抄 第34章 馬鳴竜樹等の大乗弘通

 私が指摘したい点については「小乗」側の論難として示されている。日蓮が根拠として挙げているのは「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」だけで何の合理性もない。むしろこの経文に注目することで日蓮の言動は過激を目指したようにすら見える。怨嫉の度合いが正しさを保証するのであれば、日蓮系の中では顕正会が一番正しいことになる。また戦前の共産党や、あるいはオウム真理教のような独善的かつ反社会的な集団の暴走を助長する考えとなりかねない。

「生きることは苦である」とブッダは説いた(一切皆苦)。仏道とは苦を滅する道である(四諦)。常楽我浄をあたかも幸福のスタイルやモデルのように考えるのは完全な誤りである。

日中戦争シミュレーション

 期間限定公開。末延吉正(武田邦彦の左隣)は安倍首相に近い人物。

2016-09-03

仏紙シャルリーが地震風刺画、被災者を「ラザニア」扱い




フランス・パリの新聞社で銃撃事件、新聞の風刺画を描いていた著名な画家も死亡

松山善三さん死去


厚田村〈上巻〉 (1978年)厚田村〈下巻〉 (1978年)