2016-05-31

安倍叩きに狂奔する野党(笑)







民進・山井和則国対委員長代理、英風刺画を捏造? 英首相候補の絵を安倍首相と決めつけ「大馬鹿」と批判

2016-05-29

百獣の王ヒト



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アメリカの鏡・日本 完全版 (角川ソフィア文庫)ブッダから日蓮まで生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学魂の殺害者―教育における愛という名の迫害触楽入門枠組み外しの旅―― 「個性化」が変える福祉社会 (叢書 魂の脱植民地化 2)実録! 超ド貧乏 ヤバすぎる最底辺の生現場宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)神経とシナプスの科学 現代脳研究の源流 (ブルーバックス)脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)修験道 (講談社学術文庫)砂の王国(上) (講談社文庫)砂の王国(下) (講談社文庫)深い疵 (創元推理文庫)白雪姫には死んでもらう (創元推理文庫)悪女は自殺しない (創元推理文庫)

「沖縄とともに悲しんでます」



2016-05-28

儀礼






2016-05-25

谷川副会長は…かたっぱしから除名処分

「谷川副会長は、東大卒の能吏で、巨大な学会組織の隅々まで知り尽くしている。自在に動かせる顧問弁護士グループも擁し、まるでヒトラーの“ゲシュタポ”のごとく現執行部に弓引く者をかたっぱしから除名処分にしてきた」(政治部記者)

創価学会信者の間で安倍政権の改憲路線と追従する執行部への怒りが沸点に! 婦人部を中心にクーデターの動きも

獄中の悟達について

 戸田城聖が獄中で悟ったのは事実であろう。特に質問会や座談会の発言を読むと、闊達自在な話しぶりや、天衣無縫なユーモアが悟った人物特有の輝きを放っている。

 創価学会では「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」と二度にわたる悟達があったとしている(戸田先生の悟り)が、実際は後者の一度だけという指摘がある。

 だが、当の戸田氏本人が書いた『人間革命』(妙悟空著)では、「彼(※戸田氏)は仏の三身の説を知らなかった。ただ此の経典(※無量義経の三十四の非)から仏の実体を汲(く)み取ろうとして思索に入ったのであった。次下の応身の説においては、ほぼわかるような気がしたが、法身・報身を説かれていたこの無量義経の説には、彼はほとほと当惑したのであった。思索すること数時間、彼はハタと手を打ったのであった。『仏とは生命なんだ、生命の一部の表現なんだ(後略)』」と解説している。

戸田会長「獄中の悟達」の真相

 ただし戸田は手紙に次のように記している。

「一月十日ニ非常ナ霊感ニ打タレ、ソレカラ非常ニ丈夫ニナリ肥リ、暖カクナリ、心身ノ『タンレン』ニナリマシタ。立派ナ身体ト心トヲ持ッテ帰リマス」(昭和十九年二月八日付の夫人宛書簡、『若き日の手記・獄中記』より一部抜粋)

断簡19 魂

 細井 vs. 池田紛争の際も創価学会の基本スタンスは変わっていない。

「教学上の基本問題」について(6・30) 一、戸田会長の悟達・創価仏法の原点

 日蓮系のタコツボ教学が好きな人は以下のページも参照せよ。

戸田城聖の悟達と『無量義経』の「三十四の否定」(池田大作)
戸田城聖の無量義経の悟りとは「其の身」の文字を「仏」だと変えた経典改竄

 ・無量義経徳行品第一
 ・無量義経徳行品第一 現代語訳

 獄中の悟達については既に疑問を呈示した。

戸田城聖の悟りに関する覚え書き

 もっと直截(ちょくさい)に述べよう。戸田の「生命論」には悟りの輝きが見られない。実際に書いたのは石田次男である。「生命は永遠である」というだけの内容に過ぎない。

 次に「我、地涌の菩薩なり」との経験がスピリチュアルなものであるのは確かだろう。仏教で説かれる悟りは四段階に分かれる(四向四果)が、獄中の悟達はどう考えても最初の預流果(よるか)にすら該当しない。一言で申せば悟りとは諸法無我の覚知である。

 先日紹介した「忘れ得ぬ交流」は正真正銘の預流果である。アルボムッレ・スマナサーラは「自我が撃ち落とされる」と表現している。

 会長に就任した後も戸田が「獄中の悟達」を語ることは殆どなかった。声高らかに「貧乏と病気をなくす」と宣言し、布教に邁進(まいしん)するだけだった。創価学会は悟りから離れて現世利益に傾いてゆく。

「久遠実成とは永遠論である」(久成は永遠論)との考えも誤りだ。結局、全てが自我を強化する方向性を志向している。

 この批判は当然、日蓮にも向けられる。「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(「開目抄」)などの遺文は自我にまみれている。

 今日はここまで。

北方領土返還後に解散総選挙か


(16分35秒から)

トランプ旋風 徹底解析

2016-05-23

野干 vs. 師子

聖教新聞社はブラック企業

 聖教新聞の配達賃金について述べる。尚、正確な報酬額について私は知らない。

聖教新聞販売店は、自分の仕事である新聞配達を会員に最低賃金も払わずに配らせていますが、正当ですか

 sitsurenotokonoomoiさんの回答によれば、「週5日、配達軒数30軒くらい……他に月1回大白蓮華という雑誌等も一緒に配ります……一部は集金業務があります。月に1万円位です。私の地区では、1日の作業時間は40分程度で終わります。1日分に換算すると、500~600円です」ということらしい。細君が配達員なので正確な情報と考えていいだろう。



 現在の東京をモデルにすると、907円×1.25(深夜割増)×2/3(40分)=760円(小数点以下切り上げ)となる。最低賃金との差額は1日あたり160~260円である。これを惜しむがゆえに聖教新聞の配達はアルバイトではなく請負契約となっている。

 ただし地方であれば時間はもっと掛かることだろう。バイクやクルマで配達することも珍しくはない。諸経費はすべて自己負担である。北国の冬などは更に過酷さを増す。

 そしてほぼ毎日のように配達員さんの事故がある。死亡した人々もいる。

 こうした事実を見過ごしてきた婦人部幹部の不作為を思えば、代々の婦人部長は与同罪で地獄に堕ちていることだろう。もちろん聖教新聞社の職員が成仏することはない。

 聖教新聞社こそは元祖ブラック企業である。

2016-05-21

君が代を歌わない政治家

 ミッキー安川さんは、RFラジオ日本で人気番組を何本かもっていた。そのうち深夜に放送される「朝まで勝負」では、深夜0時の時報が鳴るとともに、ミッキーさん、スタッフとゲストが全員立ち上がり「君が代」を斉唱する。この番組に筆者が初めて出たとき、ミッキーさんがこう言った。

「あんたクリスチャンだよな。俺の番組では『君が代』を歌うけれど、問題ないよな」

「問題?」

「いや、歌いたくないならば、無理しなくていいから。ただ起立だけはしてほしいんだ」

「ミッキーさん、僕は日本のキリスト教徒ですよ。『君が代』を歌うのは当たり前じゃないですか。キリスト教徒だからこそ、目に見えないものに対する畏敬の念をもっています。天皇様の弥栄(いやさか)をお祈りするのは、当たり前じゃないですか」

 それを聞いて、ミッキーさんはにっこり笑った。そして、こう言った。

「政治家でも『君が代』を歌わない人がいるんだよ」

「誰ですか」

「例えば、菅直人さんだ。この番組のゲストで来てもらったんだけど、『君が代』は歌いたくないと言うんだ。俺は、それはわかったから、俺たちが『君が代』を歌う間は、立っていてくれと頼んだ」

「それでどうなりましたか」

「ちゃんと立ってたよ。ただ、俺は菅さんの態度は立派だと思うんだ。自分の信念で『君が代』を歌いたくないと思うならば、歌わないというのは、周囲の雰囲気に合わせて、ほんとうは歌いたくないと思っているのに、義理で歌うよりは政治家としてずっと誠実だよ」

 ミッキーさんは、寛容と多元性を尊重する日本の保守思想を体現した人だった。それだから、菅直人氏の「筋の通し方」を尊重し、かつ評価したのだ。

 内閣総理大臣は日本国家を政治的に体現する。菅氏も総理として「君が代」を唱うことになると思う。それは、「君が代」が国家であると法律に定められているからだ。しかし、菅氏の世界観において、「君が代」はどういう位置を占めているのだろうか?

佐藤優の地球を斬る:「畏敬の念」欠く新政権に不安 2010年6月7日

 国歌を歌わない者は左翼である。国家転覆を目指すのが左翼。

2016-05-19

二元性を超える

忘れ得ぬ交流
・二元性を超える

 スピリチュアル系でノンデュアリティ(非二元)という言葉が持てはやされている。かつてニューエイジの特徴としてホリスティック(全体論的)とトランスパーソナル(超個的)が挙げられた(『現代社会とスピリチュアリティ 現代人の宗教意識の社会学的探究』伊藤雅之、2003年)が、同じ種類の一元論と考えてよかろう。特に異論はないのだが、その雰囲気に嫌悪感を覚える。目の前で「ノンデュアリティ」と言われたら、唾を吐きかけるかもしれない(笑)。

 先に紹介した若者の経験は二元性を超えた瞬間をありありと伝えるものだ。不思議なことだが彼のお母さんもまた「目覚めた人」であった。

 思考が人と人とを分断する。信念・政治信条・愛国心そして宗教が更に分断を助長する。人はアイデンティティを確保する目的で集団に参加する。組織にいれば安全だ。何にも増して自分という存在を認めてもらえる。そのようにして人は組織に依存し、今度は組織が人を束縛する。

 クリシュナムルティは二元性を超えるあり方を「ただありのままを見よ」と教えた。我々の眼は条件づけで歪んでいる。見た瞬間に価値判断が加わる。それまで目の不自由であった人が初めて見るように見ることは難しい。

 カルマは時間の過程であり、現在を通って未来へと動く過去である。この鎖は思考の運動なのである。思考は時間の結果であり、そして、思考の過程がやんだときにのみ、不可測なるもの、永遠なるものがありうる。精神の静謐(せいひつ)は、何らかの修行または規律によって引き起こすこと、もたらすことはできない。もし精神が静め【られる】なら、そのときには、何が生まれ出ようと、それは単なる自己投影物、記憶の応答にすぎない。その条件づけの理解、思考と感情としてのそれ自身の応答についての無選択の気づきとともに、精神に静謐が生まれ出る。このカルマの鎖の打破は、時間の問題ではない。なぜなら、時間によっては、永遠なるものはないからである。

【『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)】

 サンニャーシ(修行僧)がクリシュナムルティにカルマ(業)を問う。「このカルマの鎖の打破」とは因果の打破であろう。因果応報は時間の過程であるが、因縁生起は瞬間である。

 科学にとっても宗教にとっても最後の課題は「時間」であるというのが私の持論である。科学は相対性理論や量子力学などを通してその真相に迫りつつある。既に時間は連続するものとして考えられていない。時間は5.391×10の-44乗秒(プランク時間)という粒が切り取り線のように断続しながら進む。

 時速100kmで走るクルマ同士が擦れ違えば、相手のクルマは200kmの速度として勘定される。時速100kmで走るクルマが同じ方向を走ればスピードはゼロである。ところが光の速度は擦れ違おうと、同じ方向に向かおうと秒速30万kmで変わることがない。16歳のアインシュタインはふとこう考えた。「もしも自分が光の速さで飛んだら、鏡に顔は映るのだろうか?」と。顔が反射する光が鏡に届こうとしても、乗っている光の速度で相殺(そうさい)されるのかどうか、との疑問である。それから10年後、26歳となったアインシュタインは光速度不変の原理から特殊相対性理論を導き出す。

 光に時間は存在しない。光は年もとらない。光は常に新しい。ここに瞑想・観察・止観を解く鍵がある。悟りとは時間における特異点なのだろう。

 我々の網膜には光の反射が映る。そうではなく自分自身が光となって対象を捉えるなら「見るものは見られるもの」となる。二元性を超えるとはこのことである。

現代社会とスピリチュアリティ―現代人の宗教意識の社会学的探究生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2―クリシュナムルティの手帖より

2016-05-18

忘れ得ぬ交流

・忘れ得ぬ交流
二元性を超える







 折伏していた友人があろうことか本尊流布の前日に亡くなってしまう。しかも事件に巻き込まれて。紹介者の彼は長年に渡って懊悩(おうのう)してきた。その苦しみを推し量ることは難しい。彼は私のツイートを見て「雷が落ちた」と記した。このやり取りを経てからメールでの交流が続いた。彼はクリシュナムルティを読み、自己観察をし続けた。そして2年が経ち不思議な経験をする。

 ある大学病院のロビーで車椅子の中年女性が叫び声を上げた。そばにいた医師が慌てふためく。彼は彼女を見て全てを完全に理解した。彼は彼女であった。彼はナースに向かって「筆記用具と紙を」と指示した。中年女性は震える手で「苦しい」と書いた。彼女は呼吸困難に陥っていた。彼は静かに語り続けた。彼女を落ち着かせ、2分ほど合わせるようにして呼吸を誘導した。女性は眠るように落ち着いた表情を見せた。彼は自分のなすべきことがありありとわかった。気がつくと二人を囲む職員と外来患者の多くが呆然と立ち尽くしていた。

 その経験を振り返って彼は「一瞥に至った」と表現した。意識が空白となり思考は消え去った。自分まで消えた。時間も存在しなかった。ただ行為が流れていた。静謐(せいひつ)の中に慈悲があった。彼は「ありのまま」の世界を見た。

 箇条書き程度の内容しか紹介していないのでわかりにくい部分もあろうかと思う。ただ、この手の話は通じる人だけに通じればよい。

 尚、ツイッターでのやり取りは5年前なので現在の私の考えとは異なる。人間ってのはね、どんどん変わるもんだよ(笑)。

北海道5区を勝利に導いた公明党 参院選での密約をとりつける

「告示前に自民党が行った世論調査で、公明党支持者の多くが苦労人の池田氏を支持していることが判明しました。焦った執行部は創価学会にテコ入れを要請。幹部らは全国の婦人部を動員し、選挙区の学会員に電話をかけ続け、21日までに大半を和田支持に変えていきました」(与党関係者)

『週刊新潮』2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号

 創価学会はその見返りに埼玉選挙区と兵庫選挙区の協力を取りつけた。まとめられる票が犬にけしかけられる羊を思わせる。誰かに決めてもらわねば投票すらできないのだろう。創価学会は衆愚を証明する。戸田は「青年は心して政治を監視せよ」と語ったが、予算を読み解ける創価学会員はいない。

2016-05-14

寸鉄現象か?

 聖教新聞の寸鉄とどっちが酷いかな?




動機づけを欠いた指示

 どこの世界でもマネジメント能力を欠いた幹部が多いようだ。

2016-05-13

先生の慈愛に決意と歓喜

2016-05-10

憲法学者の小林節氏が出馬表明 「国民怒りの声」設立





 ネーミングが悪い。策士(アイディアマン)の不在が窺える。「怒り」というネガティブキーワードを看板に掲げた時点で失敗だと思われる。個人的に小林節は好きなのだが、その政治姿勢には賛同できない。憲法以外はどうするのだろう? 創価大学関係者による署名組は「国民怒りの声」を支持するのだろうか? あるいは護憲を標榜する共産・社民に投票するのだろうか? 熊本地震の影響でダブル選挙の可能性は低くなったと言われるが、いずれにせよ次の総選挙で与党が勝った場合、護憲派はその民意をきちんと受け止める覚悟はあるのだろうか?

 話は全く変わるがアメリカの大統領選も行方がわからなくなってきた。報道は完全にトランプ一色である。相手がどんな人物にせよ、日本にとっては共和党政権が望ましい。クリントンはコンフォート・ウーマン(慰安婦)をセックス・スレイブ(性奴隷)と言い換えた女である。夫のビル・クリントンはバブル景気で蓄えた日本の資産をごっそりとアメリカへ持ち去り、ITバブルで一気にアメリカ財政を黒字転換した。日本にとっては疫病神のような人物だ。

 トランプは色んなことを好き勝手に放言しているが、先日の安倍・プーチン非公式会談で国際政治の潮目が少し変わるかもしれない。

大場主任副会長「御書は時代が違う」


「録音しとけ」と申し上げたい。

2016-05-09

舌好調! 足立康史








 では、どうして私だけ「懲罰動議」なのでしょうか。実は過去の懲罰動議は一つを除いて全て野党から与党あるいは与党から野党に対するもので、野党同士の懲罰動議は、昭和51年、共産党が公明党矢野書記長を(反共の)「犬」呼ばわりしたことを受け公明が共産に出した1件のみ。今回が憲政史上2回目。

「民進党あほ」と「安倍ヒトラー」との異同 - 私が懲罰動議の対象となった本当の理由 - | コラム | 衆議院議員 あだち康史 Official Website

2016-05-08

共産党をバッサリと切る足立康史

反日教育の成果




韓国・浦項とレッズ西川らあわや乱闘 ピッチに浦項のキム・グアンソクがゴミぶちまけ 韓国メディアは「観客がゴミ投げた」

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