2016-05-18

忘れ得ぬ交流

・忘れ得ぬ交流
二元性を超える







 折伏していた友人があろうことか本尊流布の前日に亡くなってしまう。しかも事件に巻き込まれて。紹介者の彼は長年に渡って懊悩(おうのう)してきた。その苦しみを推し量ることは難しい。彼は私のツイートを見て「雷が落ちた」と記した。このやり取りを経てからメールでの交流が続いた。彼はクリシュナムルティを読み、自己観察をし続けた。そして2年が経ち不思議な経験をする。

 ある大学病院のロビーで車椅子の中年女性が叫び声を上げた。そばにいた医師が慌てふためく。彼は彼女を見て全てを完全に理解した。彼は彼女であった。彼はナースに向かって「筆記用具と紙を」と指示した。中年女性は震える手で「苦しい」と書いた。彼女は呼吸困難に陥っていた。彼は静かに語り続けた。彼女を落ち着かせ、2分ほど合わせるようにして呼吸を誘導した。女性は眠るように落ち着いた表情を見せた。彼は自分のなすべきことがありありとわかった。気がつくと二人を囲む職員と外来患者の多くが呆然と立ち尽くしていた。

 その経験を振り返って彼は「一瞥に至った」と表現した。意識が空白となり思考は消え去った。自分まで消えた。時間も存在しなかった。ただ行為が流れていた。静謐(せいひつ)の中に慈悲があった。彼は「ありのまま」の世界を見た。

 箇条書き程度の内容しか紹介していないのでわかりにくい部分もあろうかと思う。ただ、この手の話は通じる人だけに通じればよい。

 尚、ツイッターでのやり取りは5年前なので現在の私の考えとは異なる。人間ってのはね、どんどん変わるもんだよ(笑)。