2016-04-04

牧口常三郎、最後の書簡

 その洋三が、生き残ったただ一人の息子が、とうとう戦死した。
「……ビックリシタヨ。ガッカリモシタヨ。……貞子ヨ、御前ガシッカリシテ居テクレルノデ誠ニタノモシイヨ。……
 ……病死ニアラズ、君国ノタメノ戦死ダケ(だから)名誉トアキラメルコト。唯ダ冥福ヲ祈ル、信仰ガ一番大切デスヨ。二人共。私モ元気デス。カントノ哲学を精読シテ居ル。百年前、及ビ其後ノ学者共ガ、望ンデ手ヲ着ケナイ『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケテ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文ノ通リデス。……」
 44年(昭和19年)10月13日付のこの手紙が牧口の絶筆になった。

【『創価学会 その思想と行動』佐木秋夫〈さき・あきお〉、小口偉一〈おぐち・いいち〉(青木書店、1957年)】

 著者は二人とも宗教学者であるが、佐木秋夫が左翼のためマルクス主義の匂いが濃厚で、鼻をつまみながら読んだ。洋三は牧口家の三男で、その夫人が金子貞子(※なぜ金子姓なのか知っている人がいたら教えて)。二人の間には洋子という娘がいる。

 牧口の子供は結局全員亡くなっているのではないか。自分のブログの過去記事を調べたのだが見つけられず。

 注目すべきは「病死ニアラズ、君国ノタメノ戦死ダケ(だから)名誉トアキラメルコト」とはっきり書いていることだ。牧口は日本軍が勝つと思っていた。戦後、戸田がそのように証言している。