2015-09-29

法前仏後

 科学を中心とする学問が進歩するのは方法論が確立されているからである。小室直樹が仏教は法前仏後でキリスト教(≒アブラハムの宗教)は神前法後であると指摘。更に根本的な違いは因果説と予定説にあると喝破する(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹、2000年)。眼から鱗が落ちた。どっさりと。卓越した見識が私の蒙(くら)い部分を啓(ひら)いた。

 本尊はモノである。今風に言えばオブジェクトだ。三大秘法はこれを構造化したものと捉えることができよう。いずれにせよ本尊も三大秘法も日蓮自身も「法後」であることは確かだ。

 久遠元初の自受用報身如来なんてのは大日如来の焼き直しであろう。実在したブッダから懸け離れて「神格化した仏」を目指したのが本仏論である、というのが私の推測だ。

 また小室直樹は日本社会の諸問題の原因は元をたどれば「形骸化した憲法」に行き着くと鋭く見抜いた(『日本人のための憲法原論』小室直樹、2006年)。社会(国家)と憲法のあり方は教団と教義に置き換えることが可能だろう。

 創価学会は2014年11月に「教義条項」を改正した(※「師弟不二ARCHIVE」を参照した)。そして「会則の教義条項改正に関する解説」が2015年1月29日付聖教新聞に掲載された。会員の目を逸(そ)らさせるかのように1面ではなく3面にしたことも覚えておくべきだ。内容はといえば支離滅裂の極みといった代物で、はたから見ると「逆ギレ」の様相を呈していた。まさに「突っ込みどころ満載」の解説で「長らく創価学会の首脳を務めてきたあんたの口がそれを言うか?」との思いを禁じ得ない。

 原田が解説で示した「聖人御難事」の“新解釈”は、日蓮正宗に対して散々日蓮宗諸派が指摘してきた内容であり、それを完膚なきまでに否定したのが池田の『聖人御難事講義』(『日蓮大聖人御書講義 第24巻』1974年)であった。あろうことか原田は池田を散々持ち上げておきながら、同じ文章で池田を否定するという愚挙を犯している。ま、あんまり興味がないのでこれ以上は触れない。

 教義は規範である。規範をコロコロ変える教団に待ち受けているのはアノミー(無規範、無連帯)だ(『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』小室直樹、1976年)。今回の教義改正によって示されたのは「本尊よりも学会本部の判断が重い」という一点であり、学会員は行学によって培った判断力を放棄し、組織の指示に従うだけの大衆となってしまった。

 1984年1月、学会組織は大B(大ブロック)制から地区制に替わった。これを機に信仰体験は活動報告となった。そして信心よりも活動を重視してきた成れの果てが教義改正にまでつながっているのである。

2015-09-27

等覚寺雅道さん(rsd37264)

等覚寺雅道さんのMy知恵袋 回答一覧

財務について

財務について

 純真なる会員の学会活動において、現在最大に疑念を抱き、もっとも苦悩しているのは財務のことであります。昭和五十七年より事始まり、今年は五年目、毎年毎年何という暴挙の財務が行われ、そしてこれから何年続けるつもりなのでしょうか。

一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。そうしない幹部は個人指導せよ。
一、現在もっている預貯金全部を出すのは当たり前だ。それにどれ程上乗せするかが信心の戦だ。
一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。
一、一口、二口しか出さない人は信心がない証拠だ。
一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ。
一、個人指導、家庭指導で三口以下の財務部員がいないようにする。

 このような指導(?)が、県・圏の幹部から公然と行われています。県(圏)で目標額が設定され、それが本部から支部に割振られ、それを目ざして支部幹部等が悪戦苦闘するという図式は、今や大半の県でなされているようです。納金日直前になると、各組織で各人の納金額読みをして、集金額予測を行い、最後の上積作戦を協議する姿もあちこちに展開されているようです。どこかの政党の票読みに似て何という醜状でしょうか。あるいは売上げ目標に向って社員にノルマを課し、頑張らせている企業の営業活動とどこが違っているのでしょうか。古くからまじめに励んできた幹部が(外部の批判者ではありません)自嘲気味に、「今や創価学会株式会社だからな」とぼやいている声は、恐らく先生のところには届いていないと思います。

“暴挙財務”の第一歩は、財務部員増加の啓蒙運動(五十七年度)から始まりました。土台このことからして本来の学会伝統の精神からはずれています。信心強盛なる会員で、報恩感謝の為に是非部員にならせてほしいと志願する人の中から、生活内容、家族の信心まで配慮して厳選し、部員任命を行うというあり方こそ学会の金銭に対する良心と良識を示すすばらしい一点でありました。それと、何が何でも百%の部員(五十七年度は七十%、遂には百%となる)を作るのとは、真向から相反する財務路線の転換です。多くのまじめな幹部は、この本部方針にまず首をかしげました。でも信心未熟な人や、夫が反対の婦人に対する啓蒙には、少なからぬ抵抗感と良心の呵責を受けつつも、やむを得ず部員にせざるをえませんでした。部員啓蒙は、ついには苦しまぎれに幼児、乳児にまでエスカレートしたところもあります。

「誠諫(せいかん)の書」福島源次郎

創価学会の内部よりの告発

創価学会の内部よりの告発

 おお、懐かしい。こんなものまで上がっているとはね。当時、全国の会館・聖教新聞販売店にファックス送信されたと私は聞いている。浅見失脚を仕掛けたのはT副会長だという根強い噂がある。

ネットに創価学会員の安保反対スレ 反自民の連帯進む見込み

週刊ポスト 2015年10月9日号

「スレッド」って、2ちゃんねるかよ?(笑)。

読み始める

国民の遺書  「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選今日われ生きてあり (新潮文庫)月光の夏 (講談社文庫)最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙 (講談社文庫)

『パル判決書』の真実日本の独立国富消尽―対米隷従の果てにニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投 資」

日本共産党と中韓 - 左から右へ大転換してわかったこと - (ワニブックスPLUS新書)ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)日本を貶めた10人の売国政治家 (幻冬舎新書)眠りなき狙撃者 (河出文庫)

2015-09-26

牧口常三郎の時代から創価学会には反戦思想は無く軍国主義に迎合

 これは決定的な証拠といってよい。(※失礼、URLを間違えていた。09/26 11:25訂正)

フランス・メディアの旅

 前にも書いたが私は宗教学者の熊田一雄と某掲示板で議論した際に、「創価学会が反戦を唱えた事実はない」と指摘され、色々調べた挙げ句、「確かにそうですね」と応じた。牧口や戸田が反戦を唱えなかったからといって特に恥じることもないだろう。恥ずべきなのは「戦争に反対したために逮捕された」と歴史を捏造することである。池田がいつからこう言い出したのか検証する必要がある。

2015-09-24

立ち位置難しくなる公明

「民共協力におびえて野合批判を始めているが、自民党にごまをすり、創価学会にわびを入れるほうが先ではないか。橋下徹率いる大阪維新の会に連立の組み替えをされ野党に転落した時には、野党の国民連合構想には入れないのであしからず」(野党中堅議員)

日刊スポーツ 2015-09-23

2015-09-23

安保可決後、SEALDsが「賛成議員の落選運動」を開始

 創価学会とそっくりだな(笑)。

2015-09-22

デモ参加者は「共産党の成りすまし」と認定



 共産党並みのデマといってよい。それを宗教団体がやるのだから共産党より上を行っている。賢明な人ならばこのタイミングで退会することだろう。もはや単なる謀略集団にすぎない。

安保法制:武田邦彦・反対の学者と学生SEALDsのデモを斬る

「池田先生の教えに反している!」創価学会員の安保法制抗議活動が始まった!支持率急落で公明党はどうする?

 昨日、発表されたNHKによる世論調査で、政党支持率が前回調査より1.2ポイントもマイナスとなった公明党。自民党でさえマイナス0.4で押しとどめていることを考えると、深刻な下がり方だ。

LITERA 2015-08-22

 来年の参院選が見ものである。

2015-09-21

本部指導監査委員会御中

 査問を希望します。どうか私を査問して下さい。

「本部指導監査委員会」ってさ、実体はないのよ。部署があるわけでもない。白羽の矢が当たった副会長が担当するのだろう。各組織の具体的な問題に関しては方面長に丸投げするだけ。

本部指導監査委員会による査問の実態

池田名誉会長に報告が届かない学会本部の実態

 少し前からtwitterで散見されるブログ。「元創価学会職員3名のブログ」とのタイトルで実名を公開している。既に除名された模様。ま、やり方が拙い。その拙さに判断力のまずさが透けて見える。実名であれば訴訟リスクを避けるために踏み込んだ内容を書けない。「師匠を騙(かた)る」手口が静岡県のホビット一派とよく似ている。

 せめて録音・録画をしておく程度の知恵はなかったのだろうか? あるいはいこれから公開する予定なのだろうか? ま、何をやっても無駄だとは思うが。

 副会長クラスと対等に渡り合える私でも査問を切り抜けることは難しいだろう。となると残された手段は一つしかない。一人一殺 身体的コミュニケーション――あるいは過度なボディランゲージ――である。で、正義は裁判で主張すればいい。私ならためらうことなくやる。組織的圧力に抗し得るのは個人的暴力のみである。

 尚、同ブログは右クリック禁止という小賢しい細工をしているが、ChromeやFirefoxであれば、Ctrl+Uでソース表示が可能。記事を保存しておきたい人はソースをそのままコピーすればよし。

圧迫面接という手法を根絶するための妄想

池上彰氏 公明党と支持母体・創価学会の「政教分離」に対する考え方を解説

トピックニュース 2015年9月20日


(20分55秒から)

2015-09-19

天野達志さんスピーチ 安保法案に反対する国会前抗議行動

創価学会の声は最後まで無視 公明党を待つ「選挙惨敗」の鉄槌

「デモに参加していなくても、公明党に愛想を尽かした会員はかなりいるはず。恐らく、次の選挙では公明党のために動かない。支持者を裏切った公明党は大敗する可能性があります」(日刊ゲンダイ 2015-09-18

2015-09-17

信仰者の論理

「P」を見て笑ってしまった。創価学会では池田のことを隠語でPと記す。プレジデントの略。以下のPは説明するまでもなく命題の意である。

2015-09-15

安保法案:大阪で2万人が反対デモ 参院審議大詰めを迎え

 デモには、公明党の支持母体である創価学会の会員の姿も。兵庫県姫路市の山川知子さん(59)は創価学会の「三色旗」を描いたプラカードを持って行進。「公明党はもはや政権のブレーキ役ではなく、法案成立に向けて一緒にアクセルを踏んでいる。目を覚まし、軍事力で平和は築けないと考え直してほしい」と話した。

毎日新聞 2015-09-13

2015-09-14

政情不安

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光

 ・政情不安
 ・諫言の人・晏嬰〈あんえい〉

『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 が、斉の不幸は、桓公の死後、後継者争いが激化し、国内の政情がさだまらないあいだに、晋が図南(となん)の翼(つばさ)を張り、大いに武を飛翔させた結果、天下の輿望(よぼう)が斉から晋へうつってしまったことである。

【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】

 再読。斉(せい)の始祖は太公望(呂尚)である。晏子と呼ばれたのは晏弱〈あんじゃく〉・晏嬰〈あんえい〉父子で太公望から4~5世紀後の名宰相。混乱に乗じて権謀術数が盛んになるのが歴史の常である。強い権力・巨大組織が盟主を喪い、分裂に至ることは避けようがないのだろう。晋は春秋五覇の代表格である文公(重耳〈ちょうじ〉)を輩出した。人が歴史を変え、歴史が人に彩りを与える。国家も宗教も求心力をなくした現代において時代の寵児はどこから生まれてくるのか?

晏子〈第1巻〉 (新潮文庫)晏子〈第2巻〉 (新潮文庫)晏子〈第3巻〉 (新潮文庫)晏子〈第4巻〉 (新潮文庫)

2015-09-13

公明、地方も反発 消費税還付案「参院選戦えぬ」

北海道新聞 2015-09-13

 内憂外患。前門の反対署名、後門の財務省とはこれなり。学会用語だと自界叛逆難と他国侵逼難か。「山口那津男代表は協議会冒頭、『(財務省案が)国民の理解を得られるものなのか、徹底的に議論を深めたい』とあいさつした」(同記事)。馬鹿丸出しである。党首としての見識を示さずして、国民に擦り寄る姿勢は衆愚政治そのものだ。「徹底的に議論を深めたい」という常套句には何の意味もない。所詮、弁護士上がりの飾り物党首。創価学会の下部組織であるゆえに自分の考えや思いすら述べることができないのだ。竹入・矢野と比べても小者すぎる。

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2015-09-12

ひとりの学会員 “ヤマグチ”職員に署名渡す

 学会婦人部の女性は憤る。「(天野さんの動向を)涙しながらツイッターなどで読んでいた。よもやそこまでしないだろうと思っていたが、公明党はそれをしていた。選挙は公明党に絶対入れない。それどころか、落選運動をする」と。

田中龍作ジャーナル 2015年9月11日

 ほら。対応を誤るとこうなる。ま、三手詰めの問題だな。公明党本部は三手先まで読めないわけだよ。

イデオロギーから離れよ

七八〇 あるひとびとは議論しているあいだに、激昂(げきこう)し憎悪の心をむき出しにしてやっているということも、よく知られているし、あるいはまた、これこそが真理だと確執した心で議論していることも、よく知られている。ところがしかし、沈黙の聖者は、論争の場面が発生したときにも、論争にかかわりあうことがない。だからこそ沈黙の聖者は、いかなる点においても不毛なるところがない。
七八一 というのは、〔こうだと考える宗教的ドグマに〕ひかれる関心に引きずられて、自分が好きなようにドグマを固定化して固執し、自分の信念だけにおいて真理だと信ずることを主張してやまないひとが、どうして自分の抱懐するドグマをふみ越えることができようか。そのようなドグマを認識しておればこそ、そのようなドグマを主張することは当然のことであるからである。

【『スッタニパータ〔釈尊のことば〕全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳(講談社学術文庫、2015年/講談社、1986年『原始仏典 第七巻』「ブッダの詩 I」より「スッタニパータ(釈尊のことば)」を文庫化)】

「第四章」より。「あとがき」によれば第四章と第五章にはマガダ語の要素があり、パーリ語経典の中でも最古層と考えられているとのこと。参考までに中村元訳も紹介しよう。

七八〇 実に悪意をもって(他人)を誹(そし)る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何事についても心の荒(すさ)むことがない。
七八一 欲にひかれ、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずから完全であると思いなしている。かれは知るにまかせて語るであろう。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)】

 タイトルも「憎悪についての八詩頌」「悪意についての八つの詩句」(中村訳)と微妙に異なる。中村訳についてはスマナサーラの批判があり、こうして見ると簡素な意訳であるように感ずる。

コスイギン「あなたの根本の思想は何ですか」 
池田「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
コスイギン「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」(モスクワ、1974年

 もともと池田自身の言葉であるが、これを広く知らしめたのはSGI公認通訳の斎藤ベンツ・えく子であった。阿部vs.池田紛争直後の大学校運動で彼女は全国各地で講演を行った。

 対談そのものは池田の機知がコスイギンを納得させており友好を深めている。コスイギンとしては池田の宗教者としての顔を炙(あぶ)り出すつもりであったのだろう。コ首相の拍子抜けした雰囲気まで伝わってくる。が、しかしである。対談は評価するにしても、「平和主義、文化主義、人間主義」を外に向かって標榜するようになれば話はまた別である。

 現在、創価学会員による安保法案反対の動きが賑々(にぎにぎ)しく報道されているが、イデオロギー(主義)は衝突する傾向を有している。「我こそは正義」という錯覚が呼び覚ます情熱は暴力的ですらある(情熱)。

 もちろん署名活動やデモは「やむにやまれぬ心情」から行っていることであろう。しかしながら公明党や学会本部が今更反対に転じることは考えにくい。

 世界や世の中が複雑になればなるほど賛否が分かれる問題は多くなることだろう。その度に署名やデモを行うわけにもゆくまい。

 もともと創価学会員に宗教的信念をもつ人は少ない。「選挙ポスターを電柱に貼れ」と言われれば唯々諾々(いいだくだく)と指示に従い、「法華講との対論を避けよ」と言われれば肯(がえ)んずる。学会本部の意向に従わない者は裏切り者の烙印を押され、組織内での村八分が静々と行われる。妙観講大草講頭vs.佐藤浩・波田地の対論だって結局は実現せず、「逃げた」と言われても仕方のない情況をつくった。

 かつて絶対であった「本門戒壇の大御本尊」や「法主」を否定した我々である。昨日まで敵であった自民党と手を組んだ我々ではないか(笑)。今更何を恐れる必要があろうか。

 講談社本はこの文章の前段で「沈黙の聖者(牟尼)」と表記している。釈迦牟尼の牟尼だ。イデオロギー(主義)はドグマ(教条)に基づく。イデオロギーから離れることが正しい。「正義」が人を狂わせる。

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2015-09-11

「天野さんは日顕宗になったのか?」



 冷たいところさ。「法華経を信ずる人は冬のごとし」ってくらいだからね(笑)。冬はそのまま氷河期となる。ま、案ずることはない。文京も山梨も大した組織じゃないから(笑)。旧第8総合だと目ぼしい幹部がいるのは台東のみ。20年前の話ではあるが。

 ついでなんで本当のことを一つだけ書いておこう。公明党や学会組織を批判する者は多いが、学会本部や原田・池田を直接批判する学会員はまずいない。だからいつまで経っても問題解決に至らないのだ。本気でやるなら「創価学会を二つに割ってみせる」ほどの覚悟が必要だ。

 それから公明党にも言っておくが、安保法案に反対する学会員の動きを軽んずると、やがてテロ要因になる可能性がある。署名も受け取らない、声も届かないとなれば実力行使を思い立つ者も出てくることだろう。破壊活動を未然に防ぐためにも、きちんと誠実に対応すべきだ。

2015-09-10

天野さんのツイート

学会員「安保撤回」の署名提出 公明党「会うことはない」

 公明党の対応は冷ややかだった。警備員が玄関前に立ちはだかり、「アポがなければお通しできません」と告げた。

 天野さんは事前に連絡していた公明党の職員に、その場から電話をかけたが、職員の対応は不誠実極まりなかった。

「署名を渡したい」とする天野さんに対してコジマと名乗る公明党の男性職員は「警備員に渡して下さい。それがイヤならお帰り下さい」と突っぱねた。

田中龍作ジャーナル 2015年9月8日

「愛知県から出てきた天野さんを出迎えたのは警備員だった」とキャプションにある。公明党はたった一人で訪れた壮年に恐れをなしたのだろう。それにしてもせめて日光警備ではなく女子職員を出すべきではなかったか。党本部トップの狼狽ぶりまで伝わってくる。「同志」という言葉が虚しく響く。創価学会において「異なる意見」をする者は敵対者と看(み)なされる。宗教組織に民主主義は存在しない。「信じたものが誤っていれば必ず不幸になる」というのが創価学会の論法である。であれば答えは簡単だ。公明党を信ずるべきではない。私はリハビリ難民を出した時点で公明党に見切りをつけた。

釈迦本仏論に非ず


 おお、そうだったのか。失礼した。音声ファイルも上がっているようだが、勝手に録音したものを本人に断りもなくアップロードする下衆ぶりがいかにも創価学会員らしい。他人のプライバシーをさらすのがネトガク(ネット学会員)の特徴である。何度も言うようだが「仏敵」呼ばわりされたくなければ入会しないに限る。かつて創価学会は白法隠没を誤読しブッダを完全否定していた。「古いカレンダーは現代の役に立たない」と。誤読に気づいたのは1990年代に入ってからであり、広宣部がその先駆けとなった。そこで過去の学会を謗法と断ずれば思想的な飛躍もあり得たのだろうが、そうはならなかった。松戸行雄の凡夫本仏論も学会としては無視した。僭越ながら私が答えを述べよう。本仏はブッダである。当たり前だそんなことは。しかしながらブッダは本仏思想を説いていない。「私を拝め」とも言ったことはない。むしろ「筏(いかだ)の譬え」を通して仏説にすら執着するなと教えた。つまり本仏思想はブッダの教えに背いているのである。久遠本仏というのは文字通り「仏の神格化」である。後期仏教(大衆部、大乗)は復興しつつあったヒンドゥー教への対抗思想であり、危機感を抱いた彼らはあろうことかヒンドゥー教的要素を巧みに取り入れた。後期仏教の本質はその密教性にある。平安仏教も東密(空海)と台密(最澄)で当初から日本仏教はブッダから離れていたのだ。

2015-09-08

大衆とインテリの違い

2015-09-07

安保法案:学会員、署名7000人集め 反対、公明党に直訴へ 愛知

 全国各地の学会員からは署名とともに「私も法案には反対ですが、病床のため活動できません。せめて署名だけはしたい」「学会幹部が怖くて反対運動ができなかった」などのメッセージが寄せられた。(毎日新聞 2015-09-06 東京朝刊

近代的合理精神の破綻

 ・近代的合理精神の破綻
 ・祖国愛の欠如

 世界中の心有る人々が、このような広汎にわたる荒廃を「何とかしなければいけない」と思いながら、いっこうに埒(らち)があかない。文明病という診断を下し眉をくもらせているだけという状況です。この荒廃の真因はいったい何なのでしょうか。

 私の考えでは、これは西欧的な論理、近代的合理精神の破綻(はたん)に他なりません。
 この二つはまさに、欧米の世界支配を確立した産業革命、およびその後の科学技術文明を支えた礎(いしずえ)です。現代文明の原動力として、論理・合理の勝利はあまりにもスペクタキュラー(劇的)でした。そこで世界は、論理・合理に頼っていれば心配ない、とそれを過信してしまったのです。

【『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)】

 藤原は数学者で、新田次郎と藤原ていの子息。もともとエッセイには定評があったが、本書の大ヒット(265万部)で一躍時の人に。創価学会とも親交があり新著は必ず池田に届けていた。

 日本の近代史見直しの動きは1990年代から顕著となり、渡部昇一・谷沢永一・小室直樹・小林よしのりなどが狼煙(のろし)を上げ、「新しい歴史教科書をつくる会」となって結実する(1996年)。しかしながら本当の意味で国民的な広がりをもった理解に至らしめたのは本書であるといっても過言ではないだろう。

 藤原は海外生活を経てから「形」と「情緒」を重んじるようになったという。いずれもバブル景気に向かう中で否定されてきた価値観である。日本は敗戦というコンプレックスをはねのけるために経済一辺倒で進んできた。その経済が1990年から崩壊を始める。敗戦以来抱えてきた日本の矛盾・欺瞞はオウム真理教事件で頂点に至る。女子中学生・高校生による援助交際がはびこるようになったのもこの頃である。

 宗教における教義は合理性である。より多くの人々を結びつけるためには論理と合理を欠かすことはできない。だが論理と合理だけで人はついてこない。人生は計算とは別物なのだ。日蓮は情緒の人であった。否、激情家といってよい。

 私は「物語としての教義」を散々否定してきたが、物語を求める人々の心情や機根、はたまた文化的背景を軽んずるべきではないと思う。

 ただし創価学会員は合理性とは無縁である。「カネを出せ」と言われればカネを出し、「書籍や民音チケットを買え」と言われれば言われるがままに買い、新聞セールスや投票依頼までもが仏道修行とされ、「誰々は敵だ」と認定されれば一斉に口汚く罵るような人々である。ひょっとすると教義変更もそれほど影を落とさないかもしれない。教義よりも「群れ」効果による安心感を与えるのが宗教の役割か。

 尚、本書は講演が元となっていて砕けた調子だが、藤原が書いた本気の文章は宮城谷昌光著『花の歳月』文庫版の「解説」で知ることができる。

国家の品格 (新潮新書)花の歳月 (講談社文庫)

藤原正彦

2015-09-06

創価学会が更なる教義変更の可能性を示唆

【※記事見出しを変えた。断定調から緩やかに(笑)】

 日蓮本仏論を捨てて釈迦本仏論に変更する予定であることが「2015年度の日本宗教学会第74回学術大会」で発表された模様。詳細は不明。知ってる人がいたら教えて。

パネル 日蓮研究の現状と課題 代表者:小林正博
14:00–15:40 日蓮文書のデジタル化―日蓮諸教団共有の聖典づくりのために― 小林正博 東洋哲学研究所
日蓮の「三大秘法」思想について 前川健一 東洋哲学研究所
日蓮正宗教学の特質―正信会と創価学会の新教学創作の試み―花野充道 法華仏教研究会
学問的研究と教団の教義―創価学会の場合―宮田幸一 創価大
司会:前川健一 東洋哲学研究所

 ま、路線としては正しいのだが、急ハンドル過ぎてついてゆけない会員が続出することだろう。っていうか、「三代会長は永遠の師匠」ってのも、これで完全に「支障」と帰した。学会内部で二・二六事件が起こるかもね。さて、本尊はどうするのか? 今回の合理的な判断は必ず裏目に出ることだろう。

 宮田サイトへのアップを望む。


超重要! 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 9月 6日(日)15時26分42秒 編集済

【緊急報告!!!】
昨日、創価大学で開催された「日本宗教学会 第74回学術大会」において、耳を疑う驚きの発表がなされた。
創価大学より代表として登壇した宮田幸一教授は、今回の学会の教義会則変更についての経緯を説明した上で、将来の計画として、創価学会は日蓮本仏論を捨て、釈迦本仏論に変更する準備をしていると発表した。
また、会合終了後の懇親会には宮田教授とともに原田会長、谷川事務総長らも参加し他門の学者等と和やかに懇談した。
発表の詳細は後日報告いたします。



宮田教授発言  投稿者:参加者 投稿日:2015年 9月 6日(日)17時27分25秒 編集済

宮田教授の発言は、あくまで研究者としての個人的な考えで、
可能性の一つとして有り得るとの見解でした。
又、可能性の全てを話していません。
しかも無理やりに振られた質問への答えでした。
研究結果(結論や主張)としての考えでは無いと受け止めました。

確かに教学部では頼りないので、東洋哲学研究所や宮田教授のような研究者に依存する事になるのでしょうが、昨年見切り発車して、中途半端な説明までやらかして、既に行き詰ってしまってからでは、論理的整合性をとるのが至難の業でしょう。
普通の研究者なら断るところでしょうが、さてどの様に進めるのでしょう。
宗教界の王者創価学会が宗教界から笑いものになるような事があってはなりません。

研究者の皆様、是非フィールドのプレーヤーにも話を聞いてみてください。

 以上は「宿坊の掲示板」より転載。

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モチーフで読む美術史 (ちくま文庫)働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)科学の考え方・学び方 (岩波ジュニア新書)

ギリシア人ローマ人のことば―愛・希望・運命 (岩波ジュニア新書 107)生きていくための短歌 (岩波ジュニア新書)面白い本 (岩波新書)もっと面白い本 (岩波新書)

2015-09-04

公明党・創価学会を揺さぶる 池田大作名誉会長のメッセージ

「憲法9条の平和主義と専守防衛を踏まえた閣議決定に基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。当会の三色旗などが政治的に利用されるのは遺憾です」(広報室)

日刊ゲンダイ 2015年9月3日

 見出しに難あり。創価学会広報室は「旗を下げろ」と言いたいようだ。そのうち箸の上げ下げにまで口を出すようになるかもね(笑)。散々、会員を「政治的に利用」してきた輩の妄言か。三色旗が踏みにじられ、燃やされる日もそう遠くはないことだろう。安保法案反対者は財務の金額で意志を示せ。

2015-09-02

戦争法案を廃案に!大阪集会に2万5千人~創価学会員も「廃案目指す」

 辻元議員は「学会員のスピーチが一番拍手が大きかった」と述べているが、これは私も現場にいたから間違いない。(レイバーネット 2015年8月31日

2015-09-01

争いの絶えない狂った世界

 ・争いの絶えない狂った世界

警告

 世界で、何が起こっているか知っているだろうか。現在のいろいろな出来事を、気をつけて調べてみなさい。戦争や反乱が次次に起こり、国と国とがお互いに対立しあっている。この国にも、差別や分裂があり、人口は増加の一途をたどり、貧しさ、不潔さ、そして完全な無感覚と冷淡さがはびこっている。自分が安全ならば、ひとに何が起ころうといっこうに気にしない。そして、君たちは、こういうことがすべてに合わせていけるよう教育されているのだ。世界が狂っているということ──お互いに争い、けんかし、いじめ、おどし、苦しめ、攻撃しあうということすべては、狂気なのだということが、わかっているだろうか。で、君たちは、それに合わせていけるように成長するというわけだ。それは、正しいことなのだろうか。社会と呼ばれるこの狂った仕組みに、君たちが進んで、あるいはいやいやでも適応するようにすること、それが教育の目標なのだろうか。それから、世界中の宗教に何が起こっているか、知っているだろうか。この分野でも、人間は腐っていこうとしているし、誰も何一つ信じてはいないのだ。人間は、何の信仰も持ってはいないし、宗教とは単なる大がかりな宣伝の成果にすぎなくなっている。

【『英知の教育』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1988年)】

 簡単なことを一つ教えて進ぜよう。「創価学会に入ることは“争いに巻き込まれる”ことを意味する」。組織という組織は目的があって結成される。目的に向かって運動が始まり、運動には方針が不可欠である。そして政治に関与すればその時々(ときどき)の政策決定について賛否両論が生じることは避けられない。争え、争え。「我こそは正義」と旗を掲げながら。分裂し、滅ぶまで争うがいい。信仰はプロパガンダと化した。日蓮系教団が分裂の歴史を繰り返してきたのは日蓮のファナティックな正義感に由来する。他宗攻撃という刃(やいば)が味方に向かって振りかざされるためだ。公明党は政治的利害よりも宗教的利害に基く政党と考えてよい。いかなる理窟をつけようとも賛成と反対は利害を巡る攻防である。戦争と平和も利害によって選択されるのだ。人々の感情は進化的利害によって形成され、子孫の生存率が高まる可能性に賭けるのが生物に備わる本能なのだ。争いを拒否するなら、組織から離れ、自分からも離れるしかない。