2015-09-07

近代的合理精神の破綻

 世界中の心有る人々が、このような広汎にわたる荒廃を「何とかしなければいけない」と思いながら、いっこうに埒(らち)があかない。文明病という診断を下し眉をくもらせているだけという状況です。この荒廃の真因はいったい何なのでしょうか。

 私の考えでは、これは西欧的な論理、近代的合理精神の破綻(はたん)に他なりません。
 この二つはまさに、欧米の世界支配を確立した産業革命、およびその後の科学技術文明を支えた礎(いしずえ)です。現代文明の原動力として、論理・合理の勝利はあまりにもスペクタキュラー(劇的)でした。そこで世界は、論理・合理に頼っていれば心配ない、とそれを過信してしまったのです。

【『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)】

 藤原は数学者で、新田次郎と藤原ていの子息。もともとエッセイには定評があったが、本書の大ヒット(265万部)で一躍時の人に。創価学会とも親交があり新著は必ず池田に届けていた。

 日本の近代史見直しの動きは1990年代から顕著となり、渡部昇一・谷沢永一・小室直樹・小林よしのりなどが狼煙(のろし)を上げ、「新しい歴史教科書をつくる会」となって結実する(1996年)。しかしながら本当の意味で国民的な広がりをもった理解に至らしめたのは本書であるといっても過言ではないだろう。

 藤原は海外生活を経てから「形」と「情緒」を重んじるようになったという。いずれもバブル景気に向かう中で否定されてきた価値観である。日本は敗戦というコンプレックスをはねのけるために経済一辺倒で進んできた。その経済が1990年から崩壊を始める。敗戦以来抱えてきた日本の矛盾・欺瞞はオウム真理教事件で頂点に至る。女子中学生・高校生による援助交際がはびこるようになったのもこの頃である。

 宗教における教義は合理性である。より多くの人々を結びつけるためには論理と合理を欠かすことはできない。だが論理と合理だけで人はついてこない。人生は計算とは別物なのだ。日蓮は情緒の人であった。否、激情家といってよい。

 私は「物語としての教義」を散々否定してきたが、物語を求める人々の心情や機根、はたまた文化的背景を軽んずるべきではないと思う。

 ただし創価学会員は合理性とは無縁である。「カネを出せ」と言われればカネを出し、「書籍や民音チケットを買え」と言われれば言われるがままに買い、新聞セールスや投票依頼までもが仏道修行とされ、「誰々は敵だ」と認定されれば一斉に口汚く罵るような人々である。ひょっとすると教義変更もそれほど影を落とさないかもしれない。教義よりも「群れ」効果による安心感を与えるのが宗教の役割か。

 尚、本書は講演が元となっていて砕けた調子だが、藤原が書いた本気の文章は宮城谷昌光著『花の歳月』文庫版の「解説」で知ることができる。

国家の品格 (新潮新書)花の歳月 (講談社文庫)

藤原正彦