2015-07-06

創価学会のアイデンティティ

 宮田幸一の「本尊認定権について」に関する所感を述べる。

 特に興味を抱くテーマではなかったため、ざっと目を通しただけできちんと読んだわけではない。「教学的にはお手上げです」と私は読んだ。そりゃそうだろう。総合教学部長であった遠藤孝紀が異を唱えたわけだから(遠藤文書)。

 かつて創価学会のアイデンティティを支えていたのは日蓮正宗の本門戒壇本尊と法水写瓶(ほっすいしゃびょう)であった。万世一系の擬制と考えてよい。ところが阿部vs.池田紛争によって創価学会は法水写瓶を否定せざるを得なくなった。2002年の会則変更で「三代会長は永遠の師匠」と位置づけることによって創価学会は何を意図したのか? 答えは簡単だ。万世一系という正統性を捨てて、新天皇を担ぐという暴挙に出たわけである。正統から正当への乗り換えと見なすことができよう。

 つまり創価学会のアイデンティティが変わったのだ。ま、本人たちは自覚してないだろうが(笑)。遠藤が抗議の声を上げたのは教義の破綻と、初代 ~二代と三代の間の懸隔を恐れたためだろう。しかしながら、「池石戦争」が明らかとなった今では創価学会会長の正統性すら失われつつある。

 創価学会は池田党となった。無論、会員が賛同するのであればそれはそれで構わない。ただ、池田亡き後の存続は難しいといわざるを得ない。

教義と政治