2014-11-30

創価学会員の選挙違反

 九州の組織じゃ奨励されているよね(笑)。よく見りゃ、母親じゃねーかよ。

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意識をめぐる冒険

2014-11-25

第35回本部総会(1972年11月2日)

 長らく抱えていた疑問が氷解した。第35回本部総会(1972年11月2日)の内容を『新・人間革命』に記さなかったのは、キッシンジャー会談(1975年/創価学会の対外的な成果)が理由なのだろう。キッシンジャーは池田・周恩来会見(1974年12月5日)の内容も確認したはずだ。元々、1971年の周恩来・キッシンジャー会談では「危険な日本」という見方で一致していた。キッシンジャーが政権入りしたのはニクソン政権誕生(1968年)の時であった。スパイマスターの周恩来にかなうわけがない。ただしロックフェラー家の番頭ともいうべき存在のキッシンジャーはその後世界中で悪事に手を染めてゆく。創価学会はユダヤ資本に膝を屈し、寄り添う道を選んだのだろう。

日蓮と比叡山ルール

 日蓮のテキスト第一主義(経文至上主義=教条主義)とマンダラ・フェティシズムとマントラ奨励は、明らかにブッダと正反対に位置する。仏教東漸という変質した論理から正しい結論を導き出すことは可能であろうか? 私は難しいと思う。日蓮が悟っていたとすれば、本来であればまず最初に比叡山ルールを否定すべきではなかったか。

2014-11-21

2014-11-17

解散総選挙

 今回の解散総選挙を飯島勲が仕切っているとすれば、公明党は切られる可能性が出てくる。

たかじんのそこまで言って委員会  裏目を徹底究明SP 2014年11月2日

2014-11-16

本尊模刻事件から考える会則変更

 創価学会はかつて8体の本尊を模刻した。阿部vs.池田紛争以降、創価学会は模刻を引き受けた赤沢朝陽社長の赤沢猛に証言させ、「細井日達の失念」が事件の真相であったと暴露した。

「地涌」第699号  1993年10月1日
日顕宗の“御本尊謹刻”への中傷はデタラメ(「聖教新聞」平成5年9月30日付より抜粋)

 まず、これらの証言が記録に基づくものかどうかが不明である。記憶だけで何月までは普通憶えていないことだろう。

 赤沢証言によれば、

・昭和48年(1973年)暮れに学会本部から彫刻依頼の打診。
・昭和49年(1974年)1月に池田より直接依頼。この時、細井日達は了承済みと伝えられる。
・昭和49年(1974年)秋に細井日達より本尊模刻の件を尋ねられる。

 藤本メモについては日蓮正宗も否定はしていない。というよりも、この時点で初めて創価学会から板本尊の要請があったとしている。「7. 本部三階の御本尊の件 ―板御本尊にしたい」――これを受けて細井日達は創価学会からの御本尊下附願いを待った。ところが創価学会は細井から許可が下りたものとして、昭和50年(1975年)1月1日に創価学会本部に安置してしまった。

聖教新聞画像/「よくわかる本尊模刻問題」より

 その後「賞本門事戒壇正本堂建立 昭和四十九年一月二日」の模刻本尊が昭和49年4月に制作されていたことが判明する。

「実は『本門事の戒壇は正本堂』という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で文化会館の七階の座敷に安置してある」(昭和四十八年十二月二十九日の第二回御義口伝受講者大会

 昭和53年9月2日の連絡会議の記録の中に、学会が模刻した数体の板本尊の処置について御指南を求めたのに対し、日達上人は池田会長に、「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっとけ」と叱責された(本尊模刻事件の真相

 双方の言い分が完全に異なる。日蓮正宗側の主張は以下を参照せよ。

本尊模刻に関するQ&A
〝日達上人違背の大罪人 本尊模刻事件を闇に葬ったのは阿部師〟の誑言を断破す
本尊模刻(『慧妙』H14.3.1ほか編集)

 私が知っている事実を一つだけ挙げよう。紙幅の創価学会常住本尊は「それほど傷(いた)んではいない」。間近で見たことがあるから間違いない。黄色いシミが出ている程度である。

 結局は「板マンダラを制作したが、大石寺に収めた」という事実だけが残る。

 今回の会則変更に照らせば、板マンダラ制作は創価学会独立の布石であったとしか考えようがない。つまり信濃町を聖地化し、ゆくゆくは御開扉に伴う参拝料を徴収するシステムを構築するのではあるまいか。JR信濃町駅から学会本部まで両側に売店が立ち並び、味噌玉でも売るようになったら濡れ手で粟(あわ)という寸法だ。

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読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]この世界でいま本当に起きていることサバタイ派マフィア、300人委員会の脅しに屈するな! [超アンダーグランド版]国家非常事態緊急会議  日本人よ!こうして植民支配のくびきを断て!(超☆はらはら)!

2014-11-15

死ぬって何?

 南直哉〈みなみ・じきさい〉も脂が乗ってきたな。


2014-11-14

橋下氏「公明にやられたままで終われぬ」出馬可能性否定せず 市長職投げ出しも「致し方ない」

公明、政活費681万円返還…東大阪市議会

 大阪府東大阪市議会(定数42、欠員2)の政務活動費(政活費)の不適切支出問題で、最大会派の公明党議員団(12人)は10日、2009~13年度の5年間に議員団全員が受け取った政活費のうち、計681万円を不適切に計上していたとして、全額を返還したと発表した。

 議員団団長で議長の平田正造市議(64)は同日、この問題の責任を取り、議長の辞職願を副議長に提出した。前議長が政活費の不適切支出を巡って議長を辞職したため、先月10日に議長に就いたばかりだった。

 議員団によると、12年8月、平田市議ら市議6人が東京都に出張した際、議会事務局から新幹線の乗車券など現金約30万円を受け取ったにもかかわらず、政活費として24万円を計上し、旅費を二重に受領するなどしていた。家族名義のクレジットカードで支払ったガソリン代を政活費に計上した議員もいたという。

 市議会では10月以降、政活費の不適切支出が相次いで発覚し、7会派19人が2235万円を返還したが、公明党議員団は「不適切支出はない」としていた。

 幹事長の川光英士市議(61)は「領収書まではチェックしておらず、支出の一覧を見て適切だと判断した」と釈明した。

YOMIURI ONLINE 2014年11月11日

2014-11-13

吉松育美ストーカー事件

ある事件とその背景。

→「この女癖の悪い創価大学卒、元TBS社員の石井〔薬物事件で首)がいう通りしないと恫喝、ストーカー行為を続けた」は、「石井」ではなく「谷口元一」の間違いだろう。

ロンブー淳も吉松育美と同じく谷口元一に芸能界から消されそうになっていた!?マットテイラー、K-1石井館長との関係とは!?
創価「隠れ広告塔」にご用心!K1「石井受刑者収監」一考!
井川遥も被害者だった!谷口元一氏の過去の女性遍歴と嫌がらせが酷い。

教義変更の失敗

 阿部vs.池田紛争を経て創価学会は日蓮正宗と袂(たもと)を分かつ。創価学会は本尊授与を行うことができなくなった。その後、浄圓寺 (じょうえんじ)の日寛書写の本尊をコピーすることで本尊授与が復活した。当時、会長であった秋谷栄之助は「御本尊はみな同じであり、今までの(日達、日顕書写)御本尊に功徳があるのは当然である」旨を語った。ところが創価学会は新入会者に本尊が行き渡ると、阿部日顕書写の本尊を取り替えさせるという行為を組織的に遂行。数年後、秋谷は「日顕の本尊は謗法である」と前言を翻した。これが致命的な失敗であったことは言うまでもない。私は当時、「創価学会としての感情的な問題だ」と旧ブログに書いた覚えがある。もちろんそんな言い方で擁護できる問題ではない。

 ここには本尊開眼と同じ問題がある。「開眼前と開眼後に何が変わったのか?」と同じく「謗法でない時と謗法になった時と何が変わったのか?」というテーマだ。しかも謗法と言いながら、法基準ではなく組織権力が謗法の認定基準となっている。

 かつて創価学会はブッダをも否定していた。釈迦仏法を「古いカレンダー」と称し、現代に効力はないと言っていたのだ。白法隠没に対する誤解であったわけだが、学会員はものを考える力を奪われているため誰一人疑問に抱くことはなかった。

 また創価学会は五座三座の勤行を方便品・自我偈に省略した。これまた教義変更といってよい。多くの学会員は心ひそかに「ラッキー♪」と思った(笑)。私もその一人だ。柏原ヤスは言った。「池田先生は間違っている。戸田先生は五座三座は絶対だとおっしゃっていた。勤行を省略するなんてとんでもない」と。

 今回の教義変更は戸田門下生が絶滅したことを見計らった上での措置だろう。ま、あと30~40年もすれば池田門下生もいなくなる。その時どのような教義変更をするのかね?

「もうそろそろ、マスゲームの一員であることに喜びを覚えるのは卒業して、自分で何か表現したらどうだ?」と私は言いたい。




2014-11-11

教義変更

 妙にアクセス数が増えているのでおかしいなと思っていたら、創価学会の教義が変わったらしいね。迷える子羊どもが検索しまくっている様子が目に浮かぶよ。法主を否定し、本門戒壇と称する本尊を否定する姿は、まさしく「諸宗は本尊にまどえり」(開目抄)といった様相を呈している。既に亡くなった創価学会員が浮かばれない。教義の根幹をこれほどやすやすと改変してしまうのだから、やがては三代会長も否定されることだろう。あんたが否定されるのも時間の問題だ。総務会なるものが何人で構成されているか知らないが、この過半数を買収できればいつでも教義を変えることができるわけだ。教義を変えても微動だにしないということは教義を信じていない証拠である。

2014-11-10

地衣類の一生に意味はあるか?

 過酷な環境に強いものの例にもれず、地衣類は生長が遅い。シャツのボタンほどの面積を埋め尽くすのに半世紀以上かかることもある。そのため、デイヴィッド・アッテンボローは、地衣類がディナー用の大皿くらいの面積まで広がるには「数千年とまではいかなくても数百年はかかるだろう」と記している。これ以上に不活発な存在は想像しがたい。アッテンボローは、「地衣類はただ単にそこにある。そして、この上なく単純なレベルの生命体でさえ、明らかに自己のためだけに発生するという感動的な事実を証明している」と付け加える。

【『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(NHK出版、2006年/新潮文庫、2014年)】

 朗報である。絶版になっていたが新潮文庫から復刊された。地衣類は菌類と藻類の共生体だ。産業革命以降、人類はスピードを奨励してきたわけだが、これほど生長に時間のかかる地衣類に存在意義はあるのだろうか? そう考えてしまうのは我々が人の一生というタイムスパンでしかものを考えることができないためだ。我が子を喪(うしな)って悲嘆に暮れているうちに、やがて自分も死んでしまう。一生にはその程度の時間しかない。地衣類の存在意義を弱めているのは世界に対する貢献度の低さに由来しているのだろう。「じゃあ、お前はどの程度貢献しているんだ?」と言われれば心許ない限りである。つまり地衣類の存在に意味がないなら、我々の人生にも意味がないことになる。そして地衣類は意味を考えないが、我々は意味の虜(とりこ)になる。これが決定的な違いだ。人は意味を求めて自分探しをする。ま、日本人がそんな真似をするようになったのも最近のことだろう。少なくとも明治以前にそんな風潮はなかったはずだ。個人という言葉は「individual」の翻訳語である。柳父章〈やなぶ・あきら〉が社会を構成しているのは個人であり、それ以前の日本には身分としての存在はあっても個人という概念はなかったと指摘している(『翻訳語成立事情』)。個人とは「神に対してひとりでいる人間」を意味する。ってことはだよ、脳内で一神教の神が生まれたと同時に個人が誕生したわけだ。結局、神とは個人のことだったのだろう。一神教の場合、双方向性を欠いているためその自覚に至ることは難しい。仏教的に考えると生きることに意味はない。ただ生を味わいながら生きることが正しい。

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)人類が知っていることすべての短い歴史(下) (新潮文庫)翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

2014-11-08

結党50年の公明党

2014-11-07

組織は社会の機関

 外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
 組織は、存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 29歳で著した処女作『「経済人」の終わり』(原書は1939年刊)でも同様のことを書いている。ドラッカーはマネジメントの父と称されるが、その出発点はファシズム(全体主義)から自由を守ることにあった。イギリスの高級紙「タイムズ」の書評で激賞したのは、それから1年後に首相となるウィンストン・チャーチルであった。

 言葉を引っくり返してみよう。「人は多いほど、組織は大きいほど、組織の中の活動は多いほど、組織はより完全から遠ざかる」。フム、なるほど。肥大した組織は煩(わずら)わしい内部作業に翻弄される。そして組織は「社会の機関」であることをやめ、自らを社会化し複雑なサブカルチャー(下位文化)を形成してゆく。

 組織を結社という。現在では結社の自由や秘密結社くらいでしか使われることのない言葉だ。社は訓読みで「やしろ」。「神を祭る建物、神の降臨する場所」という意味がある。思い切り単純に考えると祭りのために集う人々が結社となる。組織の目的を祭りに置き換えればさほど見当外れでもあるまい。

 それぞれの祭りを目指して組織が結成されたのであれば、祭りが終われば組織は解散してもいいはずだ。あるいは祭りのたびに組織が再結成されるべきだろう。ドラッカーはNPO社会に期待をかけていた。企業や教団にもNPO的な緩やかさがあってよいと思う。人体は4ヶ月程度で骨に至るまで新陳代謝をしている(※真皮・皮下組織などは数年単位。一部の細胞は代謝することがない)。澱(よど)んだ組織は腐る。そして腐った組織には腐った人間しか残っていない。

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

P・F・ドラッカー

スピリチュアリズムとは密教的飛躍


http://tinymsg.appspot.com/rnO

肩凝りの原因がまぶたに


http://anond.hatelabo.jp/20101022221427

2014-11-05

北朝鮮の歌

 個人崇拝と組織礼賛が完全に一致している。世間の人が学会歌を聴いた時の印象が何となくわかる。



2014-11-02

幸福の科学大学は設置不可 創価大とはどう違う?

EconomicNews(エコノミックニュース)

「ノルマ押し付けに反旗」

 思わず大笑い。リツイートを辿って発見した。同門だと教団名の入れ替え可能で、これが果てしない議論につながる最大の原因となっている。尚、プロフィールに「創価学会がいつかこの世から無くなることを願い」とあるが、固執が瞳を曇らせることを自覚すべきだろう。必要だと思う人はやればいいし、不要だと思う人は去ればいいだけのこと。

2014-11-01

幸福の科学大学「不認可」へ




 で、早速『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー(2) 大学設置・学校法人審議会の是非を問う』が刊行された模様。転んでもただでは起きぬ。逞しき商魂に脱帽。