2014-03-31

繰り返される虚構

2014-03-30

読み始める

正弦曲線 (中公文庫)東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫BIBLIO)日本人が知らないアメリカの本音

人間精神進歩史 第1部 (岩波文庫 青 702-2)人間精神進歩史 第二部 (岩波文庫 青 702-3)世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)

すき家ではアルバイトが「業務委託」扱い


 そうすると聖教新聞社は新自由主義の先頭を走っていたわけだ。アウトソーシングによるコストカット。

創価班(笑)

2014-03-29

禅と悟り

2014-03-28

メッセージを発信する者のリスク その二&日蓮とマントラ

 昨日「メッセージを発信する者のリスク その一」を書いたところ、数通のメールが寄せられた。「前に褒めてましたよ」という内容であった。

日蓮とマントラ

 失礼。同一人物であることに気づかなかった。ま、「それはそれ、これはこれ」ということにしておこう。発信者リスクのその二として「メッセージ量が増えるにつれて記憶があやふやになる」ことを挙げておく。ただし私は「教えを請え」とは書いたが、「ついてゆけ」とは書いていないからね(←言いわけ)。文章の巧拙や斬新なアイディアと人間性は一致するものではない。ウェブ空間は表情や声の情報を欠いているため、人物判断を誤ることが多い。メッセージが放つ匂いに鈍感な人は日常生活においても判断を誤っている可能性が高い。

 ついでだから日蓮のマントラに関する私論を述べておこう。称名念仏の原理を説いたのは中国の善導(613-681年)で、それをポピュラーなマントラにしたのは鎌倉時代の法然(1133-1212年)である。文字通り人口に膾炙(かいしゃ)したわけだ。日蓮は南無妙法蓮華経を念仏ではなく題目と称した。とすると仏の名ではなく題名と考えてよい。

 題名であるにもかかわらず日蓮は「文底秘沈の大法」と言い切った。よく考えてみよう。題名が大法であるはずがない。仮に法華経の文の底に沈められた何かがあるとすれば、偽書『当体義抄』で紹介されたマントラ(真言)を説いた人々も日蓮モデルでいうところの本仏となり得るだろう。

 南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。

創価学会版を参照した】

 直前に「妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり」とあるが、悟りとは内証の次元であって、流布するしないとは一切関係がない。こうした日蓮の発想はすべてが天台ルール(五時八教=教相判釈)に基づいており、科学的な検証をすることが不可能だ。つまり日蓮モデル(理論)は天台ルールという重力の上でのみ記述が有効となるのだ。

 ブッダの遺言は自帰依・法帰依であった。その直前に重要な指摘をしている。

「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない。『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、『わたくしは修行者のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか」

【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年)】

「教師の握拳は、存在しない」――すなわちブッダは一切の秘伝を拒否したのだ。秘密を重んじるのは密教の流儀である。

 日蓮のマントラは知識が広まりにくい時代(識字、印刷技術、通信技術が未発達)における手っ取り早い不安解消法の一つであったのだろう。また日蓮が終生求めた公場対決(公開法論)というデモンストレーションも極めて政治的な動きである。その意味では社会改革に傾いているのだが、社会福祉に大きな寄与をした忍性(にんしょう=良観)批判との整合性がとれない。

 南伝仏教(上座部)が伝わった時点で天台ルールは崩壊したと考えるべきではないか。

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

2014-03-27

メッセージを発信する者のリスク その一

善と悪の相対論~量子論的アプローチを試みる

 これに対する反応が以下である。


 メッセージを発信する者は常に揚げ足を取られるリスクが付きまとう。批判であれば一向に構わない。むしろ望むところである。更にウェブの海を泳ぐ者はこのツイートから卑屈さを見抜く程度のスキルが求められよう。卑屈な者とは関わり合うべきではない。時間の無駄だから。

モテない男
つれづれツイート
メッセージを発信する者のリスク その二&日蓮とマントラ

2014-03-26

制度宗教の世俗化と近代化


スタークとイアナコーニは、世俗化論一般を批判する際に、宗教に市場経済モデルを適用して、制度宗教を宗教企業、信者を宗教消費者ととらえる

2014-03-25

ネチケット知らずの創価学会員








 創価大学出身の愚かな人物だった。個人情報は入手済み。創価学会員特有の組織に甘える姿勢があり、見知らぬ学会員にもたれ掛かり、寄り掛かって平然としている。なかんずく創価大学出身者は自我が肥大していて自分は特別だと勘違いする馬鹿者が多い。

2014-03-24

STAP細胞 小保方論文は何が問題? 武田邦彦が騒動を斬る!!



スピリチュアルブーム

2014-03-23

読み始める

略奪者のロジック読書という体験 (岩波文庫)

孟子 上 (朝日文庫 ち 3-8 中国古典選 8)孟子 下    朝日文庫 ち 3-9 中国古典選 9

リデルハートとリベラルな戦争観シェルパ―ヒマラヤの栄光と死 (中公文庫)ローリング・サンダー―メディスン・パワーの探究 (mind books)

楚漢名臣列伝 (文春文庫)生の時・死の時ヤクザな人びと―川崎・恐怖の十年戦争

行為と理論の方向性


 これは悟りともいうべき発見であった。教祖と信者の方向性と言い換えてもよい。神仏を言葉の範疇(はんちゅう)に収めたのが教義だ。

読み始める

地球時代の哲学サバイバル宗教論 (文春新書)

SGIの役割 国際社会で大 佐藤優氏、福岡で講演
池田哲学・創価思想の偉大さを説いた好著:森田実
「私がJR東労組と創価学会を好く理由」佐藤優

2014-03-22

対話の可能性

内なる悪と外なる悪」の続き。







2014-03-21

執拗に退会者宅を訪問する創価学会婦人部幹部

 これが1月のツイートで既に退会届は受理されている。


 で昨日の婦人部幹部とのやりとりは以下。

やまもとかっぱ(@kappa_mountain)/2014年03月21日 - Twilog

 田舎の幹部のレベルが知れる。思わず笑ってしまったよ。突っ込みどころ満載の無知蒙昧さである。

 かつて創価学会では「いつ入会したか」が重要視された。これからは「いつ活動をやめたか」が問われることとなろう。ま、活動も中途半端、やめても中途半端という人々が大半ではあるが。

 そういう意味も込めてセネカの言葉を紹介したのだが、気づいた人はいなかったようだ。

命令されて行なう者たち

過去世の物語

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。(中略)そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(国書刊行会、2005年/角川文庫、2012年)】








死後はどうなるの? (角川文庫)

2014-03-19

北朝鮮による拉致被害と公明党

 ・北朝鮮による拉致被害と公明党

社会党と拉致問題

 かつてこう書いたことがある。

 拉致被害者の中には学会員も含まれている。「国家に蹂躙(じゅうりん)される民」の姿は何一つ変わっていない。(2008年6月26日

 既に公になっているが、それは市川修一さんと増元るみ子さんである。付き合い始めたばかりの二人はデートの最中に拉致された。

 父の(増元)正一〈しょういち〉も、何もしてくれない政府や政党に対する怒りを、募(つの)らせていた。家族会に加わってみて、日本政府が北朝鮮の拉致という疑惑を早くから持っていながら、20年近く何も積極的に動いてこなかったということを知った。家族会結成後も、いくら訴えても国は必死に助け出してくれようとはしない。公明党の最高幹部が鹿児島を訪れたときには、正一は面会を求め、救出のために動いてくれるよう直接頼んでいる。その場では「はい、よくわかりました」と、とても色よい返事を貰(もら)ったが、その後は結局、何の音沙汰(おとさた)もなし。「あの党は何にもならん」――その後の正一は激しい怒りようだった。その正一の死後、件(くだん)の最高幹部から「鹿児島に行くので、仏前にお参りしたい」と連絡が入った。しかし、増元家では「いまさら来ていただいても何にもなりません。今後、拉致問題のために頑張っていただければうれしいです。ほかには何も言うことはありません」と来訪を断っている。

【『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(光文社、2003年)】

 この公明党最高幹部は浜四津敏子のようだ(弟・増元照明さんも怒る「公明党は学会員拉致被害者を見捨てた!」)。実名を伏せたところに増元家の配慮が窺える。浜四津の微妙な立場については辛淑玉〈シン・スゴ〉も書いている。

『怒らない人』辛淑玉

 るみ子さんの弟である照明さんが東京選挙区の参議院選挙に無所属で立候補した時、私は増元さんご一家が創価学会員であることを知った。その心情を思うといたたまれなくなった。政権与党の旨味(うまみ)には毒性がある。果たして公明党議員に立党の精神はあるだろうか? それとも下駄の雪に甘んじているのだろうか?

 創価学会員の公明党支援には凄まじいものがある。時には違法を犯してまで得票依頼に奔走する(事前運動、未成年者による政治活動、物品供与、電柱へのポスター貼付など)。しかし公明党は拉致被害者を無視した。

 確か1992~1993年であったと思うが池田は「金日成主席からも招聘状(しょうへいじょう)が届いている」と豪語したことがあった。北朝鮮には一定数の学会員がおり、古い学会出版物を見ると「南鮮、北鮮にも同志がいる」旨が書かれている。

 戸田城聖は「創価学会に入り1年間実践して功徳の証拠がなければ私の首をやろう」と言い切った。今、自分の首を賭ける創価学会首脳はいるか? いれば私がその首を掻(か)きにゆこう。

 尚、本書では市川さんが創価学会員であることには触れていない。


横田夫妻とキム・ウンギョンさんの面会が実現/『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
拉致被害者 増元るみ子さん母親 信子さん(90)死去

2014-03-15

ネルソン・マンデラ氏のために歌った追悼ゴスペル


 乾いた風のように軽やかなコーラスだ。

 元歌もよい。ネルソン・マンデラがステージに登場する。

2014-03-14

よき人々

 ロシアで車載カメラが捉えた小さな親切の数々。世界も捨てたものではない。

2014-03-13

河野談話を持ち出して橋下徹市長に完膚なきまでに潰される赤旗記者

オバマ大統領のウクライナ制裁を米国民は支持していない


文字起こし
櫻井ジャーナル

2014-03-12

捨てるのを恐れる人は変わることができない







2014-03-11

ソースコード


宗教OS論の覚え書き

恥ずべき武器輸出国になるな! 3月中の閣議決定を止めよう!

公明党議員、創価学会に大至急要請を!/杉原浩司

2014-03-10

東京大空襲~現在に至るまで奪われる制空権




知的な人

仮想通貨

2014-03-09

都民を焼き尽くした東京大空襲

 あの夜にかぎって
 空襲警報が鳴らなかった
 敵が第一弾を投下して
 七分も経って
 空襲警報が鳴ったとき
 東京の下町は もう まわりが
 ぐるっと 燃え上っていた
 まず まわりを焼いて
 脱出口を全部ふさいで
 それから その中を 碁盤目に
 一つずつ 焼いていった
 1平方メートル当り
 すくなくとも3発以上
 という焼夷弾
〈みなごろしの爆撃〉
 三月十日午前零時八分から
 午前二時三七分まで
 一四九分間に
 死者8万3793名
 負傷者11万3062名
 この数字は 広島長崎を上まわる
 これでも ここを 単に〈焼け跡〉
 とよんでよいのか
 ここで死に ここで傷つき
 家を焼かれた人たちを
 ただ〈罹災者〉で 片づけてよいのか
 ここが みんなの町が
〈戦場〉だった
 こここそ 今度の戦争で
 もっとも凄惨苛烈な
〈戦場〉だった

【「戦場」 昭和43年8月/『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治〈はなもり・やすじ〉(暮しの手帖社、1971年)】

 再掲。書籍タイトルの一戔五厘は一銭五厘のこと。当時のハガキの値段である。国家は一銭五厘のハガキを送ればいくらでも兵士を召集できた。花森は横溢(おういつ)する反骨精神を「乞食旗」として表紙に掲げた。東京大空襲の直後、亀戸(かめいど)の横十間川(よこじっけんがわ)からは皇居が見えたという。



一戔五厘の旗


『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治

イビチャ・オシム「私は神を信じない」



 オシムの言葉は合理性がありながらも美しい響きを伴っている。稀有な人物といってよい。どこかブッダの言葉と通い合うものを感じる。サラエボ紛争の地獄を知る人物でもある。1964年の東京オリンピックにはユーゴスラビア代表として参加。12年間の現役時代で一度もイエローカードを提示されたことがなかった。


オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦

日蓮聖人比叡山12年の修学

高橋俊隆

『法華本門宗要集』下巻(二一五八頁)には、父が「東条小湊の浦の釣人権頭」といい、日朝『元祖化導記』(一四七八 文明十年)には、父の名を貫名五郎重実の次子重忠と記し、日潮の『本化別頭仏祖統紀』には、母は清原氏出身、舎人親王の後裔・畠山一族の大野吉清の女梅千代といい、法名は妙日・妙蓮。父は正嘉二年(一二五八)二月十四日、母は文永四年(一二六七)八月十五日に歿したと伝えている。
 宗祖の兄弟は四人説、五人説がある。いづれも男兄弟である。

宗祖のご舎弟・貫名藤平家の伝承考:石川修道(元現代宗教研究所研究員)】

「日蓮聖人の伝記について」高橋俊隆

 →日蓮宗妙覚寺

本化別頭仏祖統記

 4コマ目に日蓮画像あり。椅子の上に胡坐(こざ)というスタイルが目を引く。

2014-03-08

「先輩からの手紙」に思うこと 2

先輩からの手紙
「先輩からの手紙」に思うこと 1
・「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

 貴君の指摘されるように、脳科学、心理学は極めて有効だと思います。それ等の他にも、生物学の分野の最近の展開には目を見張るものがあります。(以下略)

 手紙の先輩が亡くなったのは1998年。私が初めてパソコンを買った年だ。この部分の記述は今となっては古い。1990年にパソコンが普及しはじめ、科学という科学が大股で前進した。21世紀に入ると出版界ではポピュラー・サイエンスが花開く。この流れはとどまることを知らず、現在においても加速している。

 脳科学は自由意思の問題に迫り、認知科学はバイアス(知覚の歪み)を明らかにし、社会心理学は権威に従うメカニズムを解き、行動経済学は人々の選択肢を操作可能なものへと変えた。ゲーデルの不完全性定理は神の絶対性を揺るがせ、ハイゼンベルクの不確定性原理が神の干渉を斥(しりぞ)ける。E=mc²の美しい数式で知られる相対性理論はアインシュタインの思惑を超えて宇宙が加速しながら膨張している事実を示した。アインシュタインは宇宙定数を付け加えることで静的宇宙の記述を試みたが、後に「生涯最大の過ちだった」と述べている。ところがこの宇宙定数がアインシュタインの死後、ダークエネルギーを証明するのに不可欠となるのである。またアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って量子力学を忌み嫌った。しかしミクロ世界は確率としてしか捉えることができない。量子もつれは時間をも超越する。存在は非局所性となって宇宙に溶けだす。

 現在では、「生物学」よりも進化科学が進んでおり、「免疫学」は多田富雄で止まっているような感を受ける。これまた進化医学の方が面白い。「サル学」は立花隆の著作タイトル(『サル学の現在』)で、霊長類学を学ぶのであればフランス・ドゥ・ヴァールの方がよいと思う。河合隼雄については宮崎哲弥が「日本におけるスピリチュアリズムのドン(首領)」と指弾している。河合が研究したユング自身も問題を抱える人物であった。柳沢桂子の著作は多田富雄との往復書簡しか読んでいないためわからず。あまり読む気もしない。トランスパーソナル心理学はニューエイジ思想の影響が濃厚で学問たり得ない。

 西洋の学問で目立つのは脱キリスト教という方向性は正しいのだが、結果的にスピリチュアリズムというものが多い。ここをきちんと見分けないと、元々アニミズム志向の強い日本人はあっさりと受け入れてしまうことだろう。最低でも「WIRED」で紹介される毛色の変わったデタラメな記事の非科学性を見抜ける程度の知識は必要だ。

読み始める

フランクリン・メソッド 首のリラックス、肩の解放 緊張を解き、なめらかに動く究極のエクササイズ今日から実践!“持ち上げない”移動・移乗技術ミリオネア・マインド 大金持ちになれる人―お金を引き寄せる「富裕の法則」

2014-03-07

内なる悪と外なる悪


 3年余り前のツイートである。今はもっと前に進んでいるよ。「対話の可能性」に続く。

2014-03-06

「先輩からの手紙」に思うこと 1

先輩からの手紙
・「先輩からの手紙」に思うこと 1
「先輩からの手紙」に思うこと 2
「先輩からの手紙」に思うこと 3
「先輩からの手紙」に思うこと 4
「先輩からの手紙」に思うこと 5
「先輩からの手紙」に思うこと 6
「先輩からの手紙」に思うこと 7
「先輩からの手紙」に思うこと 8
「先輩からの手紙」に思うこと 9
「先輩からの手紙」に思うこと 10

 思うように時間が取れない。貧乏暇なしである。矢野絢也の著作についても書きたいのだが、既に1年以上も経過したままだ。誰か書いてくれないかな? そうしたら私が応じるから。ただし私と同世代でなければ矢野本を理解することは困難だ。関西で矢野にストーカー行為をした人物が書いてくれると一番助かるのだが。(※当ブログでは一般人を除いてすべて敬称は省略する)

「忙しい忙しい」といって心を亡ぼすわけにもいかない。本来であれば本家ブログで一日一書評を目指しているのだが、こちらにも「心が動いた」軌跡を不定期で綴ることにした。

 えぞしろくま氏は二つのブログで「先輩からの手紙」を紹介しているようだ。

ぷるぷるメモ
ガラガラポン日記 1
ガラガラポン日記 2
 ・『よくわかる仏法用語』抜粋転載のまとめ

 この人物が存命であれば、私は今直ぐ会いに行ったことだろう。飛行機代なんか全然惜しくない。今の段階ではそれほど尋ねたいことはないのだが、とにかくその息吹き、呼吸、生きざまに触れたかった。年が違うとはいえ、私よりも10年先んじている方だ。心の底からその死を惜しみ、悼(いた)むものである。

 時代の変化もさることながら、学会の中も、相当に一般活動家の中に不満がたまり、求心力を失い、崩壊を食い止めるのに精いっぱいのように見受けられます。

 1998年3月9日付の手紙である。当時、私はまったく気づかなかった。なぜなら私がいた地域は求心力が漲(みなぎ)っており、男子部として全国制覇の連覇を成し遂げていた渦中であったからだ。私が創価班の総区委員長になった頃である。壮年婦人にも勢いがあった。新聞啓蒙だと地区で世帯の50倍の結果を出しても総区で1位になることはできなかった。

 過去の折伏全国制覇10連覇における最後の世代が私の世代であった。卒業したOBからも「伝統の火を消すな」「流れを断つな」と個人的に散々含められた。「お前と○○がいれば大丈夫だ」とも。

 その後、八王子へ引っ越して平均的な組織の惨状を初めて知った。創価大学の職員が牛耳る八王子の幹部は宦官(かんがん)さながらであった。問題があっても見て見ぬ振りを決め込み、とにかく婦人部と波風を立てないことが活動の主流となっていた。連絡はしても個人指導・家庭指導が行われることはなく、煙たい人物がいれば村八分を行うという体たらくであった。

 そこそこ実行力のある私が動いても、解決までに数年を要するほど悲惨を極めた。副会長や方面長と談合しながら進めてもそれほどの時間がかかった。それまでに私はたぶん数十人の幹部に罵声を浴びせている。某副会長も含めて。

 その間隙を縫ってメールのみで個人折伏を成し遂げ、全国および海外の創価学会員から寄せられた相談に一つ一つ手を打っていった。私の手が届かない問題は学会本部を動かして対応した。やり残したことは一つもない。すべてケリはつけた。その程度の訓練は受けている。

 手紙の先輩が凄いところは、私がクリシュナムルティを通して理解し得たことを、仏法そのものから探り当てた一点にある。

人間らしさとは何か?


2014-03-04

似たもの同士



 日蓮系で揉め事が多いのは日蓮の怒りに由来するものだと私は考える。

怒りの終焉/『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ

朝日・毎日への反論(6) 河野談話の正当性が崩れた石原証言に見解を示さないのはなぜか


産経新聞:「慰安婦」問題

2014-03-03

げたの雪

 踏まれても どこまでもついて行く げたの雪。こんな永田町川柳がある。どんなに踏んづけられても、げたの歯の間にはさまった雪のようにしつこく離れない。ということだが、最後は解けてなくなってしまう、との怖いオチもついている▲自民党と連立を組んだ政党の与党・権力への執着とその末路を皮肉る秀句である。

余録/毎日新聞 2014-03-03

 創価学会員の投票が自民党議員を強力に支えているのだから、もう「下駄の歯」になったと考えてよかろう。歩けば歩くほどすり減るわけだが。

2014-03-01

大衆部と上座部の違い